(18)それぞれの決意

「ただいま戻りました」

 パーティー翌日、昼過ぎに戻って来た沙織をリビングで出迎えた真由美は、にこやかに声をかけた。


「お帰りなさい。お昼は食べてきた?」

「はい。簡単に済ませてきました。少し、部屋で休んでいても良いですか?」

「ええ。洗濯物があったら、出しておいてね?」

「ありがとうございます」

 対する沙織も笑顔で応じたものの、なんとなく覇気が無いように感じた真由美は、彼女がドアの向こうに消えてから隣に座っていた夫に話しかける。


「沙織さん、何となく元気が無かったみたいだけど、遅くまで話し込んだりして疲れたのかしら?」

「後で友之に、ちょっと様子を見に行かせるか」

「そうね」

 そう提案した義則は時間を無駄にせず立ち上がり、自室に居るであろう息子の所に向かった。


「沙織? 寝ているか?」

「起きてます」

 父親から沙織の帰宅の様子を聞いた友之が早速彼女の部屋に向かい、控え目に声をかけながら中に入ると、ベッドの上にうつ伏せになっている彼女が目に入った。それに加えて、疲れているともふてくされているとも取れる声音に、友之は軽く首を傾げてからベッドに歩み寄ってみる。


「どうした。せっかく泊まりに行ったのに、楽しく無かったのか?」

「……楽しかったですよ?」

 うつ伏せになったまま沙織が呻くように応じ、そんな彼女を見て友之は眉根を寄せながらベッドの端に座った。


「見た感じ、それだけでは無い感じだがな。具合が悪いわけでは無いよな?」

「体調は大丈夫です」

「それなら、まずは良かった」

 安堵して小さく溜め息を吐いた友之は、そこで腕を伸ばし、沙織の頭を撫でながら再度尋ねる。


「それで? どうした?」

「この間、色々と言いそびれていて、皆に対する罪悪感が少々……」

 優しく声をかけられた沙織が、素直に自分の思いを口にすると、友之はそのままの口調で事も無げに応じた。


「お前がここまでへこんでいるなら、少々では無さそうだがな……。どうする? やはり結婚した事を公表するか? 俺が異動しても構わないし」

「は? 異動? 何を言ってるんですか?」

 慌てて上半身を起こして背後を振り返った沙織は、真剣な表情の友之と真正面から向き合う事になった。


「実際、俺が課長に昇進したのが早過ぎると、未だに時折言われているからな。確かに俺より年長で、実績もある人が二課にいるし」

「それは実際に上層部で検討した上で、友之さんのそれまでの力量と実績を鑑みて課長就任が決まったんじゃないんですか? 課の皆も、納得している話だと思っていましたが?」

 無意識に顔をしかめた沙織に、友之が軽く首を振ってから言い聞かせる。


「俺の課長就任の時の事を、蒸し返すつもりはない。仮に俺が異動する事になっても、すぐに二課の運営を任せられる人材には事欠かないと言っているだけだ」

「納得できません」

「そう怒るな。困ったな」

 語気強く訴えた沙織を見て、友之が苦笑いの表情になる。そんな彼の表情を少しの間凝視した沙織は、憑き物が落ちたような表情で短く告げた。


「……決めた」

「何を?」

「いつになるかは分かりませんが、きちんと結婚している事実を公表するつもりですけど……」

「そうだな」

「それは友之さんを二課から押し出すのでは無く、私がどこか他の課長の椅子を分捕って異動する時です」

「…………」

 沙織がきっぱりと言い切った瞬間、友之は呆気に取られて黙り込んだ。しかし室内が沈黙に包まれてから数秒後、それが爆笑に取って代わる。


「ぷっ、あはははっ! 本当に沙織は極端だよな! うん、本当に見ていて飽きないぞ」

「馬鹿にしているんですか?」

 気分を害したように軽く睨んできた沙織を、友之は笑いながら宥める。


「いやいや、本当に誉めているから。変に溜め込まないで前向きな所も、俺は気に入っているし。隠し事が下手なタイプでは無いが、秘密とかも持って無いだろう?」

 そんな事を言われて反発を覚えた沙織は、勢いで答える。


「ありますよ? 大した秘密ではありませんが、友之さんに言っていない事位」

「へえ? あるんだ。因みに、どんな事を言っていないんだ?」

「《愛でる会》に関する事ですけど」

「あまり良い話では無い気がするが、俺の気のせいか?」

「…………」

 ついうっかり口を滑らせた途端、友之の顔が微妙に引き攣ったのを見て、沙織は口を閉ざした。その反応に、友之が少々強い口調で迫る。


「沙織、どうした? 言ってみろ」

「大した話では無いので、やっぱり止めます。ちょっと睡眠時間が足りないので、昼寝をしたいから出て行って貰えますか?」

 そこで話は終わりとばかりに、元通りベッドにうつ伏せになった沙織だったが、そこでおとなしく追及を止める友之では無かった。


「お前……、ふざけてるのか? そんな事を言われたら、気になって今夜眠れなくなるだろうが! さっさと吐け!」

 そんな事を叫びながら、飛びかかる勢いで友之が自分の背中にのしかかってきた為、沙織は慌てて弁解しながら身体を捻り、その下から抜け出そうとした。


「ちょっと友之さん! 本当に、わざわざ話す事じゃ無いから!」

「大した事じゃないなら話せるだろうが!」

「夫婦間でも、ちょっとした秘密の一つや二つ持つのは、当たり前でしょう!?」

「そんなの認めるか! よし、分かった。そこまで言うなら、身体に聞こうじゃないか!」

「ちょっと! そんな真顔で、堂々と悪役台詞を垂れ流さないで! 第一、こんな真っ昼間から、何をする気よ!?」

「決まってるだろうが! 夫を蔑ろにする妻にはお仕置きだと、相場が決まってる!」

「はあぁ!? 友之さんって、時々本当に馬鹿よね!? お義母さん達も家の中に居るのに、見つかったらどうしてくれるのよ!?」

「そんな事知るか!」

 これまで息子夫婦を心配し、ドアの所で室内の様子に聞き耳を立てていた義則は、当人達がぎゃいぎゃいと痴話喧嘩をしつつ、ベッドの上で取っ組み合いを始めたのを耳にして、諦め顔で小さく溜め息を吐いた。そして音を立てずにドアノブに掛けてあるプレートをひっくり返し、静かにその場を離れる。


「ある意味、馬鹿息子ですまんな、沙織さん。『立入禁止』にしておくし、真由美にはしばらく二階に立ち入らないように、さり気なく伝えておくから」

 そんな謝罪の言葉を口にしながら、義則は難しい顔で階段を下り始めた。


「しかし友之の奴、自分が異動する可能性も視野に入れていたか……。だがどちらが異動するにしても、感情的なしこりは残るだろうし……。やはり従来通りの勤務を継続できるように、何とか手を打ってやらないとな」

 それが社長であり、父親でもある自分の役目だろうと、義則は密かに決意した。

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