(27)奥様は天真爛漫

 スーツケースを引いた沙織が、友之と一緒に地下駐車場に降りると、自家用車通勤が認められているのは社の幹部だけの為、エレベーターを降りた向こうは、人気が無く静まり返っていた。そのまま微妙に気まずい思いで待っていると、数分後に松原工業代表取締役社長である義則が降りてくる。


「やあ、二人とも。待たせたかな?」

「いえ、社長。時間通りです」

 一応人目が無くとも、社内ではトップと課長の立場で言葉を交わす親子の横で、沙織が勢い良く頭を下げた。


「あのっ! 私は営業部第二課所属の関本と申します。この度は、社長にまでご迷惑おかけしまして」

 しかしその台詞を遮るように、義則が苦笑しながら宥める。

「ああ、関本さん、大丈夫ですよ? それに我が家に滞在している間、あなたには多少ご迷惑をおかけする事になるかと思いますので、滞在する事に対して、あまり引け目に思わないで下さい」

「え? ご迷惑って……」

 頭を上げて困惑した沙織に再度微笑んだ義則は、車のキー息子に差し出しながら指示した。


「それは道すがら後部座席で説明する事にして、取り敢えず運転は松原課長にお願いしようか。宜しく頼むよ」

「……了解しました」

 微妙に物言いたげな表情になったものの、友之はおとなしくそれを受け取って歩き出し、沙織は義則と並んでその後ろに付いて歩き出した。


(ちょっと待って! それなら私は後部座席に、社長と並んで座るわけ!?)

 その可能性をすっかり失念していた沙織は、内心で激しく動揺したが、友之はクラウンの前まで来ると無言でロックを解除し、さっさとトランクに彼女のスーツケースを詰め込んだ。更に彼が運転席に収まった為、沙織は色々諦めて緊張しながら後部座席に収まる。


「パッと見て、それらしい奴は居ないな……」

 エンジンをかけてゆっくりと車を出した友之は、地下駐車場から幹線道路に出た所で、周囲を見回した後、無意識にそんな呟きを漏らした。それを聞いた義則が、沙織に同情する眼差しを向ける。


「息子から簡単に話を聞いたが、とんだ災難だね。だが社員の安全確保も管理者と使用者の義務だから、安心しなさい」

「ありがとうございます」

「それはそうと、友之。これに関して、これから何か手を打つのか?」

 職場から離れた途端、ただの親子関係に戻った義則が息子に尋ねると、友之は運転しながら微妙に気が進まない口調で答えた。


「正直、俺の手には余るから、清人さんに一任した」

「ああ、なるほど。清人君に任せたなら、心配は要らないな。関本さん。近いうちに解決するから、安心していなさい」

「はぁ……」

 妙に自信たっぷりに言われて、沙織が困惑していると、義則が神妙な顔付きになって言い出した。


「それでさっき口にした、関本さんに迷惑をかけると言う話だが……。ストーカーじみた男に困っている、友之の部下を暫くうちに泊めると言ったら、妻がもの凄く喜んでしまってね」

「あの……、どうしてでしょうか? 普通ですと、ご迷惑なだけなんじゃ……」

「『王道のオフィスラブの世界』だから、だそうだ」

「……はい? オフィスラブ?」

 言われた内容が咄嗟に理解できず、沙織が戸惑った表情になったが、ここで運転しながら友之が焦った声で会話に割り込んできた。


「父さん! 俺は彼女は単なる部下だと、ちゃんと言ったよな!?」

「ああ。そう聞いたし、真由美にもきちんとそう説明したんだが……、『母親の勘よ! 友之が自覚していないだけで、これは絶対脈ありよね!? 日常業務の合間合間に愛を育む。なんて素敵な王道なの!? 私が求めていたのはこれだったのよ! しかも無粋な横槍を入れてくるライバル付きだなんて、完璧じゃないの!』と大盛り上がりで、全く話を聞いてくれなくて」

「勘弁してくれ……」

 運転席から友之の呻き声が伝わり、沙織は戸惑いながら再度尋ねた。


「あの……、差し支えなければ教えて頂きたいのですが、どうして奥様はそんなにオフィスラブ等に思い入れがあるのでしょうか? 何かその手の愛読書がおありなのですか?」

「愛読書があるかどうかは知らないが、妻が『普通一般の恋愛模様の、傍観者になりたい』と、常々切望しているんだ。なにしろ私の甥や姪達は、揃いも揃って普通一般とは言い難い恋愛を経て、結婚しているものだから……。妻の持論は『恋愛はジェットコースターじゃなくて、メリーゴーランドなのよ!』なんだ。少しずつお互いを理解していく若者を、時に厳しく叱責し時に温かく見守るのが、年長者の役目らしい」

 義則から苦笑まじりの説明を聞かされた沙織は、何と言ったら良いものか少しだけ迷った末、穏便な表現で感想を述べた。


「……奥様は、天真爛漫な方みたいですね」

「関本さんは、上手い事を言うね」

 それを聞いて思わず失笑した義則に、沙織が何気なく尋ねる。


「あの……、先程のお話の中で、社長の甥や姪に当たる方と言うのは、課長の従兄弟に当たる方々ですよね?」

「ああ。妻は一人娘だから、血の繋がった甥や姪はいないが、私は四人兄弟だからね。私の甥や姪は数多くいるんだ」

「ですが普通一般という事に関しての解釈や範囲などは、人それぞれではないですか? 恋愛に定まった形などは無いと思いますが」

 控え目に沙織が意見を述べると、義則が重々しく頷いてから、詳細を語り出す。


「確かに、関本さんの言う通りだが……。甥の一人は板前修行中に、そこの料亭の一人娘に手を出して駆け落ち同然に結婚したし、姪はそれまで全く交際などはしていなかったが、ずっと好きだった男を押し倒して電撃入籍したし。他にも甥の一人は相手との結婚を反対されて、兄と乱闘騒ぎを起こした挙句アメリカに駆け落ちしたし、最近も甥が一人、子持ち未亡人とすったもんだの末、三年がかりで何とか結婚に持ち込んでね。……ああ、それから私の妹も、大学卒業直後に家出して、十五歳年上のバツイチ子持ちと結婚して、それを反対した父と絶縁したんだ。今言ったような恋愛話と言うのは、普通一般の範疇に入るだろうか?」

 大真面目にそう問われた沙織は、僅かに顔を引き攣らせながらも、精一杯の誉め言葉を口にした。


「……社長のご一族は、揃いも揃って情熱的な方ばかりみたいですね」

「『情熱的』か。言い得て妙だね」

 義則がおかしそうにくすくすと笑い出すと、前方から友之が自問自答する声が聞こえてきた。


「本当に俺の親族に、普通一般的な恋愛を経て、結婚した人間っていないかもな……。そもそも父さんと母さんも」

「友之?」

「…………」

 しかし義則が静かに息子に呼びかけながら、バックミラー越しに意味ありげに微笑んだ途端、友之は口を閉ざす。


(え? 何? 課長が何を言いかけたのか、もの凄く気になるんですけど!?)

 沙織が困惑しながら、男二人に交互に視線を向けていると、話題を誤魔化す為か義則が強引に話を纏めた。


「とにかくそういう事だから、三十を幾つか過ぎても、未だにフラフラしている一人息子を持つ母親の心情としては、関本さんは正に『飛んで火に入る夏の虫』なんだ。先に謝っておくよ。申し訳ないが、色々察してくれ」

 そう言われた沙織は、どこか遠い目をしながら呟く。


「獲物認定ですか……」

「ああ、いわゆる『前門の虎、後門の狼』状態かな?」

「父さん……、洒落になってないから。関本、すまないな」

「いえ、当面お世話になるわけですし、甘んじて虫扱いを受け入れます」

 良かれと思って呼び込んだら、母親が手ぐすね引いて待ち構えていると言う事態に、友之は心底申し訳無く思い、沙織は彼のそんな心情を理解して、完全に腹をくくって頷いた。するとそれがツボに入ったのか、義則が機嫌良さげに笑い出す。


「ぶははははっ!! 関本さんはなかなか楽しいな! うん、俺も気に入ったぞ。良かったな、友之」

「何が良いんだ、ふざけるな!!」

(社長、絶対楽しんでる……。課長のご両親だし、夫婦揃って悪い人では無いと思うけど……)

 友之の本気の怒鳴り声を聞いた沙織は、一抹の不安を覚えつつ、おとなしく後部座席に収まっていた。

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