5、姉達の誘導工作

「……れで、思わず淳をワインボトルで殴っちゃって」

「そもそもそれが間違っているでしょう!! 大体ボトルが空になっていたって事は、あなたも相当飲んだのよね? 妊婦がそんなに飲酒して良いと思ってるわけ!? 反省しなさい!!」

「すみません、忘れてました! ごめんなさいぃぃ~!!」

「…………」

 激怒している美子の声と、泣き叫ぶ美実の声が入り混じり、室内全員の視線が美子に集まった。それを認識した美子の片眉がぴくっと上がったが、美恵が慌ててレコーダーの再生を停止させて、早送りの操作をする。


「ごめん、ちょっと早すぎたわ。これから三分位、飲酒についての美子姉さんのお説教が続いたから、飛ばして、……っと。ここら辺かな? 本当に姉さんの怒鳴り声って、耳に響くわよね」

「余計なお世話よ」

 美恵の言葉に美子が嫌そうに顔を顰めたところで、美子達が想定していた箇所の再生が始まる。


「……それで? どうして妊娠したら小早川さんと別れる事になるのか、私達にも分かる様に説明して頂戴」

「普通だったら、小早川さん以外の男の子供を妊娠したから、別れるってパターンよね?」

(そうだろう! 誰でも普通、そう考えるよな!?)

 聞こえてくる姉二人の主張に、淳は真顔で頷きつつ、黙っている彼女達に視線を向けたが、何故か彼女達は何とも言い難い表情で淳を見返した。そんな中、淡々と姉妹のやり取りの再生が続く。


「そうじゃないし……、淳の子供だもの」

「それならどうして?」

「だって、淳とは結婚できないし。それなのに子供を生んで纏わりついてたら、周りの人から何だと思われるでしょう? だから子供にはちゃんと淳の事をお父さんって教えるけど、生まれる前にすっぱり別れて、淳はちゃんと結婚できる相手を探せば良いと思ったから」

 それを聞いた姉達は、益々困惑した声を出した。


「益々意味不明よ」

「どうして結婚できないと思うの? あなた達、二人とも独身でしょう?」

「だって恋愛と結婚は、全くの別物じゃない」

「…………」

 そこで唐突に無音になり、淳と秀明は(故障か?)と思って声をかけようとしたが、少しして美実の声が聞こえた。


「美子姉さんも美恵姉さんも、急に黙ってどうしたの?」

 その不思議そうな問いかけに、二人が脱力した様に応じる。


「……なんか急に、真っ当な台詞が出てきて驚いたわ」

「とにかく、もう少し分かりやすくお願い」

「だって淳は恋人としてはなかなかだし、遺伝子的も子供の父親としては有望よ? だけど住居が高層マンション好きでバリバリ猫派で、洋食系で朝ご飯はパンで、キャベツに付く虫も嫌いで、車はスポーツカーが好きなんだもの!!」

「…………」

 口にしているうちに興奮してきたのか、最後は叫ぶように告げてきた美実に、姉二人は咄嗟に何も言わなかったらしく、再び無音になった。そこで美子が美恵に目配せで再生を停止させ、淳に視線を向けて静かに問いかける。


「これを聞いての感想を、小早川さんにお聞きしたいのですが」

「はぁ? 感想と言っても……、俺の好みを良く分かってるって事だけだが?」

 本気で当惑した表情になった淳だが、その横で秀明が深々と溜め息を吐いて呟いた。


「馬鹿か、お前……」

「何だと?」

「僕の、私の、将来の夢」

「はい?」

 思わず気色ばんで秀明に詰め寄ろうとした淳だったが、いきなり美子が脈絡の無さそうな事を言い出した為、戸惑った表情になった。しかし彼の困惑など物ともせず、美子が話を続ける。


「幼稚園や小学校低学年の頃、そんなテーマで絵を描いたり作文を書いたりした記憶はありませんか?」

「それは……、確かにあるが。それが?」

「美実は幼稚園の時、『お姫様』って書いたんです」

「……ぶっ、ははっ! おっ、お姫様って!」

 思わず噴き出した淳だったが、美子は真顔で話を続けた。


「白馬に乗ってやってきた王子様が、自分にかけられた呪いを解くと、髪と瞳の色が元の金色に戻って、二人でおとぎの国に戻って末永く幸せに暮らすと言う話を、自宅に持って帰った絵を前にして、小一時間熱く語って聞かせてくれました」

「小一時間って……」

 唖然とした淳だったが、美子と美恵が沈鬱な面持ちで続けた。


「その時は、単に想像力が人よりちょっと旺盛、位に思っていたけど……」

「小学校の卒業文集で『十年後の私』のテーマで文章を書く事になった時、あの子堂々と、深紅の薔薇を敷き詰めた四頭立ての馬車に乗った王子様が自分を迎えに来て、艱難辛苦を乗り越えて幸せになるっていう、壮大な原稿用紙百枚分の話を、担任に提出したの」

「すぐに担任から電話がかかってきて、『二百字以内で端的に、実現可能な目標を書かせて下さい』と懇願されて。その時『この夢想家ぶりを今のうちに何とかしないと、この子は将来ろくでもない男に騙されて、ボロボロにされて捨てられる』と戦慄したわ」

「…………」

 もう言葉が無い男二人を半ば無視して、美子と美恵は顔を見合わせ、しみじみと言い出した。


「それからは、大変だったわね」

「本当ね……」

「何が大変だったんだ?」

 思わず秀明が口を挟むと、美子達は再度顔を見合わせてから、口々に言い出した。


「あの子は想像力逞しい上に、すぐに惚れっぽいと言うか陶酔し易い子だったの。『あの選手、ストイックで素敵』とか『あの俳優さん、愛妻家で有名なんだよね』とか『あの政治家の人、理想に突き進む立派な人だわ』とか崇拝する人間が沢山いて」

「私と姉さんで、美実が口走った名前を控えておいて、それから情報番組や週刊誌、果てはスポーツ新聞まで定期購読して徹底的にチェックしまくって、そいつらの粗探しをしたのよ」

「脱税や収賄で捕まったとか、ドーピングや八百長に絡んでたとか、浮気したり愛人や隠し子がいたとかの情報を掴む毎に、逐一あの子に教えてあげて」

「その甲斐あって、あの子は中三の時には『男って……、金と女を漁るしか能がない、地球上で最も醜い生物よね』と、暗い顔で言っていたし。それを聞いて、勝ったと思ったわ」

「同感。きっと後にも先にも、あれだけ姉さんと共感できる事柄なんて無いわよ」

 そんな事を言って真顔で頷き合う姉妹を見て、男二人は戦慄した。


(『勝った』って、一体何にだ?)

(二人とも、容赦ないな。ちょっと酷くないか?)

 そのまま無言になった彼等には構わず、美子達が話し続ける。


「それで当時、軽い男性不信に陥った後遺症で、変な方向に走ったのは想定外だったけど」

「姉さん。それは後遺症って言うより、副作用の類じゃない? 現に今では別に男性を毛嫌いなんかしないで、普通に接してる訳だし、全然問題ないわよ」

「おい、ちょっと待て。その『変な方向』とか『副作用』って、まさか……」

 思い当たる節がある淳が慌てて会話に割り込むと、美子は事も無げに暴露話を続けた。


「ある日、何かが急に吹っ切れたらしくて『男と女だと欲得ずくのドロドロした関係だけど、同性同士なら純愛よね!』って言い出してBLに走った時には、流石にちょっと動揺したわね」

「でも女同士だと色々問題あるけど、男同士だったら実害はないから、温かく見守る事にしたのよ。その類の話を書き始めたら格段に性格が明るくなったし、趣味の合う友達もできたし」

 うんうんと満足げに頷く美恵を見て、淳は我慢できずに悪友を指さしながら盛大に文句を言った。


「実害大有りだろ!? 美実の商業デビュー作の主人公二人は、俺とこいつがモデルなんだぞ!?」

「……不愉快な事を思い出させるな」

 淳の横で秀明が片手で顔を覆ったが、美子達は平然と言い返した。


「あら、恋人の仕事に協力して、一肌脱ぐ位当然でしょうが」

「それにあの本の挿し絵、二人のイメージピッタリな上、二割り増し男前に描かれていて素敵よ?」

「美子……、真顔でフォローになってない事を言うのは止めてくれ。頼むから」

 秀明が俯いたまま疲労感満載の声を漏らすと、美恵が我に返った様に指摘した。


「姉さん、話が大幅に逸れたわ」

「そうね」

 それに美子は素直に頷き、淳に向き直って話を続けた。

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