(15)認識のずれ

「おはよう。さあ、乗ってくれ」

「失礼します」

 約束の時間通り、自分の目の前に滑り込んで来た見覚えのある車を回り込み、沙織は一つ溜め息を吐いてから助手席に乗り込んだ。


「昨日は、母に付き合わされて大変だったな。着くまで寝ていても構わないぞ?」

 車を出すなり苦笑まじりにそう告げてきた友之を、沙織が軽く睨みながら言い返す。

「別に眠くは無いですよ? それに、一体どこに行くのか、まだ聞いていないんですが?」

「鎌倉まで。紅葉を見て割烹料理店で昼飯を食べて、海辺をドライブして、美味いスイーツと珈琲を堪能して帰るコースだな」

 それを聞いた彼女は、少々意外な顔つきになった。


「何と言うか……、女慣れしている人にしては、ベタな選択ですね」

「最初から、外すわけにはいかないだろう? 昼飯の時は、旨い酒を飲ませてやる。楽しみにしていろ」

「……酒で釣れると思ってるし」

「まあ、後はこれかな?」

 憮然とした沙織に苦笑を深めながら、友之はセンターコンソールに手を伸ばした。その直後に車内に流れ出した声とメロディーを耳にした沙織が、少し驚いた表情になる。


「スティング? 聞くんですか?」

「いや、あまり。だけど好きだよな? そんな事を言っていた記憶がある」

「職場で趣味嗜好について、色々口にしていたつもりは無いんですが、良く覚えていましたね」

「記憶力は良い方だと思う」

「そうですか。それならこれまでここに女性を何人乗せて、どれだけのジャンルの曲を流したんですか?」

 半分以上嫌味で問い返した沙織だったが、平然と答えるか笑って誤魔化すかと予想していた彼女は、前方を見ながら困惑顔になった友之を見て意外に思った。


「それは……」

「どうかしましたか?」

「もしかしたら母と従姉妹を除いたら、女性をこれに乗せたのは、お前が初めてかもしれない」

 軽く首を傾げながらそんな事を言われた彼女は、本気で驚いた。


「はぁ? まさか歴代彼女さん達は、これに一度も乗った事が無いとか? どうしてですか?」

「どうしてと言われても……、なんとなく? 乗せても技術的な事は分からないだろうし……。お前はこの前買い物に同行した時も、ミッションやターボ辺りの所について色々話しただろう?」

 大真面目にそんな事を言われて、沙織は頭痛を覚えた。


「要するに……、形が格好良いとか、値段が高そうとかの感想しか言えない人間に、これに乗る資格は無いという訳ですか……」

「資格が無いとまでは言っていない。ただ、この車の本質的な価値と魅力が分からない人間に、乗って欲しく無いだけだ」

「言っているのも同然じゃ無いですか、この車フェチ。自動車メーカーの設計者や、整備工の彼女を作れば良いのに……」

 思わず愚痴った沙織だったが、友之は引き続き真顔で返した。


「そこまで露骨に知識目当てに、恋人を選ぶのも失礼じゃないのか?」

「顔と身体だけ目当てに恋人を選ぶのは、失礼じゃないんですか?」

「今まで、顔と身体だけで選んでいたわけでは無いんだが……、本当に手厳しいな。まあでも、沙織にズバズバ指摘されるのは、結構心地良いから良いか」

「……私限定で、Mの気があるんですか?」

「どっちかと言うと、Sじゃないのか? 昨日のお前の甘ロリコスプレフォト、しっかり幾つかの媒体に保存しておいたぞ?」

 楽し気に笑いながらそんな事を言われてしまった沙織は、本気で相手を叱り付けた。


「何やってるんですか!?」

「安心しろ。俺だけの楽しみにするから、他には流出させない」

「流出させないのは当然ですし、即刻消去して下さい! 私の黒歴史の1ページになってるんですから!」

「あ、俺のスマホのお前の呼び出し画像も、しっかりそれに設定済みで」

「さっさと消去! さもないと窓から投げ捨てて、後続車に粉砕させる!!」

「うわ! おい、こっちは運転中なんだぞ!」

 怒りの形相の沙織に組み付かれ、ジャケットのポケットに手を突っ込まれた友之は、慌てて路肩に停車してから笑いながら彼女を宥め、取り敢えずスマホ内の画像は消去する事で手を打ち、ふくれっ面の彼女を宥めつつ、再度車を走らせて行った。


「常には味わえない景色と清浄な空間を満喫して、心が洗われるようだな」

「そうですね……。一人で来たなら、嫌な事をひと時でも完璧に忘れられたのに、残念です」

「そう拗ねるな」

 午前中に紅葉を堪能してから、美しく整えられた和風庭園を望む割烹料理店の個室に入った二人は、次々と並べられる料理を前に、対照的な表情を見せていた。そして全て並べ終わった料理を見て、沙織が一応確認を入れる。


「友之さん? 本当に烏龍茶だけ飲む気ですか?」

「当たり前だ。二人とも飲んだら、誰が運転して帰るんだ」

「それは、そうなんですけど……。うっかりしてたわ。さすがに気が咎めます」

 眉間にしわを寄せながら沙織が告げた為、友之は冷酒用デキャンタを持ち上げつつ、笑って言い聞かせた。


「気にするな。今日のこれは、昨日、母に付き合って貰った慰労も兼ねているからな。さあ、遠慮せずに飲め」

「それじゃあ、頂きます」

 勧められて受けないわけにもいかず、沙織は素直にグラスを差し出し、その中に酒を注いで貰った。そして一口飲んで、満面の笑みで感想を述べる。


「くぅうっっ、この銘柄は初めて飲んだけど、美味しいっ! 香りもフルーティ!」

「ほら、どんどん飲んで機嫌を直せ」

「全く、人を何だと……。美味しいお酒に免じて、許してあげますが。この胡麻豆腐も絶品、とろける……」

 そしてほくほく顔で酒を飲みつつ、料理を堪能し出した沙織だったが、そんな彼女の様子を窺いつつ、友之が慎重に問いかけてきた。


「沙織。あの後、一ノ瀬氏から何か言ってきたか?」

 そんな事を唐突に言われた彼女は、グラス片手に不思議そうに首を傾げる。


「あの後? 取り敢えず誤解だと宥めた後は、特に何も……。『あいつは女に説教する度に、押し倒すのか!』とかグチグチ言ってましたけど、最終的には黙らせましたから。……うん、鎌倉野菜の天ぷらも、ほくほくのサクサク。これはやっぱり、塩だよね」

「お前のアドバイスに従って、酒ではなくスイーツの詰め合わせを送ったんだが、昨日の午後、彼からホールのチーズケーキが届いた」

「は? どうしてですか」

 どうしてスイーツの贈り合いになるのかと、沙織が本気で戸惑った顔になると、友之が事情を説明した。


「それに『こちらにも非はあるので、謝罪は受け取った。しかし、沙織に手を出すつもりなら、俺の屍を越えていけ』と言う、力強い筆跡でのメッセージが付いていた。俺が贈った物とほぼ同額のケーキをわざわざ送りつけたのは『買収などされんぞ』と言う意思表示だと思う」

 そんな事を言われてしまった沙織は、心底うんざりした表情になった。


「和洋さん、素直に受け取って終わりにしてよ……。それは初耳でした」

「そうだろうな。それを昨日、帰宅した母さんに見せたら、『ストーカーに続いて、新たなお邪魔虫出現ね! 頑固親父は鉄板設定だわ!』と大喜びして、切り分けたケーキをお代わりして食べていた」

「真由美さん……。昨日の社長のお詫びの電話は、ひょっとしてそれも含んでたとか」

「後々困るから、これ以上、一ノ瀬氏の逆鱗に触れる事はしたくない。彼が嫌がりそうな事とか、彼から見たら駄目だと判断する事とかあれば、事前に教えて欲しい」

 真剣な顔で言われてしまった沙織だったが、戸惑いながら言葉を返した。


「そう言われても……、一緒に暮らした期間は短いですし、偶に会う程度ですから……。でも、どうして後々困るんですか? それほど長い事、私と付き合いませんよね?」

「どうしてそう言う結論になる?」

「どうしてって……、友之さんのこれまでの女性遍歴からすると、私ってかなり毛色が違ってますし。分かり易く例えて言うなら、この生シラス丼と天ぷら盛り合わせ程度には」

「……あのな」

 目の間の器を指し示しながら断言口調で言われてしまった友之は、盛大に顔を引き攣らせたが、沙織の主張はブレなかった。


「幾ら美味しくても毎日生シラス丼ばかり食べていたら、どうしても飽きますって。『偶には天ぷらも食べたい』と思うのは、自明の理じゃないですか。箸休めして、改めて美味しさを再認識できるわけですね」

「だから一人で、変な方向で納得するな!」

「それで偶にはお膳にも乗っていない物を摘まみ食いして、火遊びして火傷するわけですよね」

「…………」

 つい調子に乗って、言わなくても良い事まで言ってしまった沙織は、友之が口を噤んだ事で瞬時に我に返った。


「……すみません。今のは決して、嫌みで言ったわけでは無いんですが」

「ああ、分かってる。今の話はここまでだ。ほら、好きなだけ飲め。ここは他にも、美味い銘柄を揃えてるぞ?」

「はぁ、頂きます」

(失敗したわ。うっかり口が滑っちゃった。例の不倫話の事は口に出さないように、極力注意しよう)

 微妙な空気を払拭するように友之が酒を勧めてきた為、沙織もそれに合わせて笑顔を振り撒き、それからは何事も無かったように二人で世間話などしながら、のんびりと食べ進めた。

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