第30話 悪いとは思っている
地面から突き上げるような感覚。
(地震――!)
想像以上に大きく、部屋に設置されている壺が地面に落ちて割れる。
絵画は木枠を揺らして壁からずり落ちる。
そして壬剣は手に持った零騎士の書を滑らせた。
「あ――」
手を伸ばしたときには遅かった。
父親がデスク越しに伸びた手を見ており、顔を出した壬剣と目が合った。
「……壬剣か」
声から感情は読み取れない。とても低く重低音を孕む声質だ。
壬剣は本を拾って立ち上がり、座っている父親と向かいあう。こうして向かいあうのは騎士紋章を受け継いで以来だろう。
奴は手に持った本に気が付き、ふむと小さく息を漏らした。
「書庫にない本を調べるために侵入した、そんな所か」
怒りをぶつけられると思ったが、呆れた様な声音すら感じられない。なんだその程度かと言われている気がする。
「はい。勝手に父さんの書斎に入った事は謝罪いたします」
父親に対して心の底から悪いとは思っていないが、無断で侵入した事は罪である。
それに対しては素直に謝った。
「見張りを立てておいた筈だが、傷を受けた程度か」
奴は機械人形に傷つけられた左腕を見た。
それが良い意味なのか、悪いのか壬剣には分からない。
「あの程度を倒せない騎士では黄玉騎士の前に立つ事すら不可能だろう」
「……街の様子に気付いておいでだったのですか」
「無論だ。騒がしかったからな。三百年年ぶりの《人類の脅威》だろう? 私の代ではなく、壬剣に受け継いだばかりで来訪するとは。不運というべきかな?」
黒騎士に対して父親の考えや対抗策はあるのか――と口を開こうとしたが、すぐに閉じる。言ってもこの男は手を出す気はない。今の言葉のニュアンスで分かる。
「金剛騎士の騎士紋章は扱えているのか?」
「はい、今の所は」
「あれにも目を通したのだろう?」
あれと言うのは討伐できなかった場合の、騎士のなれの果ての事だろう。
「ええ、なかなか興味深い内容でした。そうならない事を祈るばかりですね」
強制活動モードで死に至るのは考えただけでも恐ろしいが、出来る限り顔に出ないように父親を見つめる。
奴に弱みを見せたくはない。
「そうか……」
珍しく父親が口ごもる。
「……悪いとは思っている」
「え?」
口ごもる事よりも珍しい事をこの男は呟いた。
「これまで厳しく接して来たのはこの日の為だ。騎士の力に飲まれ、命を無駄に燃やして欲しくないと思ったからだ」
この男が心中を吐露する所を初めて見た。
壬剣は予想外の不意打ちに、自分が動揺しているのを心底感じる。
今の一言で父親に持っていた警戒心が、幾らか揺らいだ気がした。
そんな簡単なものかと感じるかもしれないが、この男が弱みを見せるのはそれほど驚くべきことなのだ。
「私が金剛を持っている間は、騎士紋章が反応する事はなかった。出来れば壬剣にも平和な世界で生きてほしかった。だが世の中、何が起こるか分からないのもまた事実だ」
父親は歩いて、壬剣の肩を優しく叩く。
「生き延びろ壬剣」
「父さん――」
今になって何故と思うが、もしかしたら単に父親を警戒していただけなのかもしれない。過去の厳しい仕打ちに耐え切れなくなり、顔を合わせる事もなく、すれ違いばかりで勝手に冷酷な父親像を作り上げていたのかもしれない。思い返せば何故父親をあそこまで毛嫌いしていたのか、その始まりさえ思い出せない。残っているのはその時の感情だけだった。
「はい、ありがとうございます。浅蔵家に代々伝わる金剛紋章に誓い、必ず黄玉騎士――黒騎士を討伐いたします」
もしかしたらこれから、徐々に父親を知ろうとすれば分かりあえるかもしれない。
そう思いながら壬剣は父に頭を下げる。
そんな壬剣を見て父は少し笑った様な気がした。
父の笑顔も意外だったが、それ以上に予想を越えた言葉が壬剣の耳に入った。
「だが、その心配はもうない。零騎士が黄玉騎士を討ったそうだ」
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