63.恋の予感と変質者、同時襲来
あたしはしばらく玄関で、呆然と立ち尽くしていた。
けれど我に返ると、慌てて鍵とチェーンをかけて、何故かダッシュでリビングに戻ってソファに顔を埋めた。
恥ずかしい!
誰に見られてるわけでもないのに、恥ずかしくて堪らない!
しかしすぐ、ソファに残る温もりがカミュのものだと気付くと跳ね起きた。その勢いで滑ってテーブルにぶつかって、フローリングに叩きつけられた。
これは……痛い! 痛いから夢じゃない!
めちゃくちゃ痛い! だから夢なんかじゃない!
フローリングを芋虫みたいに転がりながら、あたしは心の中で絶叫した。
ちょっとエイル、あんた、マジで恋の花開いちゃうんじゃないの!? 開花宣言待ったなしなんじゃないの!?
ああ、ついにあたしにも春が来たのかよ……あの日あの時偶然出会ったのも、運命ってやつに導かれたからだったり?
でも、あいつ、女に不自由してなさそうだし弄ばれてるだけかも……いやいや、あんな過去をわざわざ話してくれたんだぜ? 作り話ならもっとお涙頂戴ものに仕立てるだろうし、嘘設定にしちゃ生々しかったし。
だとしたら、何であたしなんだろ? さては女慣れしすぎて、やっぱりピュアな子がいいと目覚めたに違いない。
おうおう、ピュアなら誰にも負けねーよ? 何たって年齢イコール彼氏いない歴、ラブヒストリーは純白、あなた色に染めやがれバッチコイなんだからな。
ヤッホォォウ! やっと時代があたしに追い付いてきたぜぇぇぇ!!
燃える思いを散らすように、あたしは元気良く飛び上がって、前方宙返りを決めた。おっと、あんまり暴れたらまた下のババアがカチ込みに来るぞ…………っと、待てよ。
昨日のアレも、もしかして下のババアだったのかも?
あんな遅い時間に帰るなんてほとんどなかったから、足音とか生活音とか、そういうのが耳に障ったのかもしれない。
そう思うと安心して、あたしは弾む足取りでさっさとバスルームに向かった。浮き足立ちすぎて落ち着かないので、バスタブに湯を張らずシャワーだけで入浴を済ませる。
お風呂を出て、今一度鍵を確認しておこうと玄関に出たら、例のデカブサな魔除けのお面が目に入った。
あたしは黒い凶悪かつ巨大な顔に向かい合い、そっと祈りの形に手を合わせた。
いらないなんて、意地悪言ってごめんよ。良いご縁をありがとう。
99%はあたしの魅力だと思うけど、残り1%のうちの幾らかはお前のご加護ってことにしといてやるよ。
これからも微力ながら頑張ってあたしを応援しろよな。
――などと、上から目線でお祈りをしていると、インターフォンが鳴った。
うん、さっき悶絶して転がり回ったもんね。
前方宙返りもしたもんね。
うるさかった……よね。
それでも、あたしの足は凍り付いた。
そして激しいノック、ノック、ノック!
……これは、いくら相手がババアでも怖い。怖すぎる。
やばいよ、どうしよう?
カミュに連絡するべきか?
迷いながら、携帯電話が置いてあるリビングと玄関とを交互に見ていると、扉の向こうから何やら声がするのに気付いた。
あたしは意を決して、そっとドアに近づいた。耳を当てて聞いてみると――。
「姉さん、姉さん! いるのわかってるんですよ! 出て下さい!」
ノックの合間から聞こえてきたのは――ジンの声だ。
あたしはすぐに鍵を開けようとして、けれどアインスの言葉を思い出してやめた。
「悪いけどさあ、猿に開けんなって言われてんだわ」
ドア越しにそう言うと、ジンはノックの手を止めた。
「やっぱりいるじゃないですか! 俺、アイちゃんに頼まれて来たんですよ! 必要なもん取って来てくれって!」
「信用できんなあ、帰れ! ハウス!」
「姉さん、携帯電話見てないでしょ!? 見てくださいよ、今すぐに!」
ああ? あたしに命令する気か、生意気な。
肩にかけたタオルで頭を拭きながら、あたしはリビングに戻り、バッグの中から携帯電話を取り出した。
不在着信、未開封メールどちらも一件ずつ。どちらも、アインスからだ。
あたしはとにかく、メールを開いてみた。
タイトル:殺すぞブス!
あ、これだけで読む気失せた。削除したくて削除したくて、たまんな〜い。すごい才能だな〜。
それでも仕方なく、あたしは嫌々中身を読んでみた。
本文:電話出ろブス。どこほっつき歩いてんだよブス。世間にブス面さらすなブス。ジンを行かせるから、奴だけは特別に入れてやれブス。他は誰も入れるなブス。ブスブスブスブスブス。
うわあ、本文は更にムカつく仕様でしたか〜。こりゃ姉ちゃん、一本取られたな〜。クソが!
このまま放置したかったけど、あの黒猿に喚かれたら今度こそ本当にババアが現れる。そうなればカオスだ。
あたしは渋々、再び玄関の扉に向かった。
「見たよ」
「じゃあ、開けて下さいよ!」
「ウチねえ、扉に覗き窓ないんだ。つまりさあ、お前が本当にジンなのかどうか、わかんないんだよねえ」
あたしは猿メールの怒りを、仲間の猿いじめで紛らわせることにした。
連帯責任って、いい言葉ですよねえ。
さあ、たっぷりと償ってもらいましょうか!
「え、いや、声でわかるでしょ!」
「そんなに会ったわけでもないし、こんな扉ごしじゃあねえ。しかもお前、自分から名乗らなかったじゃん。信用できるか」
「じゃ、どうすりゃいいんすか!?」
あたしはたっぷり嫌味な笑みをくちびるに満たしながら、答えた。
「あたし、ジンとは何度か会ってるから、お前がジンならわかる質問を今からする。答えられたら開けたげるよ」
「はあ……」
ジンはわかったようなわからないような、返事をした。
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