(8)知られざる交流

「ただいま」

 沙織と一緒に丸一日を過ごした友之が、日曜の夕方に帰宅すると、リビングのソファーで父親と向かい合って座っていた母親から、皮肉まじりの声が返ってきた。


「あら、今夜も沙織さんの所に泊まって来て良かったのに。あなたの分の夕飯なんか無いわよ?」

「悪い。明日は朝から色々商談とか立て込んでいるから、着替えとか資料の準備をしないといけなかったから」

「冗談よ。ちゃんと友之の分も準備してあるわ。後は出すだけだから」

「ありがとう」

 くすくす笑いながら告げてきた母親に、友之が苦笑いで返していると、同様の表情で義則が尋ねてくる。


「お帰り。昨日と今日で、関本さんと色々話し合ってきたか?」

「ああ、式の事とか、結構具体的に詰めてきた」

「そうか。ところで一之瀬氏の事は、何か言っていなかったか?」

「確かに、言っていたが……。父さん? 何か知っているのか?」

 何やら関わっているらしい雰囲気を察した友之が、疑わしげに尋ねると、義則が事も無げに言い出した。


「実は先週、一之瀬さんから呼び出しを受けて、指定された料亭に出向いたんだ」

「本当か? 一体、何の用で?」

「別にお前達の結婚に対して、文句を言ってきたわけじゃないぞ? 顔を合わせるなり『娘の事を、くれぐれも宜しくお願いします』と懇願口調で土下座されたのには、少々驚いたがな」

 冷静に父親に説明された友之は、僅かに顔を引き攣らせながら尋ねる。


「……泣いていなかったかな?」

「最初から最後まで、むせび泣いていたぞ?」

「そうか……。悪い。知らなかったが、迷惑をかけた」

 終始じめじめされたら堪らなかっただろうと、友之は心底申し訳なく思って父親に頭を下げたが、義則は何でもない事のように告げた。


「別に大した事は無かったし、娘が心配で仕方がない彼の心情は、分からないでも無いからな。これまで父親と娘としての交流があまりできなかった事も、それに拍車をかけているのだろうが」

「だから沙織に、あんな事を言ったのか?」

「あんな事?」

 裏事情が判明した友之が眉根を寄せながら非難がましく口にすると、義則は一瞬当惑してから思い当たったらしく、軽く頷いて話を続けた。


「ああ……、確かに『実父を差し置いて、お義父さんと呼ばれるのは気が引ける』とかは言ったな」

「おかげで沙織が、結構悩んでいたんだが?」

「悩む位だったら脈有りだな。時々は一之瀬さんの事も、『お父さん』と呼ぶようになるんじゃないか?」

(確かに、わざわざ口に出した位だからな)

 微笑みながら感想を述べた父に、友之が心の中で同意すると、ここで真由美が会話に参加してきた。


「その時に一之瀬さんから、とても美味しい焼き菓子の詰め合わせを頂いたの。下戸な分、スイーツには相当詳しい方なのね。以前、あなたと殴り合いになった時に贈り返してきたチーズケーキも絶品だったし」

「そうかもな……」

 触れて欲しくない黒歴史を口にされた友之は項垂れ、それを目の当たりにした義則は必死に笑いを堪えたが、次の真由美の台詞で男二人は揃って動揺した。


「そういうわけだから、私も沙織さんのお母様にご挨拶しないといけないと思って、手土産持参で行って来たの」

「はぁ!? 『そういうわけ』って、どういうわけだ!? それに、ご挨拶っていつ!? 聞いてないぞ!」

「……それは俺も初耳だが?」

 声を荒げた息子と、茫然自失状態の夫に向かって、彼女は実に朗らかに言ってのけた。


「先方と連絡を取って、名古屋に日帰りで行って来たのよ。お仕事の合間に職場の近くに出向いて、『愚息の事を宜しくお願いします』と頭を下げてきたわ」

「勘弁してくれ……。職場の近くまで押しかけるとか、迷惑だろうが」

「自宅に押しかけるよりは良いんじゃない?」

「時と場合によると思うがな」

 友之は頭を抱え、義則も難しい顔になる中、真由美の笑顔での報告が続いた。


「それに心配しないで! 沙織さんから、お母さんが酒豪でお酒に五月蝿い方って聞いていたから、清人君に『お酒に詳しくて五月蝿い人なら、銘柄を聞いただけで唸るような、美味しくて希少価値のあるお酒を取り寄せて欲しいの』とお願いして、それを持参したの。包んでいた風呂敷を解いた時もお母様は無表情のままだったけど、ぴくっとここら辺が反応していたから大丈夫よ。友好関係樹立の第一歩としては、まずまずの反応よね?」

 自分の頬を指差しながら、自信満々で保証してきた母親を見た友之は、激しく脱力しながら呻いた。


「沙織はそれについて、何も言って無かったんだが……」

「お母さんが沙織さんに、伝えていないのだろうな。単に、わざわざ伝える事も無いと判断したのか、それとも……。本当に好感度が上がっていれば良いな」

「胃が……」

 難しい顔での父親の囁きを聞いて、友之は腹を押さえながら再度呻いた。しかし容赦なく、真由美の報告が続く。


「あ、それから沙織さんと三日前、生活費について電話で協議したの。それに関しては、話はついているから」

「は? ちょっと待って。生活費って、俺は前から出してるよな?」

 慌てて口を挟んだ友之に、彼女は呆れかえった目を向けた。


「何を言っているのよ。当然でしょう? その中に車を購入する時に、義則さんに立て替えて貰った分の返済金も入っているのに」

「沙織の分も、俺が纏めて出すつもりだったんだが? まだまだ十分出せるぞ?」

 しかし真由美は真顔で申し出た息子に向かって、盛大に溜め息を吐いてみせた。


「友之ったら、分かって無いわねぇ……。ついでに家事の分担の話も済ませたのよ。沙織さんは正社員だから拘束時間が長いし、勤務が不規則な場合もあるでしょう? どう考えても全面的に私が家事を担う方が効率的だし、気持ち良く働いて貰う為には、予めそこら辺をきちんとしておいた方が良いでしょうが」

「そうは言ってもだな!」

「お互い、腹を割って話をしたのよ? 沙織さんも家事の分担が、私の方が大きくなる事に引け目を感じていたみたいだし、そこは生活費を出す事で割り切ってと説得したわ。勿論、あなたから貰っている金額よりは少ないし、私が用事があるとか体調が優れない時にはお願いするという条件でお互い納得しているから、心配する事は無いわ」

 それを聞いて安心した反面、どうしても納得しかねる事があった友之は、恨みがましく言葉を継いだ。


「だから……、どうして俺の頭越しに、どんどん話を進めているのかな?」

「だってこれは私と沙織の間の問題で、友之には全然関係ないわよね?」

「関係大有りだろ!? 俺は母さんの息子で、沙織の夫なんだが!?」

 納得しかねて声を荒げた友之だったが、そんな息子の肩を軽く叩きながら、義則が言い聞かせてくる。


「友之、何を言っても無駄だ。諦めろ。取り敢えず二人の仲が良好なのが再確認できて、良かったじゃないか」

「それはそうだが……」

「さすがに真由美も、夫婦間の事まで細かく口を挟むつもりは無いだろう。うちに入れる生活費の額は決まったみたいだから、夫婦での生活費や貯蓄に関して、纏めるのか個別にするのかを二人で相談しておきなさい」

「……分かった」

 尤もなアドバイスに友之が不承不承頷いていると、真由美が夕飯を出す為に立ち上がり、上機嫌にキッチンに向かって歩き出した。


「うふふふ……。沙織さんがここに引っ越してくるまで、もうすぐね。当日はご馳走を作らないと。何が良いかしらね?」

 そんな呟きを耳にした男二人は、苦笑しながら無言で顔を見合わせたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る