(19)残念な男
その週の土曜日の午後。沙織と予め打ち合わせ、友之は彼女を迎えに和洋の自宅マンションに出向いた。
「いらっしゃい」
「沙織、一之瀬さんの機嫌は?」
「当然、良くは無いわよ」
「そうだろうな……」
玄関のドアを開けてくれた沙織の背後に和洋が居ないのを見て取った友之が尋ねてみると、苦笑いでの答えが返ってくる。友之はそれに溜め息を吐いてから靴を脱いで上がり込み、奥のリビングへと進んだ。
「和洋さん、友之さんが来たわ」
「一之瀬さん。お邪魔します」
「…………ああ」
(分かってはいるがな。娘を奪い取る奴なんか、どんな男でも気に入らないだろうという事は)
十分な広さのリビングに配置された、立派なソファーセットに一人で座っていた和洋は、如何にも面白く無さそうに短く応じただけであり、友之は改めて自分自身に気合いを入れた。そして和洋の正面に腰を下ろしてから、神妙に頭を下げる。
「この度は夫婦間の事でお騒がせした上、沙織がお世話になりました」
「沙織の面倒を見るのは、別に構わん。迷惑をかけられたつもりもない」
「恐縮です。それでこれは些少ですが、宜しかったらお召し上がりください」
「沙織が居なくなったら、独り身だからな。こんなに貰っても持て余しそうだ」
「…………」
手土産を紙袋から取り出し、軽く相手に差し出した友之だったが、和洋は素っ気なく言い放ってそっぽを向いた。さすがに友之が次の言葉に迷っていると、和洋の横に座っていた沙織が若干狼狽しながら声をかけてくる。
「あ、あのっ、友之さん! 中身は何か聞いても良い!?」
「カルディスのミルフィーユ、個別包装六種類詰め合わせだ」
「ミルフィーユなら暫く置けるだろうし、個別包装なら会社に持って行って、身近な人に配る事もできるわよね。早速開けて、幾つか食べてみようかしら? ねえ、お父さん?」
愛想笑いに加え、わざわざ「お父さん」と呼び掛けて沙織が宥めると、和洋は表情を変えないまま娘に頼んだ。
「そうだな……。沙織、悪いが人数分珈琲を淹れながら、これを少し出してくれないか?」
「え、ええ、分かったわ。ちょっと待っててね!」
本音を言えば、この状態の二人を放置して大丈夫だろうかとは思ったものの、このまま座っていても事態は改善しないと判断した沙織は、友之から受け取った箱を抱えてキッチンに消えた。
「あの……、一之瀬さん」
「全く、豊の奴。親を脅すなんて、息子のする事か」
「…………」
自分が話しかけたタイミングでぼそりと独り言を呟かれ、友之は再び口を閉ざした。すると数秒後、和洋は友之を睨み付けながら、心底面白く無さそうに言い出す。
「豊が言うには、お前は俺と少し感じが似ているらしい」
「そうですか……。因みにどの辺りがでしょうか?」
少し意外に思いながら慎重に尋ねてみると、容赦の無い答えが返ってくる。
「一見、見た目が良いし仕事もできて、特に欠点らしい所が見受けられないのに、思わぬ所で足元を掬われるタイプだとか。『娘の理想のタイプは父親って言うし、良かったじゃないか』とかほざきやがって。冗談じゃないぞ」
(以前、沙織にも同じような事を言われたな。変な所で、残念なイケメンだとか何とか……)
溜め息を吐きたいのを堪えている友之の目の前で、和洋がいきなり怒気を露にする。
「俺に似ているという事はだ。お前も男や女で、失敗する可能性があるという事だろうが!? ふざけるな!」
(ついこの前、あの女に絡まれたばかりだし。色々心に刺さるな……)
とても反論する気になれなかった友之が、和洋から微妙に視線を逸らしていると、彼が怒りの形相で宣言した。
「良いか。今回は沙織自身がそれほど問題視していないから、矛を収めてやる。しかし、二度は無いと思え!!」
「重々、承知しております」
友之が神妙に深々と頭を下げたところで、準備を済ませた沙織が戻って来る。
「お待たせ。さあ、いただきましょう」
「……ああ」
「いただきます」
何やら騒いでいたのを耳にした沙織は、引き攣り気味の笑顔で二人に珈琲とミルフィーユを勧め、あまり会話は盛り上がらなかったものの問題なく食べ終えた沙織と友之は、引き上げる事となった。
「それじゃあお父さん。私、帰るから。お世話になりました」
沙織は玄関で然り気無く「お父さん」と呼び掛けたものの、和洋は涙目になりながら訴えてくる。
「沙織ちゃん……。帰ってくるのは、こっちや名古屋じゃ無いのかい?」
(う……、失敗した。何も、そんな言葉尻を捉えなくても……)
正直、細かいところはどうでも良いだろうと思った沙織だったが、ここで下手に逆らわない方が良いだろうと判断し、慎重に言い直した。
「ええと……、それじゃあ行くわね。お世話様でした。またこっちに帰って来るから」
「うん。沙織ちゃん。いつでも帰って来て良いからね」
「それでは失礼します」
「お前は来なくて良いからな」
「……分かりました」
友之の挨拶に和洋は即座に言い返したが、友之も余計な事は口にせずにその場を引き下がった。
「友之さん、迎えに来てくれてありがとう。お疲れ様でした」
二人で駐車場に向かいながら、ボストンバッグを乗せたスーツケースを引いてくれている友之に、沙織は礼を述べた。それに友之が苦笑で応じる。
「大した事では無いし、お義父さんからすれば俺が気に入らないのは当然だから、仕方がないさ」
「ところで、さっき二人で何を話していたの?」
「多少、釘を刺された程度だ。沙織は気にしなくて良い」
「そうなの?」
「ああ」
(こういう時、何を言われたのか、聞いても口は割らないわね)
全くいつも通りの反応である友之を見て、沙織はそれ以上追及しても無駄だと判断した。
それから近くのコインパーキングに停めてあった友之の車に乗り込んで走り出してから、友之が切り出してくる。
「沙織、もうすぐ7月になるが、夏期休暇はどうする?」
その唐突な問いに、沙織は意表を衝かれながら答えた。
「え? ああ、そうね……。すっかり忘れていたわ。どうしようかな……」
「8月後半に二人で取って、どこかでのんびりしてこようかと考えていたんだが」
「それは良いけど、二人で同時期に取って、周りに何か言われない?」
「皆、入れ替わり立ち替わり休暇を取るんだ。一々チェックする人間もいないだろう。偶々、取得時期が重なったと思うだけだ」
「それもそうね。じゃあその時期で良いわ。それを楽しみに、暫く頑張って働きますか」
「そうだな」
機嫌良く応じた沙織に、この間気が休まらずに休暇どころでは無かった友之は、安堵しながら自宅に向けて車を走らせていった。
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