(22)不穏な空気

「ご歓談中のところ、失礼致します」

 近づいて清人が声をかけると、夫婦を囲んでいた者達が一斉に振り向いた。すると輪の中心にいた男性が、機嫌よく声をかけてくる。


「うん? ああ、清人か。久しぶりだな」

「先輩、大変ご無沙汰しております。披露宴が始まる前に、一度ご挨拶をと思いまして、新郎と共に参りました」

 そのやり取りの間に誰からともなく移動し、清人たちと藤宮夫妻の間からは人がいなくなった。


「おいおい、なにも新郎を同行させて来ることはないだろうに」

「まあ、色々準備が大変なのではない? わざわざ挨拶に出向いてくださるなんて、申し訳なかったわ」

「いえ、私も直接ご挨拶したかったものですから。本日の新郎の、松原友之です。本日は私達の結婚披露宴にご足労いただき、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」

 苦笑した夫婦に対し、ここで友之は挨拶をしつつ頭を下げた。それを見た夫人の方が、穏やかに微笑み返す。


「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。藤宮美子です。本日は誠に、おめでとうごさいます。こちらが無理を言ったことでもありますので、却って恐縮しております」

「藤宮秀明だ。一之瀬社長から君の話は色々聞いているが、人物評に関しては少々乖離しているところがあるかもしれないな。実際は、聞いた通りかもしれないが」

 美子の良識的な台詞に、友之が内心で安堵した。しかし秀明の含み笑いでの台詞に、嫌な予感を覚える。


「あの……、義父からはどのような話を……」

「そうだなあ……、例えば『あいつにお義父さんなどと呼ばれてたまるか‼︎』と、錯乱していた時もあったな。他にも色々と……」

「…………」

「あなた? これから披露宴の新郎を、からかうものではないわよ?」

 どうにも裏があるような笑顔に、その場に微妙な沈黙が満ちる。さすがに美子が苦言を呈したが、ここで新婦の兄である豊が現れた。


「藤宮社長、もういらしていたんですか。ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」

 再びその場全員がその声のした方に向き直り、秀明は気安く声をかける。


「やあ、豊君。お父上は元気かい? 今日は親子ともども、心穏やかに過ごせれば良いな」

 しかし豊は、真底うんざりした表情になって愚痴を零してきた。


「藤宮社長……。皮肉を言わないでください。母に会える機会でもなければ、父は妹の披露宴なんてぶち壊す気満々で乗り込んできますよ」

「娘の結婚が悲しくて、泣き濡れていないだけマシか」

「今は母からきっかり5メートル離れつつ必死に声をかけていますので、後から改めて父を引きずって挨拶に伺います」

「一之瀬社長も君も大変だな」

 楽しげに笑い出す秀明の隣で、美子が少々不思議そうに尋ねてくる。


「そうであればこちらから、ご両親へ挨拶に出向きますわ。親族でもないのに、ごり押しして招待していただいたのですもの。でもどうしてお二人が5メートル離れているのか、お聞きしてもよろしいかしら?」

「構いませんよ? 座っている時ならともかく、立っているならそれくらいは離れていろと、母に厳命されているからです」

 豊が真顔で説明すると、美子は驚いた表情になった。


「それを律儀に守っていらしゃるの? なんて健気なお父様かしら。今でもお母様のことが、本当にお好きなのね」

「はあ……、まあ、そうなんでしょうね……。それでは両親の所にご案内しますが、皆さんとのお話は大丈夫でしょうか?」

 一瞬、何か言いたげな表情になったものの、豊は神妙に周囲にお伺いを立ててきた。急に話の矛先を向けられた男達は、慌てて了承の返事をする。


「あ、ああ。藤宮さんへの挨拶は済んでいるし、気にしないでくれたまえ」

「また後で、お話させてもらうから」

「ご案内してくれて構いません」

「それではお二人とも、こちらへどうぞ。母に紹介します。ついでに父に挨拶させますから」

「そうだな。この際、女傑のご尊顔を拝したい。それでは皆様、また後程」

「失礼いたします」

 周囲に軽く断りを入れて、夫妻は豊の先導に従ってその場を離れた。すると誰からともなく、安堵の溜め息が漏れる。


「疲れた……」

「いやあ、肝が縮んだぞ」

「まさか桜査警公社のトップが、一企業の社長令息の結婚披露宴に出席するとは……」

「しかも新郎側ではなく、新婦側の招待客ですからね」

「あの人とあんなに自然に、対等に会話しているだなんて……。あの人に、それなりに認められていなければ不可能だ。友之。お前の義兄、人畜無害そうな顔をして、とんだ食わせものらしいな」

 先程の豊と秀明のやり取りを凝視していた清人が、若干険しい表情で断言した。すると先程夫婦を囲んでいた者達の中から、呟き声が漏れる。


「ええ、父親は一代で名を成した名経営者として名高いですが、息子はそれ以上だと当行の上層部では評判ですよ。うちも危うく、大損害を被る羽目になる所でしたからね」

「それは穏やかではありませんな……。久米川さん、支障がなければお伺いしたいが」

 長年付き合いのある主要銀行頭取に孝男が声をかけると、久米川は僅かに声を潜めて話し出した。


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