(16)沙織の攻略法

「……今日はこんな感じでした」

 広い邸宅の夫婦用のリビングで寛いでいた時にかかってきた電話の内容を、ハンズフリー仕様にして夫婦で聞いた後、弟の愚痴に無言で頭を抱えた真澄を横目で見ながら、清人は端的に返した。


「写真も確認したが、随分楽しんで来たようだな」

「今の話のどこがですか! というか友之さんが関本さんに、さっさと土下座でも何でもして、詫びを入れれば済むだけの話じゃないんですか?」

「今の話でも分かったと思うが、相手は結構変な方向に拗れた女だぞ? 迂闊にそんな事をしたら感激されるどころか、『軽々しく土下座できるなんて、よほど軽い頭しか持ち合わせていないんですね』と、切り捨てられるのが関の山じゃないのか?」

「もう本当に、勘弁してくださいよ……」

 義弟の訴えを切り捨てた清人だったが、妻から若干咎める視線を向けられている事に気付いた為、一応宥めてみた。


「そうは言っても、彼女の事を真由美さんが気に入ってるんだ。友之がぐだぐだしてる間に横から変なのにかっさらわれないように、ちゃんと間男もどきをしていろよ? 後で纏めて、礼はするから」

「人聞き悪すぎますよ!! 間男じゃなくて、当て馬もどきですよね!? お袋達にも『略奪愛は鉄板設定よね!』って、完璧に面白がられていて、頻繁に彼女との進展具合を聞かれているんですが!?」

 落ち着くどころか逆に声を荒げ、玲二が訴えてきた情景が容易に想像できた清人は、本気で同情した。


「頑張れ。無事に片付いたら、いい女を紹介する」

「それは全力で回避させてください。清人さんからの紹介なんて怖すぎます。それでは失礼します」

 しかし玲二は清人が申し出た直後に口調をいつものそれに戻し、即座に通話を終わらせた。それに清人が憮然としながらテーブルに置いていたスマホを取り上げると、向かい側のソファーに座っていた真澄が、軽く睨んでくる。


「可哀想だから、あまり玲二を虐めないで頂戴」

「紹介云々は、本当に親切心からだったんだがな」

「ところで肝心の友之の方は、今どうなっているの?」

 苦笑しながらの清人の弁解を、真澄はあっさりと無視して話題を変えたが、彼は特に気を悪くした風情は見せずにそれに答えた。


「まさに今日寺崎邸で、妹達に金を渡して、相続放棄申述書に署名捺印させたそうだ。勿論、放棄理由は『相続財産が少ない』では無くて、『生活に余裕があるから』の項目を選択しているがな」

 そう言って含み笑いを漏らした夫に、真澄が確認を入れる。


「そうなると、その奥さんは今でも、相当の評価額の不動産を相続できると、信じ込んでいるのね?」

「ああ。そうでなければ欲の皮を突っ張らせて、金をかき集めないさ。全く迂闊な事だが、目先の欲情に駆られて若い男と駆け落ちする位の、頭も身持ちも悪い女だから無理もないな」

 そんな容赦の無い事を口にして再び笑い出した夫を見て、真澄は小さく溜め息を吐いた。


「本当に少しだけ、その奥さんに同情するわね。本来ならリバースモーゲージを設定している家と土地を銀行に渡す事になっても、幾らかは現金が手元に残る筈なのに、自分名義の多額の借金を背負う事になって」

「それでも最悪、残った現金と資産を全て手放した上で、自己破産すれば良いからな。暫くカードが作れなくて新たな借金もできなくて、景気の良い事を言って借金をしまくった筈だから、元々希薄な親戚付き合いと交友関係が、今回確実に壊滅するだけだ。真人間になって出直せば良い」

「正論だけど、辛辣ね……。ところで、妹さんに渡ったお金はどうなるの? その奥さんが、『放棄して貰う為に渡した』と主張したら、そちらに取り立てがいくのじゃない?」

 そんな素朴な疑問を口にした真澄に、清人が薄笑いで答える。


「妹達に現金が渡った、公式な記録は無い」

「どうして? だってそれなりの金額でしょうから、振り込みでしょう? 偽名を使っても、金融機関のホストコンピューターに記録は残るし、店内でもATMでも画像は残るわよ?」

「自宅で現金を手渡ししているし、妹達の意向で全て少額ずつに分けて、匿名で五十数カ所の奨学金団体や篤志団体に寄付する予定だ」

「口座に入れずに、現金で。しかも第三者が居ない場所での受け渡し……。迂闊すぎるわ。そんな不自然極まりない事を、良く疑わせずに誘導できたわね」

 騙し騙された双方に半ば呆れながら、真澄が正直な感想を述べると、清人が笑いながら続けた。


「司法書士が作成して説明済みの正確な資産状況の文書や申請書類には、漏れなく未亡人の署名捺印がされているしな。あの女が『もっと多くの資産があった筈だ』と訴えても、どうにもならんさ。現に何年も前に、妹達に亡父の財産は相続済みだ。詐欺だと言うなら、そう説明された事実と、友之や妹達の手に現金が渡った事を立証する必要がある」

「計画を聞いてはいたけど、正直どこかで頓挫すると思っていたのよ。友之もその司法書士も、良くここまで誤魔化し通せたわね……。因みに、その寄付する手段はどうするの? 口座振替とか振り込みとかも、記録が残るわよね?」

「念には念を入れて、友之の勤務時間内に俺が変装して、送金場所と時間帯を変えながら、匿名で少しずつ進める。監視カメラに画像は残るが、予め探す対象者と振込先が確定されなければ、金の動きを追うのは無理だろうな」

「それが終わったら、無事終了なの?」

「裁判所での手続きが終了して、不動産や通帳等の名義変更が済んだら終了だな。だからそれほど長い時間はかからないが、もう少しだけ必要だ」

 それを聞いた真澄が、しみじみとした口調で呟く。


「友之が本当に沙織さんに愛想を尽かされる前に、何とかなれば良いわね」

「何とかなるだろう。それにさっきの玲二の話で、あの女の攻略法が分かった」

 それを聞いた真澄は、思わず興味を引かれて尋ねた。


「沙織さんの攻略法って何?」

「友之が如何に優良物件かを、幾ら力説しても駄目だ。あいつはそんな事、職場で知り抜いているからな。だから友之は一見問題が無さそうに見えても、実は結構女々しくて面倒くさくて困った駄目な奴だとアピールして、『仕方がないから引き取ってあげる』と思わせれば良い」

 清人がきっぱりと断言した内容を聞いて、真澄が思わず目頭を押さえて呻く。


「友之が不憫過ぎて、泣けてくるわ……」

「男を甘やかすな。取り敢えずさっき届いた玲二とあの女のツーショット画像を、友之に転送してやる」

「ちょっと清人! 必要以上に友之を虐めるのは、止めて頂戴!」

 早速スマホを操作し始めた清人を、真澄は慌てて叱りつけた。しかし時既に遅く、清人が顔を上げて淡々と告げる。


「たった今、送信した」

「友之……」

 微塵も容赦のない夫の台詞に、真澄は従弟を益々不憫に思いながら、がっくりと肩を落とした。


「清人さん……。あなたは本当に昔から性格が悪いし、男には容赦ないですよね……。それ位、分かってはいましたが……」

 そして清人から送信されてきた、一応楽しげな沙織と玲二のツーショットを目にした友之は、真澄の想像通りしっかり精神的ダメージを受けていた。

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