(17)家出騒動の顛末
「豊さん、今夜は本当にお世話になりました」
店を出てからすぐにタクシーに乗り込んだ和洋と沙織を見送ってから、友之は豊に向き直って改めて頭を下げた。それに豊は笑って「歩きながら話しましょうか」と促し、最寄り駅に向かって歩き出す。
「大した事はしていませんから。今回のは、『喧嘩するほど仲が良い』ってやつですよ」
「はぁ……、そう言っていただけると……」
「お袋も、半ば笑い飛ばしていましたからね。『まともに喧嘩している位だから、気にする事も無いでしょう。相手には笑顔で変わりなく接しながら、SNSで愚痴や誹謗中傷を書き込みまくった挙げ句、自分は被害者だと逆ギレするパターンと比べたら、本当に可愛いものだわ』と、最後の方でしみじみ言っていましたから」
そう言った豊が苦笑いすると、友之は微妙な表情になった。
「……お義母さんも仕事上で、色々とご苦労されているようですね」
「それでお袋は特に気にしてはいませんが、友之さんの方が気にするなら簡単に経緯を記した詫び状を一筆添えて、旨い酒を一本母に贈ってください」
「必ずそうします」
豊の申し出に友之は素直に頷いたが、会話が途切れた事である事を思い出し、それについて尋ねてみた。
「あの……、豊さん。ついでに一つ、お尋ねしても良いですか?」
「何でしょう?」
「冒頭、気分を害していたお義父さんが、同席する事を了承してくださったのはどうしてですか?」
そこで豊は足を止め、少々わざとらしい笑顔で応じた。
「申し訳ありませんが、それは親子間の秘密です。沙織も知らない事なので、友之さんも気にしないでください」
「……分かりました」
「それでは、俺はここで失礼します」
「はい、今回はありがとうございました」
有無を言わせぬ気配を醸し出しながら回答を拒否した豊に対して、友之はそれ以上食い下がったりはせず、頭を下げて駅の入口に向かう彼を見送る。
「やはり色々侮れない人だな」
無意識にそう呟いた友之は一つ溜め息を吐いてから、自分が利用する駅に向かって再び歩き出した。
「ただいま」
無事に帰宅した友之が、まずリビングに顔を出すと、両親に笑顔で出迎えられた。
「お帰り」
「ちゃんと沙織さんと一之瀬さんには会えた?」
「ああ。母さん、今回の事を向こうのお義母さんに知らせていたんだって? 今日豊さんから聞いて、肝を冷やしたぞ」
「それは本当か?」
ソファーに腰を下ろしながら友之が愚痴ると、義則が驚いた顔になって妻に視線を向けた。しかし真由美は、全く悪びれない笑顔で応じる。
「ええ。だってお義母さんは一之瀬さんを毛嫌いしていると言うお話だったし、私が勧めたせいで沙織さんがお義母さんに怒られたりしたら、可哀想だもの」
「あのな……。関本さんは怒っていなかったか?」
「いいえ。それどころか『メモリアルムービーといい、今回の事といい、奥様はなかなか独創的な発想をされる方ですのね』と誉めて貰ったわ」
妻がにこやかに語った内容を聞いた義則は、思わず額を押さえながら呻く。
「それは……、誉めて貰ったと言うよりは、呆れられたと言った方が正しいような気がするが……」
「豊さんの話でも、特に怒らせてはいないみたいだが、一応お騒がせしたお詫びに、一筆添えて酒を贈ろうと思う」
「そうしなさい」
息子の意見に義則が同意して溜め息を吐くと、真由美が真顔になって確認を入れてきた。
「それで? ちゃんと頭を下げてきたんでしょうね?」
「ああ。沙織にはちゃんと許して貰った。こっちに戻るのは来週末の予定だが」
「あら、休みなのに、明日や明後日は駄目なの?」
「一之瀬さんや友達との予定があって、荷造りして移動するのが煩わしいそうだ」
友之が理由を説明すると、義則が苦笑しながら頷く。
「なるほど。同居後最後の父娘デートだから、一之瀬さんは構い倒したいだろう。それを邪魔するのは無粋な上、余計な恨みを買うのが確実だ。それは避けた方が良いな」
「仕方がないわね。じゃあ来週末は、沙織さんを盛大に迎え入れないとね。出ていった手前、戻るのはかなり気まずいだろうし」
頷きながら真由美が呟いた内容に、男二人が思わず小声で突っ込みを入れる。
「それは誰のせいだろうな……」
「母さんが言う台詞じゃないよな」
「あなた達、今、何か言った?」
「いや、別に何も?」
「気にしないでくれ。俺は部屋に行くから」
「そう? お疲れ様」
そして自室に引き上げた友之は、まだ深夜とまでは言えない時間なのを確認して電話をかけ始めた。
「沙織、今、大丈夫か?」
「ええ、平気だけど、何? さっき別れたばかりなのに」
すぐに応答した沙織の不思議そうな声に、友之は一瞬どう話すか迷ってから、話を切り出した。
「それが……、お義父さんや豊さんの前で言えなかったが、早めに伝えておかなければいけない事がある」
「また何か面倒な事?」
「あの女が暫く大阪に行っていたが、春に東京に戻って来ていたのが分かった」
「あの女? 誰の事?」
「去年、会社にも押し掛けて来た」
最初、本当に誰の事を言っているのか分からなかった沙織だったが、そこまで言われて漸く該当者を思い出した。
「……ああ、あの。自称、友之さんの恋人の、不審人物登録者ね。それで?」
「春先に貢いだホストに金を返せと迫った挙げ句に暴れて、器物損壊と傷害罪で逮捕されたそうだ」
「あらまあ……」
本気で呆れ返った沙織の声をスマホ越しに聞きながら、友之は核心に触れた。
「下手をするとこちらに再度押し掛けてくる可能性があるから、本人に監視要員を付けている他に、少し前から沙織の出退勤時に護衛を付けている」
「それは知らなかったわ。とにかく、了解したから。松原の家に出入りしているのを見られたら、何をされるか分からないと言う事ね」
「本当に、迷惑をかけてすまん」
思わず頭を下げながら謝罪の言葉を口にした友之だったが、それを気配で察したらしい沙織は、笑いを含んだ声で宥めてきた。
「本人に、監視は付けているんでしょう? 私の護衛の人と連絡を密にして貰えれば、そうそう遭遇する事も無いでしょうし、そこまで気にする事は無いわ。現に今の今まで、護衛が付いている事にも気がついていなかったもの」
「そう言って貰えると、気が楽だが」
「それにしてもその女性、もっと建設的な方向に物事を考えられないのかしらね」
「全くだな」
友之が憂鬱そうな顔付きになりながら同意を示すと、沙織が確認を入れてくる。
「話はそれだけ?」
「ああ、取り敢えずこれだけは伝えておこうと思ったから」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。一之瀬さんによろしく」
そこで沙織は、明らかに笑い声と分かる口調で言葉を返した。
「そんな事を和洋さんに言ったらへそを曲げて寝なくなるから、言わないでおくわ」
「そうか」
思わず笑いを誘われてから友之は通話を終わらせ、彼はその日、久々に気持ち良く熟睡する事ができた。
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