地域通貨

 新型肺炎の支援か市長の人気取りかは解らないが、高嶋市民に一人あたり一万円の地域通貨が配られることになった。我が家は乳児のレイを含めて三人家族なので三万円の臨時収入となる。使えるのは高嶋市商工会加盟店舗のみだが、予想外のお店で使える場合も多い。もちろん我が大島サイクルでも使える。


「なんと、ウチの会社も商工会に入ってるから使えるんや」

「ウチでも使えるで、釣りは出せんけどな」


 来店したのはガッシリした体の男。こいつの名は中島。俺より二つ歳下の四十三歳の独身で、自動車整備士崩れでバイク弄りが趣味。仕事を転々としていたが体を壊し、トイレが近いとかで自動車運転関係の仕事に就くのは諦め、流れ流れて今は繊維関係の仕事をしている。


「ウチだけや無うて大手ゼネコンとかでも使えるから面白い」

「大手ゼネコンの支払いに使うほどの額と違うやろ、そもそもお前の会社は小売はしてへんやろ? そもそも高嶋市内でしか使えん地域通貨で何買うねん」


 不景気な産業だが今のところは仕事が途切れず順調に勤めているらしい。


「ウチは企業向けの材料を織ってるからな、一般人が買うもんは無いぞ」

「お前の所ではマスクの材料は扱ってないんか?」


 マスクの布があるなら買いたいところだが、中島の勤めている会社では扱っていないらしい。「それは織ってないなぁ」と言いながら出したのは分厚い目の詰まった布だった。


「ウチはこんな分厚い布や、これでマスクを作るか?」

「頑丈な布やな、これでマスクを作ったら窒息やな」


 帆布と言えば良いのだろうか、頑丈な物が出来そうな布だ。エコバックでも作れば売れそうな気がする。


「で、使えるんやろ? 地域通貨」

「使えるで、何か注文か? カブ? それともスクーターの部品?」


 中島は整備士崩れだからか本来几帳面な性格だからか、バイクと一緒にパーツリストとサービスマニュアルを買う。細かな部品の番号を一個一個メモに書いて注文してくれる。メモを受け取って部品商へ渡すだけで部品発注が出来るから楽だ。


「カブも値上がりしてったしな、ちょっと変わったバイクで遊ぼうかと思って」

「ふ~ん、ん? カブのガスケットにベアリング? 何やこの珍しいサイズは?」


 全部では無いが、部品の番号には車種によって特徴がある。何となくだが品番を見ると『〇〇系やな』みたいなのがある。


「ベアリングはモンキーの部品や、カムのベアリングはカブやと供給無し。あとは別のバイク」

「カムのベアリング交換とは珍しいな。あとはGG2? ジャイロか?」


 全部が全部では無いが、カブ70だと『GB5』とか、カブ90だと『GT0』みたいな記号や数字が入っていたと思う。


「そうや、ジャイロと言えば聞いたで。『奥さんにメイド服を着せて三輪バイクで買い物させてる』って。大島さん、あんたも好きやねぇ」

「お前もある意味好きもんやろ、それにコスプレ趣味に関してはリツコさんの趣味やで」


 リツコさんがメイド服のままジャイロに乗って買い物へ出かけたことが、いつの間にか『御主人様の命令』みたいな話になっているらしい。まるで変態ではないか。


「若いロリ嫁なんかもらいやがって、このド変態ベ〇〇〇〇〇〇〇め」

「あのなぁ、ロリどころか三十路の化け猫やで?」


 普段から『我が家はミニバイクでハーレム状態や』なんて言ってる奴に面と向かって言われるとガックリくる。


「まぁ部品は頼むけんど肺炎騒動で遅れが出てるしなぁ」


 新型肺炎の影響は部品供給にも影響を与えており、メーカー欠品などで到着まで時間がかかる物が増えている。


「急がへんで、揃ったら電話ちょうだい」

「毎度あり、じゃあ注文しとくわ」


 注文のメモを受け取ると中島は「支払いは地域通貨でする」と言い残して帰って行った。


「地域通貨ねぇ……」


 ジャイロのブームはとっくの昔に終わった。にも拘らず最近の我が店はジャイロの問い合わせがチョコチョコ来る。特殊な形状と整備性の悪さ、あとは販売台数が少ない事と中古でも高価な事が有ってジャイロは取り扱う店が少ない。そもそもジャイロは認知度が低いのだ。リツコさんが買い物で乗り回す様になって急に皆が興味を抱いたように思う。


◆        ◆        ◆


 地域通貨は書留で届くと新聞に出ていた。問題は何時に届くか解らない事だが、我が家は俺が居るから問題無い。レイの面倒を見てくれている志麻さんも家に御主人が居るから受け取りの問題は無いとの事だ。


「志麻さんは何か買おうと思ってる物はあるんですか?」

「そうですなぁ、美味しいもんでも食べたいですなぁ」


 我が家では……いや、リツコさんに聞いたら『美味しいもの? お肉っ!』としか言わないと思うが、たまには肉以外の美味い物を食べたくなる。志麻さんはしばらく考えて「久しぶりにうなぎなんか食べとおすなぁ」と答えた。


「鰻か、ええね。俺も最近食べてないな」

「力が付きますえ、土用は値上がりするさかい早めに買うて冷凍ですなぁ」


 志麻さんはベテラン主婦だけあって、食べたいものを値段を気にせず買う俺と違う。


「嵩増ししたい場合は卵でう巻きにしたり、ひつまぶしで食べたりしますえ。でも今回は一人一匹買おうかいな~と楽しみにしてます」

「一人一匹か、贅沢やな!」


 どうせなら商店街の仲間の店で使う方が良い。幸いな事に国産の鰻を炭火で焼く店がある。天然ものは無理だが、せめて国内養殖の鰻を食いたい。問題はリツコさんだ。妙な所で好き嫌いがある人なので確認してから買う事にしよう。


◆        ◆        ◆


 大島サイクルで鰻の話が出た頃、高嶋高校ではリツコと竹原、そして山羽が小型自動二輪免許の申請書類を整理していた。


「これ見てくださいよ、学校から百メートルちょっとの団地ですよ」

「注意事項を読んでいないのね、まったくもう……」

「けい……竹原先生、申請理由に『バスに乗るのだるい』ですって」


 ネットから申請できるのは良いが、注意事項をしっかり読まなかったのだろう。バイク通学の許可が下りない地域からの申請が多く出されていたのだ。


「ミ……山羽先生、問題外です」

「で、竹ちゃんとミトちゃんは何時から付き合い始めたの?」


 竹原と山羽が付き合い始めたのはリツコが産休に入ってしばらくした頃。そもそも原付に詳しくないにもかかわらず、バイク通学担当になった竹原が細かな事を聞き始めたのが始まりだったりする。


「先輩が産休に入って……って、どさくさに紛れて何言うんですか?」

「去年の十二月末からですねぇ」


 その影響か原付に興味が出た竹原は、大島サイクルでジャイロXを購入している。


「ミトさんもまともに相手せんでもエエけぇ……これは入学辞退した奴じぁけえ廃棄っと」

「今都クラスは入学辞退が多いわねぇ……」

「ええ、子供が出来たとか大麻で家族ごと捕まったとかが多いですねぇ」


 六月から始まる新学期は何とクラスが一学年当たり十二クラスになる。教室不足が心配な所だが、団塊・団塊ジュニア世代を受け入れた校舎には倉庫代わりになっている空き教室が多くある。


「ベビーブーム世代に合わせて建った校舎がここで役に立ちますね」

「昔は目一杯使ってた時期があったんですよね? 信じられない」

「ウチの人の通ってた頃がそうだったみたいよ?」


 ソーシャルディスタンスの為に各クラスの人数を三分の一に減らし、その分クラスが増える。新型肺炎の影響は、高嶋高校のクラス編成にも及んでいた。

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