第2章:地下世界
第十話:地下世界へ
「準備は出来たか」
部屋の扉を開けるなり、慎はそう尋ねてきた。
「……うん」
英二は荷物を手に立ち上がった。いよいよこの地上を離れ、地下世界へ旅立つ時がやってきた。いきなり自分がいなくなるなんて、騒ぎになったりしないだろうか。そんな気持ちは自然と浮かんできたが、「大丈夫だ、全て私たちに任せておけ」と慎になだめられてしまっていた。
英二は慎に付いて部屋を出た。玄関に着くと、扉の前で兵馬が既に待っていた。
「よう、英二少年。どうだい、新しい世界へ出発する気分は?」
「まだ全然現実味ないね」
「恐れることはねえぞ。人生はいつだって冒険だ」
兵馬は陽気に言い放ち、扉を開けて外へ出た。
「今日も変わらず調子が良いな、お前は」
慎がそれに続く。
人生はいつだって冒険、か。英二は兵馬の言葉を心の中で反芻し、入り口の扉をくぐった。
兵馬の運転する車は、この前と変わらず急速度で進んでいた。後部座席に座っている英二は、一瞬で背後に消えて行く窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。
「さて、いよいよ地下世界へ向かう。ここからの流れを説明しよう」
慎が半身になって英二に向き合い、口を開いた。
やっとか、と英二は思った。
その地下世界とやらへはどうやったら行くことが出来るのか、という疑問は当然ながら英二は抱いていたし尋ねもしていた。しかし「当日になったら説明するよ」と言われ煙に巻かれていたのだ。
「地下世界へ行く方法はただ一つ、専用のエレベーターを利用することだ」
「エレベーター……?」
「ああ、普通のものとはまったくの別物で、一般人はその存在を当然知ることはない。限られた者のみが利用することを許された特殊なエレベーターだ」
「いったいどこにそんなものが……」
「これからマクアケというビルへ向かう。ショッピングエリアやオフィスフロアも入っている複合ビルだ」
マクアケと言えばまだ高校生の英二でも知っている有名なビルだ。平日、休日を問わずたくさんの人で賑わっているはずだが、そこが地下世界へつながっているとは俄に信じ難い。
「そのビルのエレベーターから、地下世界へと降りることが出来る」
「そこからは、また専用の地下鉄に乗るんだ」
兵馬が運転席から補足する。
「乗り方は普通の電車とさして変わらない。駅に着いたらまず切符を買う。で、指定の電車に乗り込んで出発を待てば良い。後は地下鉄が勝手に地下世界の中を運んでくれる。どうだ、簡単だろ?」
「まあ、それぐらいなら」
マクアケへと向かってスピードを上げる車の中で、英二は地下世界の想像を膨らませてみたが、すぐに諦めた。英二はここ数日で、人間の想像力というものがいかに貧困で、人は自分の目で見たものを基点にしか考えられないのだということを痛感していた。
それから15分ほどで車はマクアケビルの裏の駐車場へと到着した。
「着きましたっと」
兵馬の声とともに車は完全に停止した。一同は車を降りて駐車場を後にし、マクアケ1階のエレベーターホールへと向かった。エレベーターホールは、今日が平日ということもあり特に混雑はしていなかった。これからショッピングでもするのであろう若い女性達が数名、ぱらぱらとエレベーターの到着を待っているだけだった。エレベーターは全部で5台あり、そのうちの左から2番目の台のみボタンが黄色く点灯していた。
慎と兵馬はそれらのエレベーターのうち、一番右側に位置するものに向かって進んだ。英二もそれに従い、3人はそのエレベーターの前で立ち止まった。ここは1階で、マクアケには地下フロアがない。そのため、エレベーターのボタンには当然上向きのボタンしか備え付けられていない。
「面白いものを見せてやろう」
慎はそう言うと右手を上げ、エレベーターのボタンの前にかざした。すると不思議なことに、そこにはあるはずのない下向きのボタンが急に出現した。
「えっ、ボタンが急に出来た?」
「出来たというより、元からあったものが見えるようになったという方が正確だな」
慎はかざした右手でそのボタンを押した。待つこと数秒、上階からエレベーターが到着した。ここより下の階はないはずなのに、進行方向を表す矢印は下を指している。周りの人々はこちらの不可思議な状況には気付いていないようだ。
「さあ、乗るぞ」
英二は2人に続いてそのエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの扉が閉まると、慎はまたしても右手を階別のボタンの前にかざした。
すると再び、これまでは存在していなかったボタンが一番下に出現した。ボタンの中に書かれている文字は『US』。慎はそのボタンを迷うことなく押した。
指示を受けたエレベーターは、本来存在するはずのない地下階に向かって動き始めた。
「USってどういう意味?」
英二は慎に尋ねてみた。
「Under Stationの略さ。つまり地下世界の駅に向かって降りているってことだ。到着まではしばらく時間がかかるぞ」
エレベーターは徐々に下降スピードを上げていった。
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