死にたがりのボクは死神さんに出会った

久里

第1話 


 神様は、ボクにこの社会で生きていくための普通の感性というものを与えなかったみたいだ。


 喜ぶべき場面で喜べず、悲しむべき場面で悲しめない。ボクは、他の人達と違って、感情の揺れを正しく掴みとることができない。ボクの心臓は、真新しい新鮮な血液を、淡々と肉体に送り出すという機能だけを果たしている。


 小学校に入った時には既に、周り子たちとの感性のズレに違和感を抱いていた。


 例えば、皆は、その日の給食がカレーライスだと聞くと、歓声をあげて喜んだ。カレーライスは、当時給食のメニューの中でも一番の人気者だった。確かにボクもあのメニューの中ではカレーライスが一番おいしかったと思うし、そのこと自体に異論があったわけではない。

 しかし、皆と同じように、それが出てくる給食の時間に思いを馳せて笑顔になることはなかった。カレーライスは味覚的に心地よいとは思うが、それ以前に、空腹を物理的に満たすものであるというだけだった。

 ボクにとって、食べ物の味の差異は若干の誤差でしかなかった。ボクは皆が笑顔になっているのを見て初めて、カレーライスは人を笑顔にする食べ物なのだと学習した。それから慌てて皆にあわせて、取り繕ったような作り笑いを浮かべた。頬がひきつりそうだった。


 こんなことは、ボクの人生においてはありふれすぎている日常茶飯事だった。

 そのことで最悪の事態が起こったのは、今から八年前のことだ。


 当時、ボクは十歳だった。

 母方の祖母が、亡くなったのだ。


 旅行と登山が趣味の生気に満ち溢れた人だった。

 祖母が亡くなる二日前、ボクと母は祖母の家を訪ねていた。その時に祖母が振る舞ってくれた、コケモモのジャムの味は今でもよく覚えている。この前登ってきた山で採ってきた物を煮詰めて作ったのだと、祖母は目元に皺を刻んで得意げに語っていた。その味は、舌先がちろりと痺れるように酸っぱくて、ほんのりと甘かった。


 その時には、それが最後の祖母との思い出になろうとは、母もボクも夢にも思わなかった。祖母は行動してないと死んでしまうのではないかと疑われるくらい元気な人だったのだ。そんなバイタリティに満ち溢れた祖母に限って、そんなにも早く命を落とすことになろうとは、誰も実際にそうなるまで露とも思っていなかった。


 享年六十歳。

 突然心臓発作を起こして、あっという間に息を引き取った。祖父の他、家族の誰も死に目に立ち会うことすらできなかった。祖父からの連絡を受けて慌てて病院に向かったけれども、遅かった。祖母は白いベッドの上で、安らかに天に召されていた。実は眠っているだけではないかと疑ってしまうくらいに健康的な顔色をしていた。


 母は病院に向かうまでの間、父に肩を抱かれながら蝋人形のように蒼白い顔をして震えていた。亡くなった祖母を視界に入れた瞬間、堰を切ったようにぼろぼろと泣き出した。子供みたいに泣いている母の姿を見るのはそれが初めてだった。


 泣いている母をぼんやり見上げて、亡くなった祖母に目線を戻した時、十歳だったボクが何を思ったのか。


 否。


 何も、思うことができなかった。

 出来ることなら、母のように泣きたかった。

 でも、そこにあったのは茫漠とした虚無だけだった。

 優しくて自慢の祖母が亡くなったというのに、ボクはそれですら何も感じ取ることができなかった。そんな自分を、とてつもなく恥ずかしく思った。


 父も母も親戚の人たちも、ボクが冷めた目で祖母を見下ろしている姿を見た時、突然の出来事に計り知れないショックを受けて、祖母が亡くなったという事実を受け入れられないのだと勘違いしたらしい。

 本当にそうだったらどれだけ良かっただろう。

 祖母が亡くなってから一週間が経ち、一カ月が経とうとしても彼女が亡くなったという事実によって胸が痛くなることも、寂しくなることもなかった。


 そんな自分が、無性に恐ろしかった。

 十歳のこの時、ボクは人とは違うのだとはっきりと悟った。


 そんなボクにとって、他人と関わらざるを得ないこの社会で生きることは苦痛そのものだった。


 人が笑えば作り笑いを浮かべ、人が落ち込んでいれば悲しそうに眉尻を下げる。

 ボクはまるで不完全な鏡のようだ。


 いつか周りの誰かが、ボクの偽りの仮面を引きはがして、ボクには心というものがないということをバラしてしまうんじゃないかって不安だった。

 不安を拭い去るために、ボクは血のにじむような努力をした。

 人の振る舞いや言動をよく観察して、彼らがどのような時に喜び、どのような時に悲しむのかを学んだ。喜ぶと笑顔になり、悲しむと泣く。見よう見まねで、同じように振る舞った。幸いボクの必死の努力は今のところ報われており、家族ですら本当のボクの姿に気づいていない。


 そうして生きてきて、もう十八年になる。


 ボクはなんとなく入った高校で、平凡な一男子高校生を演技し続けていた。

 小学生の頃より続けてきた努力の成果は如実に現れており、今となっては場面にそぐわない挙動を取ることで恥をかくことはかなり減っていた。ボクは、普通の感性を持つ普通の男子高校生に限りなく近づきつつあった。


 でも、偽物はどんなに努力を重ねても、所詮偽物なのだ。


 ボクにはやっぱり、本当の意味で他人の気持ちを理解することはできない。その意味では、祖母の亡くなったあの日から、ボクは何にも変わっていない。


 いっそのこと、本当に何も感じることのないロボットであれば、他人との感性のズレをを恥じることもなかったのに、と思う。


 ボクはあまりにも中途半端なのだ。

 醜い烏として生まれておきながら、美しい白鳥になりたいという思いだけは誰よりも強い。本当は烏であることがばれないように黒い羽根を必死に白いインクにさらしている。でも、その濡羽色の羽根は、決して本物の白い翼にはとってかわらない。


 いっそ、死んでしまえたら。

 そう思いながらも、今日もぼんやり生きている。

 そんな人間界における恥さらしであるボクは、ある日の下校途中に、彼女に出会った。

 彼女は、この世界の誰よりも美しかった。

 彼女は、死神だった。

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