2020年 7月

梅雨明け。

 中華料理店で『冷やし中華始めました』の張り紙がされる時期になった。つまり暑い季節、蚊や虻が出てくる季節だ。レイが虫に刺されないように気を付けなければなんて思っていた矢先。


「ふあ~あ……おはよ……」


 リツコさんが大あくびをしながら寝室から出てきた。問題はその格好だ。


「おはようさん。リツコさん、パンツくらい履こうな?」


 妊娠中は飲酒を控えていたせいか脱ぎ癖は収まっていたが、やはり暑くなると寝ているうちに服を脱いで素っ裸になってしまう。一糸まとわぬ姿とはこのことだ。しかも『あん……あん……もっと欲しい』とか、『たっぷりミルクをかけて』とか艶めかしい寝言を言うので困る。


「にゃふ……もうっ……また私の体を弄んだのね……まぁいいや、ブラとパンツはどこだっけなっと♪」


 弄ぶなんてとんでもない。酔って『暑い~』とか寝言を言いながら脱いだに違いない。俺は何もしていなかったぞ。起きた時もパンツは履いてた。


「Tシャツも着るんやで! ママになっても変わらんのやから困ったもんや」


 リツコさんは隣の布団で寝ていたはずなのに、朝になると服を脱いで素っ裸で俺の横でスヤスヤ眠っている。我が家に来るまで清らかな乙女だったのが不思議なくらいに無防備だ。


「わかってるぅ……何? 私のオッパイが気になるの?」

「いや、乳首の色が元に戻りつつあるなぁって」


 授乳を止めてから黒ずんでいた乳首の色は薄くなった。今はピンクとまではいかないが、黒ずんではいないと思う。妊娠線の跡も薄くなった。


「やぁん、エッチ♡」

「早く着替えてらっしゃい、朝ごはんはフレンチトーストやで」


「二枚焼いてねっ! 卵たっぷりでねっ!」


 残念ながらこのシーンはテレビ版ではお玉や箸立てで大事な所が隠されるシーンだ。DVD・ブルーレイバージョンを購入してお楽しみくださいってやつだ。朝食のメニューを聞いたリツコさんは軽やかなステップで自室へ向かった。


「レイはママみたいにならんといてな」


 レイは今朝も爆睡中、本当によく眠る子だと思う。


◆        ◆        ◆


 私が朝食を食べている間、レイも朝ごはんだ。


「はい、あ~っぷん」

「ぷん……」


 レイは中さんの真似をして『あ~』で口を開けて、『ぷん』で口を閉じた。一口食べるごとに手足をばたつかせる。新しい味に驚いているのか喜んでいるのか。食べることが大好きなのは俺たち夫婦に似たのだと思う。


「スプーンは平気やな、重湯は大丈夫っと……」


 生後六か月を過ぎてレイは離乳食を食べる練習を始めた。最初は緩~い汁状態なおかゆ、今後は摩り下ろした果物や缶詰を食べさせる予定だって。それにしても我が夫は子煩悩というかマメというか、私の出番が無い。


「中さん、私もあ~ん」

「自分で食べなさい」


 最近の中さんは厳しい。全然甘えさせてくれない。レイがお腹に居る時は足の爪を切ってくれたり、食べたいものは何でも作ってくれたりお姫様状態だったのに。


「む~、最近の中さんは厳しいぞ」

「これで厳しかったら世の中の男は全部がDV夫やと思うで」


 それもそうだ。そもそも座れば食べるものが出てくる時点でありがたい事だった。新型肺炎の影響で忙しい私に「店が暇やからええよ」と言って家事のほとんどを引き受ける夫にこれ以上甘えるのは良く無い。


「それもそっか」

「あ、洗いもんは置いといて。まとめて洗うし」


 やはりマメな夫である。


◆        ◆        ◆


 今年の梅雨は梅雨らしい梅雨だった。雨にも負けずも風にも負けず、雷が鳴っても走り続け、私のリトルちゃんリトルカブはすっかり汚れてしまった。


「たまには洗おうっと」


 麦わら帽子をかぶって顔や腕にUV対策の化粧品を塗りたくって外に出る。


「夏の紫外線は乙女の大敵なのだ」

「もう乙女な歳と違うやろ?」


 中さんが何か言った気がするけど知らない。


「心まで~紫外線を~防御する乙女~♪」


 愛車にホースで水をかけて、上から下へ順に汚れを落としてゆく。最初は泥と砂を洗い流して次にカーシャンプーでしつこい汚れを落としていく。


「泥を蹴散らし~て♪ 車体を磨くの~だ~♪」


 力加減は中さんの大事な部分を触るくらいだ。まとめて洗うと乾いた所がシミになっちゃうから部分ごとに洗っては洗剤を流してゆく。


「さてと、水分を拭いたら乾かそうっと」

「はい、リツコさんは水分とミネラル補給」


 レイを負ぶった中さんが梅シロップの炭酸水割りを出してくれた。シュワッとした炭酸と甘酸っぱい梅の風味が嬉しい。梅シロップ自体も中さんの手作りだったりする。我が夫は実に器用、まるで嫁だ。


「終わったら美味しいものが待ってるで」

「うん、頑張る」


 休憩を終えたらワックスがけ。暑いから日陰で車体を冷ましてからかける。じゃないと車体にワックスが焼き付いて、拭き取れなくて泣きそうになっちゃうからね。


「にゃふふふふ~ん♪」


 最初はコンパウンドをかけて汚れや細かな傷を落として塗装を磨く。大きな傷は錆予防にタッチペンで塗っておく。塗装が日焼けしてるから全く同じ色とはいかないけれど仕方がない。タッチペンが乾いたら艶出しワックスを塗りこんで、軽く乾かしてからボロ布で拭き取れば艶々に仕上がる。


「ふむ、今までキレイと思ってたけど汚れてたんだね」


 色つきの樹脂を磨いたとしても、この味わいは出ない。やはりワックスが利いた塗装面は独特な艶と味わいがある。


「おしゃれは足元からっと、ふんふふふふ~ん♪」


 仕上げにリムとスポークをコンパウンドで磨いたりワックスがけをしたり。ピカピカに仕上げて完成。


「最後にお外で記念撮影っと、うん、ワックスもきれいに拭き取れてるね」


 私がリトルちゃんリトルカブを洗っ足り磨いたりいる間、中さんはレイの面倒を見ながら台所で何やらゴソゴソしていた。


「『美味しいもの』かぁ……何が出てくるのかな?」


 七月の日差しの下、私のリトルちゃんリトルカブはピカピカと輝いていた。


◆        ◆        ◆


 リトルちゃんを洗った後はお楽しみタイム。


「あん! もっと頂戴っ! あん大好きっ!」

「もっと欲しいんか? 欲張りさんやな」


 私は夢のような甘い甘~い時間を過ごした。


「もっと! あん! もっとかけてっ! 濃いミルクもたくさん頂戴!」

「お腹が大きなってしまうで」


 お腹が膨れてもいい。もっと欲しいと言うと、中さんは白くてドロリとしたミルクを放出した。


「あっ! すごいっ! 中さん! 私このドロッとしたミルク大好きっ!」

「おっと、出しすぎたかな?」


 中さんが用意してれたのはかき氷。上から苦みの効いた濃いお抹茶をかけて、そこへ甘~いアンコと、練乳をたっぷりかけた宇治金時だった。


「乾いて火照った体に餡と練乳の甘さの波状攻撃、そこへ抹茶の苦みが嬉しい不意打ち。冷た~い! 甘~い! ハンバ~グ!」


 私のテンションはMAX! 明日からの激務も乗りきれるに違いない。


「どうして私が宇治金時を食べたいってわかったの? 愛の力?」

「いや、(寝てるときの顔から)こっちかなって」


 アンコと練乳のコンビネーションはチョッチだけカロリーが気になるけど……美味しかったからOK!

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