第5話 至高少女 《魔猿》
悪くはない。
半分ばかりを食したところで、彼は血に
『そろそろコイツをいただくとするか』
螺旋状に
肉よりも内臓を愛する彼は、その中でも特に心臓を好んだ。血を凝縮したようなその味が、狩った獲物の生命を感じさせるのだ。
それなりの年月を生きたであろう魔狼は、思いのほか強く、しぶとかった。ならばその心臓も相応の味をしているはず。彼は
『では、イタダキマス……』
黒き王より伝えられたという食前の祈り「イタダキマス」、彼は神聖にして邪悪なる言葉を囁き、心臓を
少し離れた後方から何者かの声が聞こえてきた。
「ルド! モンキー発見! 大物! 大物!」
彼は激怒した。
食事とは、命を喰らい、力を取り込むための儀式である。そしてそれは、
よし、殺そ。
「食事中に騒ぐ奴は死刑」という「自分法典」第三条に基づき、彼は殺意を全開にして後ろを振り返った。
『まさか、あれは……』
視界に捉えた「罪人」の姿に驚愕の声が漏れる。
「
そこにいたのは
歓喜の雄叫びをあげて、彼は
『よくぞ引き合わせてくれた!』
魔物と獣が
もし彼が人間であったなら、この出会いを「女神」に感謝しただろう。しかし彼は身に魔を宿す獣、女神の加護から除外された存在である。
ならば俺は、あのお方に。
アリガトウゴザイマス――と。
風になびく黒髪と柔らかそうな白肌が彼の食欲を嫌というほど刺激する。標的との距離は、歩幅にして二十ほどまで近づいていた。
はやく食いたい……アイツを食って、犯して……殺したい!
膨れ上がった食欲は、性欲や殺意と混じり合い、強烈な破壊衝動へと変化していく。魅惑の食材を前にして、彼の理性はすでに失われつつあった。
『もう、限界だ……』
足よりも長い、
『
我が糧となれ……「
雷鳴の如き咆哮とともに、魔力と筋肉の膨張は臨界点を突破した。四肢の力を解放した魔猿は赤き炎弾となって、少女に向かって突進する。
「
耳障りな風切り音のなか、
なにが……起きた。
すれ違いざまに振りぬいた右腕は空を切り、勢いのまま転がった彼の身体は右足を失っていた。湧き上がる痛みと困惑のなか、彼は振り向き少女を見る。
『お前は……』
それは、か弱き
『誰だ、お前は!』
見た目は変わらぬ。しかし、気配が違う。威圧が違う。それに、あのおぞましい魔力は……
少女の変貌ぶりに、魔猿は怖れ
「調理続行、食材はモンキー……」
少女は捕食者の瞳で彼を見ている。右手に刃物を持ち、左手には切り落とした彼の右足を引きずっている。
黒い瞳、黒い髪、青い……衣。
彼の脳裏に幼き日に聞いたおとぎ話が思い浮かぶ。
『黒き王……』
「これは包丁、お前は食材……」
少女は呟き、刃を振りかざす。
『餌は……俺の方であったか』
彼は、その刃光のなかに絶望の未来を見た。
「ルド! 赤モンキー、美味?」
浮き
「ああ、少し固いが味は良いぞ」
少女の問いに笑顔で答え、ルドルフは先程の戦闘を思い返す。
戦闘時の魔猿の身体は、
竜巻のように渦巻く風の鎧、魔力を
だがシーナは、一番硬い脚部を斬った。しかも、十分に魔力を高めた状態の
ルドルフは、少女の右手に握られた包丁を見る。
恐るべきは
「神崎流包丁術」、魔法のない世界から来た少女が使う、異形の戦闘調理殺法。その実態は、異界の言語と概念が流用された、紛れもない「魔法剣」。
少女はその
「シーナ、『神崎流包丁術』とは、いつ頃からあるものなのだ?」
「んー……三百年くらい前」
「三百年前、『灰色の時代』か……」
「灰色の時代」―――それは、白き女神と黒き王が争ったとされる混沌の戦国時代。多くの新しい魔術が生み出された「現代魔法の黎明期」、そして古き魔術が使い手と共に消えていった「古代魔法の喪失期」でもある。
ほとんど原型を留めていないが、彼女の使う魔法剣の術式は、ルドルフの知る古代魔法の特徴をいくつか備えていた。
「しかし、なぜ包丁なのだ……」
独り言のような呟きに、浮き橇の後ろで寝転がっていた少女が答える。
「関係性の構築、それが真髄、包丁を持つ者、向けられる者、捕食者と非捕食者、覆せぬ真理、何人も抵抗不能、神でさえも……」
「神さえも……?」
「そう、カンザキは神さえ喰らう」
そう言うと少女は、空に浮かぶ青き星「女神の宿星」に向かって手を伸ばした。
次話予告。
裏切り、それは甘美な罠。
守るべき約束、尽きることなき欲望。
選択を迫られた少女は、かつての英傑と同じ道をたどるのか。
次話「日常少女」
裏切りの大地に少女が舞う。
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