7.打ち明け話
「……でも姉さんの言う通り、そういう価値観の違いって、大抵のカップルには多かれ少なかれあるものよ? 姉さん夫婦が特殊なだけだから」
「それは確かに、そうだと思うけど……」
再び聞こえて来た美恵と美実の会話は、それなりに冷静に聞こえる物だった。
「それを当人同士で話し合って一つずつ解決したり、折り合いを付けていくのが、夫婦って物なんじゃないの? あんたの考えは極端過ぎるわ」
「でも、結婚するとなったら、本人同士だけの話じゃ済まないじゃない?」
そんな問題提起をしてきた美実に、既婚者の立場から美恵も素直に同意する。
「まあ……、それはそうね。でも幸い、私は康太の実家とは、それなりに上手くやっていると思うし」
「そうなの? 家事が得意じゃないのに?」
その何気ない口調での質問に、美恵は若干嫌そうな口調で答えた。
「……一言余計よ。それに初対面の時に、堂々と宣言したもの。『家事は苦手で家の事は満足にできないかもしれませんが、生活費は自力で稼ぎます』って。そうしたら『康太が風来坊で申し訳ない。宜しくお願いします』と頭を下げられたわ。一応心配したけど、『案ずるより産むが易し』って、正にあの事よね」
「冒険家なんてやっているから、相当家族に心配されていたみたいね……」
そんな事をしみじみとした口調で美実が呟くと、美恵が淡々と話を続ける。
「それは分かっていたし。それで『康太の好物の、茶碗蒸しの作り方を教えて下さい』ってお願いして、そこに滞在中ずっと特訓して貰ったの。本当にそれだけして、変に会話が途切れたり気まずい思いをする事も無かったから、精神的には楽だったわ。『何か料理について聞きたい事があったら、いつでも聞いて』と言われて、その時にお義母さんと電話番号とメルアドの交換もして、時々やり取りしているのよ」
「そうなんだ……」
「何? どうかしたの?」
ここで妹が、何やら急に暗い顔付きになった事に気が付いた美恵が声をかけると、美実がかなり迷う素振りを見せてから、ぼそぼそと言い出した。
「実は……。私、去年の冬……、淳の実家に連れて行かれたの」
「え? ちょっと待って、何それ? 私、全然聞いてないけど!? 姉さんが私に言わなかっただけ?」
寝耳に水の話を聞かされた美恵は、家を出ていた自分には言っていなかっただけかと、慌てて確認を入れたが、美実は首を振った。
「ううん。だって美子姉さんを含めて、この事は、今まで誰にも行ってないし……」
「どういう事?」
益々訳が分からなくなったらしい、困惑した美恵の声が室内に響いたが、それを聞いた美子と秀明は、揃って無言で淳に視線を向けた。そして嫌な予感を覚えた淳が冷や汗を流し始める中、美実の打ち明け話が続く。
「その事、事前に淳から聞いて無かったの。ただ一緒に、二泊三日でスキーに行くつもりで……」
「それなら覚えてるわ。久し振りに帰って来たら、お父さんの機嫌がもの凄く悪かったもの。それで?」
あの時かと納得しながら美恵が続きを促すと、美実が徐々に涙声になりながら話を続けた。
「スキー場に隣接したホテルにチェックインしたら、ちょっと出かけるからって淳が言い出して。どこに行くのかなって、思ってたらっ……、ちょっと離れた温泉街に入って、そしたら……、旅館……、実家っ……」
「はぁ!? あんたまさか、小早川さんの実家が近くにあるって、その時まで全く知らなかったわけ?」
段々消え入りそうになりながらの美実の話を聞いた美恵は、本気で驚いた声を上げた。と同時に、美子と秀明の、淳に向ける視線も若干険しい物になる。
「うんっ……、だって、淳は……、『家業も継がないで好き勝手してる放蕩息子って、家族全員呆れてるからな』とか言って、殆ど話してくれなかったし……。旅館を経営してる事は知っていたけど、名前も場所も知らなかったし。知っていたら……、せっかく近くなんだから、実家に顔を出すか、売上に貢献する為に泊まろうって言ったものっ……」
「…………」
そこまで言ってぐすぐすとすすり泣きを始めた音声が伝わってきた為、更に美子の顔付きが険しくなった。そして美恵と秀明が頭を抱える中、状況は悪化の一途を辿った。
「それで? そこで、何かあったのよね?」
「……うん」
そこで何とか気持ちを落ち着けたらしい美実が、当時を思い出しながら話を続ける。
「いきなり玄関から入った淳が、『近くまで来たから、親父とお袋に顔を見せに来た』って言って、それで漸くそこが淳の実家って分かって。慌てて挨拶しようとしたら、緊張して思いっきり舌を噛んじゃっ……、淳を含めた皆に、大笑いされっ……」
「いやっ、それは、ちょっと驚かせようかなって軽い気持ちで。それに本当にちょっとだけ、顔を見せるつもり」
「静かに」
「…………」
美実の泣き声を聞いて、淳は焦った様に弁解してきたが、それを美子が静かに、しかし鋭く制止した。そして再び、室内にレコーダーの音声のみが響く。
「……ああ、うん。それは慌てるわよね。それで?」
美恵が宥めながら話を促すと、美実がしゃくりあげながら説明を続けた。
「つ、付き合ってる人の、実家訪問……。それまでっ、色々っ……、考えっ……、うぇぇっ!」
「うん、そうだよね? 普通、色々考えるわよね?」
「ちゃ、ちゃんと……、スーツとか、しっかりした……、好感持たれ……、格好っ……」
「スキーに行くとしか聞いていなかったから、思いっきりカジュアルな服装だったのよね? それは全面的に、あんたのせいじゃないから。気にしないの」
「…………」
優しく宥める美恵の声と美実の完全な泣き声に、先程のやり取りの一部始終を覚えている美恵は座卓に突っ伏して姉から視線を逸らし、その美子はもはや冷え切った視線を淳に向けた。
「それに……、厳選した、手土産の一つも持っ……、ちゃんとっ、ご、ご挨拶をっ……、ふえぇぇっ!」
「ちょっと! そんな事位で、泣かないの! ちょっと初体面で失敗した位で!」
精一杯宥めようとした美恵だったが、美実は益々興奮状態になって泣き叫んだ。
「そ、それにっ! 淳の実家の人、私が淳の交際相手って分かって、凄く嫌そうだったしっ! 結婚するとなったら、否応無しにお互いの家族と行き来しないといけないじゃない! だから淳と結婚なんか、無理なんだもの!!」
「それは……、確かに結婚するとなったら、お互いの家族の好悪の感情って無視できないとは思うけど、気にし過ぎじゃないの? 正式に顔を合わせたわけでも無いんだし」
「だって! しっかり聞いたんだもの!!」
「聞いたって、何を?」
何気なく尋ねた美恵だったが、そこで何故か美実はピタッと泣き止み、恐る恐る確認を入れてくる。
「その……、美恵姉さん」
「急に改まってどうしたのよ?」
「これから話す事は、美子姉さんには内緒にしてくれる? 絶対、激怒するから」
「…………」
その台詞を聞いた美子は無言で美恵を視線を向けたが、美恵は座卓に突っ伏したまま、姉と視線を合わせなかった。
「うん……、姉さんの耳に入れたら、相当拙そうだって事は、あんたのその表情で分かるわ。私だって好き好んで物騒なネタを振り撒くつもりは無いから、安心して。取り敢えず言ってみなさい」
「分かったわ」
そして美実が、緊迫感溢れる口調で話し出す。
「それでその時、旅館の奥のプライベートスペースに通されて、お父さんを相手に淳と三人で暫く話をしてたの。それでお手洗いを借りる為に、中座したんだけど、その時通りかかった部屋の中で、お母さんとお姉さんが話をしていて……。それが廊下まで聞こえてきて……」
「なんて言ってたの?」
「……本当に、美子姉さんには内緒にしてくれる?」
「くどいわね。私が信用できないわけ?」
「そういうわけじゃないけど……」
まだ少し気が進まない感じの美実だったが、美恵が苛ついた声を出した為、重い口を開いた。
「その時……、『こんなに近くまで来たのに、わざわざホテルを取るなんて、今時の子は古臭いのは嫌いと見えるわね』とか、『大体、恋人の実家に顔を出すのに、手土産の一つも持参しないなんて、常識知らずも良いところよ』とか、『まともに挨拶もできないし、普段敬語なんかも使って無いんでしょうね』とか、『淳も馬鹿よね。若いだけが取り柄の、頭が軽そうな子に引っかかるなんて。淳を家の経営に携わらせ無くて正解。あんな子に女将業なんて務まるはず無いもの』とか、『淳から前にチラッと電話で聞いた事があるけど、あの子の母親は長患いした後、亡くなってるそうよ。だから親からまともな躾とかされていないだけよ。まあ、可哀想と言えば可哀想じゃない。大目に見てあげたら?』とか、美子姉さんが聞いたら『妹を馬鹿にしただけでは飽き足らず、母まで侮辱する気!?』って間違いなく激怒して、旅館に放火しかねない話を」
「ちょっと待って、姉さん! お願いだから落ち着いて!!」
美子が腕を伸ばした気配を察知した美恵が顔を上げると、姉が無表情で座卓に並べていた包丁の一つを掴んだ所だった為、美恵は悲鳴じみた声を上げて美子の腕に組み付いた。そして向かい側の男二人が動揺して僅かに腰を浮かせる中、姉妹での怒鳴り合いに突入した。
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