ティアドロップ

桂 海人

プロローグ

温室の少女たち

 メーテルリンクの物語とは違って、幸せはすぐそばにあるわけではない。

 いや、あれは世界中を旅してようやく本当の幸福がすぐそばにあることに気がつく話だったか。

 でも、それが解るほどに世界を旅するには子供たちの歩幅は小さく、身体はか細く、それなのに世界は広く、凍えるほどに寒いのだ。

 それでも、探さなければならない。見つけなければならない。

 でなければ……。


***


 まばらに並ぶ街灯の間を、二つの影が伸び縮みしながら滑るように移動していく。

 それは若い兄妹だった。

 少年はもたつく妹の手を引いて、古びた石畳の路地を駆けている。

「あの人、死んだかな?」

「そんなわけないだろう!?」

 彼らはけちなコソ泥で、住処のある貧民街からほど近いトラッド区画と呼ばれる住宅地で盗みを働きながら暮らしていた。

 少年は“能力者”だった為、施錠されたドアを開ける事など造作もなく、そのお陰で空き巣に忍び込んで日々の糧を得るのは難しくなかったが、とうとう焼きが回ったのだった。

 今日は妹が一緒に行動していたせいか気が大きくなっていたのもあるだろう。

 点きっぱなしのテレビ、リビングのテーブルの上に並べられた料理。家の主人が長く不在にする筈がない状況だったが、そこにあった唐揚げがほこほこ湯気を立てている誘惑に抗えなかった。

 今思えばあまりにも無警戒だったが、二人で久々の温かい食事にありつき、そして物色を続けるかと振り返ったところ、ゴルフクラブを抱えた初老の男と鉢合わせてしまったのだ。どうやら家の主人は警察に突き出す前に個人的な制裁を加えるつもりらしかった。

 少年の“能力”が戦闘に特化していない事が災いした。格好良く大人を制圧するという選択肢が無いのだ。

 がなりたてる主人がゴルフクラブを振り上げるタイミングで少年は懐に飛び込んだ。体格が違いすぎる相手と取っ組み合いになっても勝てないことは経験上理解していたが、妹を守らなければいけないからだ。

 こうすれば妹が逃げる時間を稼ぐくらいは出来る。

 逃げろ! と叫んで見た視線の先、妹は部屋の隅に置かれたゴルフバッグからパターを引き抜くとすかさず一閃。

 思い切りの良さは妹が上手だった。

 後頭部にスナップの利いた鉄の塊を受けた主人は声も無くそのままうつ伏せに倒れた。

 その後、兄妹は自分たちの痕跡を隠蔽することも無く逃げ出したのだ。


(……あの近辺には暫く盗みに入れないな)

 そんな事を他人事のように考える。

 あの男が生きていれば、自分たちの姿は自警団などにも周知されることになる。死んでいれば妹に殺人の罪を背負わせてしまったことになる。どちらにしろ頭の痛い事だ。


 坂道に差し掛かる。視線の先にある高台のような所に立つ街灯の近くに、人影がひとつ、ぽつんと立ちすくんでいた。

 まだ人が居なくなる時間帯ではないが少年は警戒した。走るペースを落とし、妹を死角となる自分の背後に隠してやり過ごそうとするが、

「今晩は星が良く見えるね」

 人影は話しかけてきた。

 少年がそちらに顔を向けると人影だったものが一歩踏み出す。灯りに照らされ姿が露わになった。

 長身の男だった。中折れ帽子のつばの部分が影となって表情の全ては窺い知れず、柔らかく微笑む口元のみ判別がつく。

 暑苦しい黒の外套を纏っており、広い肩幅や、しっかりと大地を踏みしめる足元から大木の幹を連想させた。先ほど争った空き巣の主人の倍の体積はありそうだと少年は思う。

 問い掛けは、兄妹を警戒させないようつとめて軽く発した言葉であったようだが、それはつまりただ戯れにした挨拶では無く、明確に二人に接触する事が目的であると言っているようなものであった。

 少年は答えず、男の傍を通り過ぎる。


「君たちが襲ったおじさんね、怪我はしたけど無事みたいだ」


 びん、と。弾かれた定規のように立ち止まる。振り返って男を確認する勇気がない。向こうも、特に近づいてくる気配は無い。それでも、少しでも動く気配があれば瞬間的に駆け出せるよう足に力を込め、繋いだ手をしっかりと絡め直す。妹も兄の意を汲んだように握り返した。


「おじさんの話では、出入り口は全て施錠されていたそうだけど、それが本当ならこじ開けた形跡が残る筈なんだ。でも、扉は傷ひとつ無かった。裏側から誰かが開けてくれたみたいにね」

「さて、どうやったのかな?」

「しらない」

「ほんとうに?」

「知らないってば!!」


 振り返って怒鳴りつける。男は先ほどの場所から動いてはいなかったが、帽子のつばを持ち上げて少年を凝視していた。


「きみは……ミメーシス能力者だね」

「つ!?」


 少年は自分の持つ能力がそのような名称で呼ばれている事を初めて聞いた。

 それでも、その言葉の意味するところを理解して身構える。

 貧民街ではまことしやかにながれる噂があった。この特殊な力を狙っている集団が居て、もし捕まればただでは済まないと。


「ひとつ良いことを教えてあげよう。ミメーシス能力者はバイオフォトン放射と呼ばれる生体発光をする特徴がある」

「ただこれは微弱でね、今みたいな薄暗い環境で、感情が昂った状態であること、さらに身体のある一部分でしか確認することが出来ないんだ」


 少年はハッとして顔を背けるがもう遅い。視線の方向からして、恐らく判断材料にされたのは顔のどこかだ。どうして今まで気がつかなかったのだろう。


「公には存在が証明されていないのが君たちみたいな子供だ。何もなければ干渉はされなくて済む。でも、能力を使って犯罪に手を染めれば話は別だ」

「悪事を働けば、首輪が必要になる。わかるね?」

「そんなの誰がっ、誰が決めたんだよ!」


 男はほんの少し逡巡するとこう答えた。


「決めたのは強い奴さ。弱い奴は従わないといけない」


 そしてこちらに踏み出してくる。

 少年は弾かれたように走り出す。タイミングの遅れた妹と繋いだままだった手は、引き千切れるような痛みを伴って解けた。

「あっ!」

「ばかっ!」

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 妹が転ばなかったのは幸いだ。

 泣きながら付いてくるのを尻目に、貧民街への入り口へと駆ける。逃げ切るためにはここで上手く巻くしかない。

 入り口には男の仲間と思しき見張りがいた。ねずみ色をした作業着と、顔全体を覆う気味の悪いマスクを着用している。

 驚いたのはその体躯が極端に小さいことだ。少年と同じか、むしろ小さいくらいである。全速力で走る勢いのまま体当たりすれば恐らくは自分でも突破できると算段した。

 見張りは今しがた気が付いたようにこちらに向けて姿勢を正すと、ズボンのポケットからおもちゃみたいな鉄砲を取り出そうとした(多分電極が飛び出して痺れさせるヤツだ。食らったことがあるから知っている)が、銃身のどこかが引っかかったのか中々出てこない。

 チャンスだ。

 向こうが照準を合わせるよりもこちらの体当たりのほうが早い。全速力で走る勢いのまま飛びかかる。

 衝撃の瞬間、小さく悲鳴が聞こえた。

 自分以上に軽くて華奢な身体は、簡単に押し倒すことができた。

 相手が女の子だった事に多少気が咎めたが、こちらだって自分の身の安全が掛かっているのだ。気を遣う必要なんて無い。障害の無くなった路地へ妹を先に逃すと、少年は今度は90度別の方向を向いて駆け出した。狙いはきっと自分だ。こうすれば妹には手が及ばないのではと考えたのだ。そうでなくても今は追っ手を少しでも分散させたい。

 こうなった時に落ち合う場所は以前から二人で決めていた。まずは無事に逃げ延びる事が先決。

 男も虚を突かれたか、素早い動きに対応できていないようだった。

 少年はカモシカのごとく坂を下り、あっという間に高台から見えない場所まで走り抜けたのだった。


***


 少女は不快感のあるラバー製のマスクを脱ぎ捨てた。髪のサイドをちいさく結った三つ編みがするりと垂れる。朝露に濡れたような艶のある黒髪から、よく手入れされている事が分かる。貧民街には似合わない。

 意志の強さを感じさせる大きな瞳に、電灯の灯りが映り込んで淡い光を反射した。

「ふぅ…」

 可愛くないねずみ色のツナギも脱いでしまいたいがそうもいかないので止水ジッパーを半分だけ下げて胸元を楽にした。

 一緒に胸元からスカーフがびょんと飛び出す。首元を暖めるには時期が違うが、彼女は気にした風もなく結び目を綺麗に直したりしている。

 先ほどの体当たりの際、ツナギの衝撃軽減機構がうまく働いたようで怪我はなかった(大人達は冗談めかしてチョパ◯アーマーと言っていたがよくわからない)

 ただ、尻もちをついた瞬間に大きく弾けるような感覚があったのでその部分が破けていやしないか弄ってしまう。大丈夫なようだ。

「逃げられた」

「いや、問題無い」

 路地の暗がりの向こうから、外套の男が戻ってきた。小脇には先ほど走り去った妹の方が抱えられている。

「はなせー!はーなーせー!」

 彼女は暴れたが、両腕は拘束され足は宙に浮いた状態のため抵抗は意味をなしていない。

「君のお兄さん、隣の区画の方に1人で逃げてしまったみたいだよ」

「そんなわけあるか!ばか!しね!」

「うわ、貧相な語彙……」

「うっさいチビ!」

 少年の妹がツナギの少女を罵るとすかさず食ってかかる。

「なんだとこのブス!」

 あとは悪口の応酬である。

「おまえ達なんか、兄さんがまとめてぶっ飛ばしてやるんだから!」

「随分と信用しているようだね、お兄さんの事」

「助けに戻ってくるというなら手間が省ける」

 そう言いながら男が取り出したのは厳つい無線通信機だった。

 咳払いをひとつして、無線機に話しかける。

「こちらライオンさん。全員聞こえているか?」

 いたって真面目なトーンからのライオンさん発言に妹は男の表情をまじまじと見てしまう。彼は真面目な顔をしていた。

「……ゾウさん了解。聞こえてる」

 少し恥じらいの混じった声が無線機の向こうから聞こえる。

「ヒヨコさん了解です。問題ありません」

 別の声が無線機から発せられる。こちらは鈴のように澄んだ声色だった。

「キリンさん了解。もう、この呼び方恥ずかしい」

 傍のツナギの少女も不服そうに答える。

 声色の違いから、ここにいる以外にも2人。

 兄妹にとっては全部で4人の敵がいるという事らしい。

「全員聞こえているな、じゃあ説明をはじめる」

「対象をフラワーと仮称。これより捕獲作戦を開始。まずは……」


***

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