プレスカブを直す男⑤
安曇河町の消防団は高嶋郡時代の小学校の学区で分けられている。中島が所属するのは蒼柳小学校の学区を担当する『高嶋市消防団安曇河地域第二分団第四部』だとバーバー平井の二代目が教えてくれた。
「藤樹商店街は第一分団第二部が担当なんですけどね、春になると退団とか異動とか有るんですよ。辞める人はたいがい年度替わりで辞めるんですけど……」
五月に入ってから消防団を退団するのは時期外れ、よほど何か問題が有ったのではないかと幹部の間で話題になっているらしい。
「先月も火事があったやん、もしかしたらそれで嫌になったとか?」
「う~ん、どうでしょう? この前は(中島が)一部のキャンターで(水を)出したはりましたけど」
もしかすると仕事で何かやらかしたからかと思ったが、二代目曰く仕事と消防団は関係ないらしい。
「人間関係とかあるやん、例えば仕事で付き合いのある人と会いたくないとか」
「あ~どうでしょうねぇ。そもそも僕も頭を刈るだけやから、中島さんのプライベートはよく知らんのですよね。バイクが好きで、自分で直したはるって聞いてますけど」
生きていると何もかもが嫌になって投げ出したくなるときは有る。気の弱い中島の事だから仕事で追い詰められたり恋愛で何かが有ったりで投げ出したくなってしまったのだろう。
「でも、中島かてええ歳やん。そろそろ引退してもおかしく無いやろ」
「そりゃあポン操の選手やったら引退ですけど、指導役してもらわんと」
実績が無いのに指導役は務まらないと思う。中島に何か実績が在ったのかと聞くと二代目は「どちらかといえば選手としてダメな方だったそうです」と答えた。
「選手でアカン奴が指導して大丈夫なんか」
「選手でアカンからこそ出来る指導があるんです」
中島が『ポン操』と呼ばれる消防団の消火訓練大会の選手に選ばれた時、指導担当は覚えの悪さに頭を抱えたそうだ。それでも訓練を重ねて中島は何とか形となり機関員としての役目を果たしたそうだ。
「上手く出来ないからこそ上手く出来ない選手の気持ちがわかるんです。静かに見てたなと思ったら二言三言的確なアドバイスをする。選手を追い込まないように感情的にならず、ゆっくり丁寧に教えてくれるんです」
「なるほど、自分が出来なかったからこそ出来ない者の気持ちになって指導すると」
誰が言ったか知らないが『名選手は名コーチにあらず』って奴だ。下ネタやバイクの事ばかり話す普段の中島からは想像できないが、消防団に所属する二代目が言うならそうなのだろう。
「そんな訳で中島さんが来たら消防団を辞めないように言っといてください。ところで、何か代わりって貸してもらえます? 原付が無いと不便なんですよ」
「三輪やけどエエかな?」
代車のジャイロXは今日も絶好調、二代目を見送った俺は確信するのだった。
「中島の奴、仕事で追い込まれてる」
中島は長い付き合いのある友人でもあり客でもある、悩んでいるなら何とかしてやりたい。
◆ ◆ ◆
プポポポポ……。
散髪屋の二代目が店を訪れた数日後の昼下がり、真新しい黄色いナンバーを付けたスーパーカブがやってきた。いや、サイドカバーにあるのは『Press CUB』の文字。昨年末に売ったプレスカブだ。ライダーがヘルメットを取るとそこに有ったは禿げ頭。
「よっ! ご無沙汰、直ったで」
「あのなぁ、『よっ!』やないぞ」
もちろん乗っているのは買主の中島だ。この前来た時と違って顔色が良くて生き生きしているのは気のせいか。
「バーバー平井の二代目から聞いたぞ、お前って消防団員やったんやな」
「そうやで、言ってなかったっけ」
ケロッとして『言ってなかったっけ』じゃねぇわ。二代目が言ってた件を聞くと中島はきまりの悪そうな顔をした。
「ああ、その件な。消防団員は続けることになったけど」
「ん? 『けど』って何や?」
中島は後ろ頭をガシガシと掻いて「消防団は辞めんけど、会社は辞めた」と少し困ったような顔をした。
「おお、この不況な時代に」
「ん~っとな、まぁその辺りは結構ややこしい話なんや。消防団の先輩が紹介してくれた会社やったから、面目なくて消防団も辞めるべきやと思ったんや」
事の始まりは半年ほど前、会社で作業手順書を作り始めたところから始まる。作業手順書の作成を指示された先輩社員二名がほぼ手つかずで不十分な作業手順書を提出した。工場長は二人に見切りをつけ、怒った社長の指示で二人は中島に仕事を捲り、仕事を引き継いだ中島は作業を覚えながら作業書を書く離れ業をすることになった。
「ところがや、いざ作業手順書を作りかけて、社長が見せろって言うから見せたら『これはあなたが覚えるために書かせた、私に見せるんじゃないの!』みたいに言いやがってな」
じゃあしっかり覚えながら作るかとなった数日後。先輩社員が「こんどお取引先がいらっしゃいます。手順書を見せる前にチェックするから明日までに完成させてください」なんて言い始めたらしい。
「もう社長や次期工場長候補に振り回されっぱなし。で、完成させたら先方に『作りました』って見せたみたいでな。先方からは評価されたけど、それは俺が評価されたんじゃないんや。提出した次期工場長候補と作成を指示した社長が評価されたんや」
まぁ世の中には理不尽な事があるから仕方がない。そう考えた中島は自分が作った指示書に従って作業を覚えようとしたらしい。
「ところがな、他の三人が横からアレコレ言うて来てまともに作業が進まへんねん」
作業を覚えようとすると横から別の方法でやるように指示が入り、その指示に従えば別の社員に修正を指示される。そしてその作業を見た別の社員がまた別の指示をする。そしてそれを最初にアレコレ言った社員が叱る。その流れが二か月ほど続いていたらしい。
「そんな状況で作業を一本化して覚える事なんか出来んわな、そこへ社長がギャンギャンと『どうして作業が上手く進まないのっ! 努力が足りない!』とか言いだしてな。高校時代にテニスのインターハイに出たからって努力したらなんでも出来るって思ってるんや、脳みそ筋肉ってあの社長の事やで。そもそも成功例が何十年も前の高校時代のインターハイだけって情けないよなぁ、五十代半ばで高校時代の事しか誇れんって呆れるし笑えるで」
格言だか何だかで『船頭多くして舟山に登る』とある通り、指図する人が多くて物事がまとまらず、目的とは違う方向に進んでしまったのだ。
「しかもな、次期工場長候補のやり方が間違ってたんや。『他の人に聞いてください、どうして今までそんなやり方をしてたんですか』とか言いやがって」
その場で次期工場長候補と社長に責められ、工場に戻って他の社員に聞いたら中島のやり方で合っていたと。
「ここまでメチャクチャな指示ばっかり来るんなら俺はこの会社に要らんかなって」
帰りも散々文句を言われて責められた中島は、私物を全部車に積み込んで、会社から借りていた道具と健康保険証を置いて帰ったそうだ。
「次の日が日曜でな、工場長が辞めるのを止めようと家まで来てくれたんや。ところが次期工場長候補と社長は辞めさせる気満々やったみたいでな。結局辞めた」
中島は「結局最後までバラバラな会社やったわ」と言ってからケラケラと笑った。
「ハッハッハッ……ハァ、なぁ大島ちゃん。俺、頑張ったんやで……頑張ったのに」
「お前は頑張った。誰よりもプレスカブがわかってるって」
本当は繊細で神経質、普段のチャラけた姿は自分の弱さを隠す鎧なのだろう。
「うう……体が怠かったのに、低血糖になってボーとしてたのに……酷い」
中島よ、泣くな。お前は瀕死のプレスカブを蘇らせたやないか。俺はこの男がプレスカブの如く再び走り出せるようにと願うのだった。
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