第9章

第1話 乾杯

 その日の晩。僕は一人、赤ワインを飲んでいた。

 丸テーブル上には、小さな灯りとつまみの水都土産干し果実。中々に美味。

 部屋の中は、先程までの喧騒が嘘のように静か。

 数台のベッド上では、カレンが幼女姿のアトラとリアに抱き着かれ、ティナとエリーも隣のベッドで並んですやすや。

 珍しいことに、リディヤがリィネと同じベッドで寝ている。

 凄まじく頑張ってくれたらしいフェリシアは、密かにこういう大人数で寝泊まりすることに憧れていたようで、散々はしゃいだ後、こてん、と寝てしまった。

 この子には明日、色々聞くことがある。

 穏やかなで、心温まる光景。

 ……それにしても


「まさか、会議室を一つ潰して相部屋にするなんて……これだから、公爵家のすることは! しかも、僕まで同じ部屋なんて…………」


 愚痴を零しつつ、ワインを飲む。

 ――帰還の報告をした後は大変だった。本当に大変だった。

 大歓待を受け、そのまま祝宴へ雪崩込み、夕刻には東都からリサさんが、レティシア・ルブフェーラ様を伴い帰国。

 いきなり、リサさんに抱きしめられた時はびっくりした。

 次いで、何故かレティシア様にも抱きしめられ、リディヤ、カレンが間に入り……屋敷をいきなり崩壊させようとしないでほしい。

 アトラ、とリアの挨拶はとても可愛らしかった。

 僕に隠れながら


『ア、アトラ……』


と恥ずかしそうに言う幼女に対して、リアの方は


『リア! 獣耳と尻尾ある。可愛い?』


の一撃。

 二人はリンスターのメイドさん達や他の使用人を一撃で虜にしてしまったどころか、リサさんとレティシア様まで、メロメロにしていた。

 大魔法であることは既に報告済みだったから、もっと警戒されると思いきや


『アレン、貴方がいる限り、この子達は大丈夫だわ』

『大魔法に愛される存在なぞ……もう、出て来ぬと思っていたぞ。うむ! アレン、やはり、ルブフェーラへ婿として来いっ! より取り見取り。いっそ、全員娶っても構わぬっ!!』


 と、膝上に幼女達を乗せながら、二人は上機嫌だった。 

 細かい話は後日、ということで楽しい祝宴だったのだけれども……途中から、急転。

 ティナ達は勿論、カレンもまだ未成年でお酒を飲んではいけないのに、いつの間にやら、甘い果実酒を飲んでしまったらしく――結果、それはもう絡まれた。


『先生ぃ~。先生はぁ~先生はぁ~……私のことをどう思っているんですかぁ?』

『あにさまぁ……リィネのことも、少しはみてください……』 

『ア、アレン先生……わ、私、いい子にしていました! ……御褒美がほしいでしゅ、あぅ……』

『兄さん、兄さんはどうして、そう、リディヤさんに甘いんですか! 本来、一番甘くするのは妹である私の筈です! 世界の理が乱れています! さ、早く撫でてくださいっ!!! あと……私と兄さんは、合法なんですよ? 分かっているんですか??』


 …………いったい、何の拷問かと。

 その間、リディヤは一見穏やかに僕を見守るばかり。

 ……テーブルの下では、僕の裾が破けるか、くらいに引っ張っていたけれども。

 空になったグラスにワインを注ごうとすると、白い手が伸びて来て瓶が取られた。

 グラスに注がれる。


「どうぞ」

「ありがとうございます。起こしてしまいましたか? ステラ」

「…………いいえ。二人きりで話したくて、最初から起きていました。アレン様、私もワインを飲んでみたいんですが、ダメ、ですか?」


 寝間着に薄いケープを纏い、髪をおろしているステラ・ハワード公女殿下が悪戯っ子な表情で舌を少しだけ出し、尋ねてきた。

 僕は苦笑し頷き、予備のグラスを取る。


「……悪い公女殿下ですね。今晩だけですよ? 座ってください」

「はい♪」


 真正面――ではなく、何故か隣の席に、ちょこん、と座る公女殿下。

 僕はグラスに赤ワインを注ぎ、自分のグラスを手に取り、少しだけ浮かす。


「では、再会を祝して」

「……はい」


 グラスをほんの少しぶつけ、笑いあう。

 一口飲むと、ステラはグラスを置いた。


「口に合いませんか?」

「……いえ。あの……アレン様……」

「ステラ、あ~ん」

「え? あ……は、はい……」


 思いつめた様子で瞳を潤ませている公女殿下に、干し果実を一つ口元へ 

 ほのか頬を染めつつ口を開けたので食べさせる。

 御礼を言う。


「――ありがとうございました」

「……え?」

「活躍はメイドさん達からお聞きしました。ステラが南都に残ってくれたので、フェリシアも安心して仕事が出来たようです。流石、王立学校生徒会長ステラ・ハワード公女殿下ですね。それと――御心配おかけしました」

「…………心配、しました…………」


 ステラが頭を僕の左肩に乗せてきた。

 細い指は僕の左袖を摘まんでいる。


「…………本当は、すぐにでも、すぐにでも水都へ行きたかった。貴方の傍にいたかったし、御役に立ちたかった! だけど――……今の私じゃ、貴方と一緒には戦えません。足手まといになってしまいます。ティナ達みたいに突き進む勇気はありませんから……」

「…………ステラ」

「でも、でも……自分で行かない、と決めたのに……私、凄く嫌な子なんです。リディヤさんやカレン、ティナやリィネさんに、毎日毎晩、嫉妬していました。もう、こんな想いをするのは嫌です。だから」


 手が動き僕の裾を握りしめた。

 静かな――けれど、強固な誓約。


「今度は止まりません。貴方の――……アレンの傍にいます。そう、決めたんです。もう、何を言われてもこの誓いは変えません」

「……困った生徒会長様ですね。でも、心強い。ああ、そうだ」


 僕は内ポケットから『ソレ』を取り出した。

 挟んでいる白紙が水色に染まり、清冽な魔力が漏れている。

 隣の公女殿下へ手渡す。


「? これは??」

「――秘密のお土産です。貴女とフェリシア、それにエリーの分しかありません。後で二人にも渡してあげてください」

「……開けてみてもいいですか?」

「どうぞ――っと、その前に」


 魔法式を走らせ、僕とステラの周囲に対探知魔法を張り巡らせる。

 おそらく、そのままだとみんなが起きてしまう。

 ステラは僕を見つめ、おずおず、と白紙を取る。


「! ア、アレン様……こ、これは……」

「お静かに」


 ステラの口に人差し指を添える。

 ――秘密のお土産は、水都旧大聖堂跡地、神域と化したそこに咲いた花を、押し花にした物。

 ほんの小さな花なのに信じ難い魔力を内包。

 かつ、アトラ、リア、レナ、そしておそらくは水竜の魔法式が空間に浮かび上がってくる。人が扱う魔法式とは次元が異なり、僕では解読不能。

 

 分かるのは――明らかに持っている者へ祝福を与えるものであること。


 謂わば『祝福』のお守りだ。

 ステラに微笑む。


「身に着けておくと何か良いことがあるかもしれませんね。南都散策のついでに、丁度良い物を探してみましょうか」 

「……二人」

「?」

「…………貴方と二人きり、がいいです」

「本当に困った公女殿下ですね」


 頭を優しく撫で、小さく頷く。

 すると、ステラは大きな瞳を更に大きくし、ふわっ、と相好を崩した。

 白蒼の雪華がテーブルの周囲を舞い踊る。


「……ありがとうございます。大切にします」

「御礼を言うのは僕の方ですから。この程度で申し訳ない」

「そんなことはありません! 貴方からいだたいた物なら、私にとって、それは宝物です!! …………えと、あの……あ、あと、お、お誕生日、だったんですよね?」


 ステラが少しだけ声を大きくし、直後もじもじ。

 僕は首肯。


「はい。先日。…………リサさんが『祝勝会も大々的にやるわ。これは決定事項です』と仰っていました」

「な、なら…………あ、あの…………誕生日なので、こ、こういうのは、ど、どうでしょうか?」


 ステラが自分の頭にソレをつけた。

 ――……外の月と星を見つめる。

 僕は、もしや、寝ているのか? これは夢??


「ア、アレン様、ど、どうですか……?」


 ステラが恥ずかしそうに感想を要求してくる。

 

 ――ステラ・ハワード公女殿下が、頭に獣耳の形をした蒼のリボンを着けている!


 グラスのワインを飲み干し、お代わりを注ぎ、再度一口。

 激しく動揺しつつ、質問。


「ス、ステラ、そ、その恰好は、い、いったい……」

「し、親切なメイドさん達が『アレン様は、獣耳なメイドがお好き』と……ダメ、でしたか? メ、メイド服は、あ、明日、着ます……」

「いいえ! 素晴らし――……ち、ち、違うんです」

「……うふふ♪ 御顔が真っ赤です♪」


 ――この後、散々、ステラにからかわれた。

 それでも、穏やかで良い夜だったと思う。


 なお……翌朝、獣耳リボンを着けたままのステラが僕に抱き着いているのを、早起き組であるフェリシアに発見され『……有罪、有罪です! 今日は御仕事、一緒にしてもらいますっ!! …………わ、私だって、私だってっ!!!』と変な風に火を点けることとあいなった。

 ……僕の業、か……。

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