【距離:急接近】不意討ちのキスが可能なレベル

2.受付嬢は美女と野獣

 あたしの住む五階建てマンション『ヨコセ・マタテ・ナガス』は第三区にある。


 正確には、マジナ界カラフル王国マーブル第三区――――マーブルと名の付く区画の特徴にならい、様々な種族が混在する賑やかで雑然とした地だ。


 様々といっても『マジナに籍を置くことが出来るのは、人間、または人間に近しいもの』というルールの下、混血でもハーフが上限と定められているから、見た目はほとんど人間と変わらないってのばかり。とんでもなくでっかい奴とか、摩訶不思議な肌質の奴とか、手足がやたら多い奴とかもいるけど、基本の姿形は皆、人間に近い。


 モザイク区画やドット区画なんかでは、それぞれの種族が独立し、純血種を頑なに守る集落が多くて、いつも縄張り争いをしてるという。ストライプ区画は、共存は許しても己の種の優劣を常に競い合い、毎日が演説デモ選挙のオンパレードらしい。


 そんな中、このマーブル区画は良い意味でも悪い意味でも緩くてのびやかだ。


 ちなみに、あたしの実家はマーブル第八区、再婚した母さんはマーブル第五区で愛しのダーリンと暮らしている。同じマーブルでも実家へは電車で六時間、母さんの愛の巣へは電車で二時間半ほどと距離は近くはない。



 と、生まれも育ちも生粋のマーブル民のあたしが働く職場は、やっぱりマーブル区画にあって――――三区と隣合わせのニ区だってのに、非常に交通の便が悪いのだ!



 勤務先の総合フィットネスクラブ『キタエマ・センター』、通称『キタセン』に遅刻ギリギリで間に合ったあたしは、慌ただしくブルーのカッターシャツに着替えて、受付カウンターに走り込んだ。


 カウンターで待っているのは、柔らかな頬を意地悪く吊り上げた、同僚のファランだ。


「クライゼさん、遅いですよ。朝食代わりに道草を食ってきたんですか? いけませんねえ」


 マネージャーを真似て嫌らしい口調で言うファランに乗って、あたしも最敬礼して謝罪の言葉を述べた。


「ファラン様、大変申し訳ございません! 出掛けに、実家の母から電話があったものですから……それで、電車に乗り遅れてしまいまして」


 息を切らしながら説明すると、ファランはすぐに春の日差しのような笑顔を見せた。


「それで家から走ってきたの? そりゃ大変だったね。喉乾いたでしょ? お茶持ってくるよ。あ、お代は後で二人分頂戴いたしまぁす」


「このやろ! 遅刻したわけじゃねえってのに、まんまと奢らせやがって」


「まあ、柄悪う。言った者勝ち、早い者勝ちですう」


 ファランは舌を出して見せてから、軽い足取りで自販機に駆けていった。



 一人カウンターに残されたあたしは、開店準備を整えながら色々と考えた。


 何とかならないか?

 何かあるはずだ。あの馬鹿を余所へやって、幸せな一人暮らしを守りぬく方法が。


 女なんてどうだろう?

 女を作ってくれれば手っ取り早い。


 しっかしあいつ、万年発情してる猿みたいに女癖悪いんだよなぁ。あっちに手ぇ付け、こっちに手ぇ付けして首が回らなくなって泣き付いて来られたら堪ったもんじゃない。


 いや、でも女ができたら暫くはそっちに入り浸ってくれるだろうし、どうせロクな別れ方しないに決まってる。帰ってきてもほとぼり冷めるまで身を隠せって理由付けて、追い出せるんじゃん?

 何か知らんけど、仕事も見つけたらしいから、出会い満載、女漁り放題だろ。


 あとは……出ていきたくなるように、毎日なるべく嫌な態度を取りまくる。


 これはまあ、普通にしてりゃ大丈夫だな。昔からあたしとあいつは水と油、一緒にいりゃ口論喧嘩乱闘の連続コンボだったわけで。


 あ、何だ。わりと簡単に消えてくれそうじゃないの。


 これにて万事解決!

 一人万歳! 心から万歳!!



「…………エイル、さっきから何やってんの?」



 いつの間にやら、想像が現実に伝染していたらしい。


 カウンターの向かいで、二人分のハーブティーのカップを手にしたファランが、笑顔で万歳しているあたしを怖いものでも見るような目で見つめ、引きつっていた。




 あたしの仕事は、『キタセン』の受付各種諸々。


 カウンター席に座って接客するだけでなく、電話予約の応対、また顧客の予約スケジュールの管理、さらにはお客様のニーズに合った新プランを勧めたりもする。


 言葉にするだけなら簡単だけど、総合フィットネスクラブというだけあって一般向けのダイエットや運動不足の解消を目的としたヘルス部門、アマチュアだけでなくプロの方にもご利用いただけるスポーツ部門、さらには狩猟や採集を職とする人達を鍛錬するハンター部門といろいろあるもんだから、コースごとのメニューを覚えるだけでも大変だ。


 そのくせ給料は年中激安大バーゲン、ボーナスだって雀の涙。割に合わないったらない。


 とはいえ、あたしはこの仕事がなかなか気に入っていた。職場の皆はいい人ばかりで、あまり人付き合いが上手くないあたしにも優しく接してくれる。


 以前の仕事のような、めくるめくような達成感はないけれど、血を吐くような緊張感も死に曝される危険もない。


 だけど、それらを思い出して、切なくなる時もある。


 思い出させるのは、少し不自由な左腕。

 日常生活に支障はないけれど、現場復帰は絶望的だと断言された憎いほど憐れで可哀想な、左肩。



 あたしは七年前まで、マギアとマジナの両世界で活動を認定された、メディカル・ハンターという特殊職に就いていた。

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