第290話 暴れ小熊⑤初走行

 親に頼み、ナンバー登録を終えたギョヴュヲは早速自慢の新車で街へ繰り出す事にした。目的地は安曇河町にある小汚い小さなバイク店・大島サイクルだ。十五万円の値札が付いたバイクとソックリで、しかも新車な上に値段は三分の二。そんな愛車を見せつけてやれば神の子と呼ばれる今都市民のお子様に説教をした恐れを知らぬ馬鹿者をぐうの音も出ないほどに叩きのめす事が出来る。


(あのボロバイク屋の糞親父め、今度はこっちが説教してやる)


 ナンバーは付いたものの、まだガソリンは入っていない。


(そう言えば、納屋に草刈り機のガソリンが有ったな。スタンドまで押して行くのは面倒だからアレを入れておこう)


 ギョヴュヲは納屋の棚に置いてあったをタンクへ入れた。九リットル入るタンクの五分の一にも満たない量しか無いガソリンに若干不満を覚えたギョヴュヲだったが、スタンドまで行く分には十分だと判断した。


「えいっ!えいっ!えいっ!……かからねぇ」


 ガソリンコックを開けてキックペダルを数十回、暖冬とは言え高嶋市の十二月はそれなりに寒い。チョークレバーの存在に気が付かないままにキックペダルを蹴り続けて、何とかエンジンをかけたギョヴュヲは息を切らしながらバイクに跨った。


(教習車と違ってエンジンがかかりにくい。おかしいぞ?)


 チョークレバーとは寒い日やエンジンが暖まっていない時にエンジンが吸う空気の量を減らし、混合気中のガソリンを濃くしてエンジンの始動を容易にする機構である。


(えっと、踏んで一速で、その後は掻き上げて四速までか)


 渋く節度の無いチェンジペダルを踏み込み、ギヤを入れてエンジンを軽く吹かしてクラッチレバーを放すとメッキで輝く車体はギシギシと軋みながら走り出した。


ギョッファ~ッいやっほぅ!速えぇぇぇ!」


 自転車と違う『G』に感動したギョヴュヲは更にスロットルを開け、国道一六一号線を目指して加速を始めた。


 バルルルル……ヴォロロロロ……。


 空冷単気筒一一〇㏄エンジンは唸りを上げて車体を加速させた。若干白煙が出てオイルが焼けるようなにおいがしたがギョヴュヲは気にしなかった。


(バイパスに乗る前にガソリンを入れないと……)


      ◆      ◆      ◆


 大島夫妻は大晦日と新年に向けて買い物に出かけていた。高嶋町の酒蔵で名物の檸檬酒や蜜柑酒を、安曇河町に帰ってからは国道沿いのショッピングモールともスーパーとも言えるような言えない様な大型店に寄って保存食や肉・野菜を買って回る昨年末と同じ様なルートだ。一旦荷物を置きに帰ってからは商店街を散歩がてらブラブラ歩き、正月に読みたい小説や雑誌を買いに玉垣邦文堂へ行くのは独身時代から年末の恒例行事のようなものだ。大晦日まで店を開けているのは正月休みに読書をする客狙いらしい。まんまと戦略にはまっている訳だ(笑)


「俺はバイク雑誌と、あとは料理の本でも買うかな。リツコさんは?」

「私はコレ、もうちょっと他も見て来る」


「じゃあ、それは預かる」

「ありがと、向こうを見て来るね」


 絶賛発売中のスーパーカブ一巻から三巻と漫画版一巻二巻の五冊を俺に渡したリツコさんはポテポテと店の奥の棚へ歩いて行った。


「料理本コーナーやな、来年は教えるかねぇ」

「仲がよろしいなぁ、私も昔はああでしたなぁ」


 リツコさんが本を探している間は玉垣のおっちゃんとカブについての細かな相談をして時間を潰す。おっちゃんのカブはエンジンが焼き付いて動かなくなった。エンジンを積み換えて復活と思ったが、全体に消耗が激しく、特にリヤフェンダー周りの腐りを始めとする全体の錆が決定打となって買い替えになった。


「ずっとこのまんまで行くで。ところでおっちゃん、今度のカブは角目になるのと、セルが付くしな。ギヤは三段やから今までと一緒。コレな」

 

 撮っておいた画像を見てもらいつつ打ち合わせを続ける。


「大島はん、登録はまだですなぁ」

「申し訳ない、役所の御用納めに間に合わんかった。登録は来年になるわ」


 おっちゃんのカブは役所の御用納めの日に故障してウチへ担ぎ込まれてきた。チェックをしている間に時間切れとなり、登録は来年する。


「私な、カブしか乗らんけど大型(自動)二輪(免許)持ってますねん。ちょっと前に税金が高うなって役所に聞いたら九〇まで変わらんようになったそうですわ。ほんでな、せっかくやったら大きいエンジンにして泰山寺でも朽樹でも走りやすい様にしたいんですわ。追加でナンボか出すさかい、何とかならんやろか?」


 玉垣のおっちゃんは朽樹町の図書室や今都の高嶋高校まで配達に出る事が多々あるそうだ。


「どんなふうに使う? 予算は? 条件を教えてもらえるけ?」


「泰山寺や朽樹へ上ると五〇(㏄)やと二速で延々と走り続けんなんのですわ。でも三速に入れると坂を上らへんし、ああ、これやったらもう少し(金を)出して九〇を買うたら良かったわと思い始めましてなぁ」


 朽樹や今都まで荷物を運ぶとなれば余裕があるに越した事は無い。幸いな事におっちゃんはエンジンをブン回す事はしないだろうし、ビュンビュンスピードを出すわけではない。要するにカブ九〇のエンジンを四速化したものを載せれば良い。


「九十のエンジンは有る。でもそれなりに値段がするんやけど、かまへん?」

「私も最後くらいは少し贅沢しても許されますやろ、新車はとても無理やけど、車体が安い分改造に金を使うとして、こんなもんで頼みます」


 おっちゃんが電卓で見せてきた値段は八万八千円。さすが商売人、無理と違うけどタイトな予算だ。幸いな事に下取りしたカブがある。車体の儲けはそれ程無いが、下取りしたカブの部品を売れば儲けは出る。


「まぁ何とかやってみましょう。ボックスは前のを積み換えたらエエな?」

「ああ、箱は消耗品ですさかい。使えるうちはあれで行きますわ」


 おっちゃんと話をしていたらリツコさんが本を持ってレジへ来た。


「これも追加ね」


 リツコさんが持って来たのは子供向けの料理本『はじめてのおりょうり』だった。


      ◆      ◆      ◆


 大島夫妻が買い物をしていた頃、大島に一言物申してやろうと意気込んでいたギョヴュヲはガソリンスタンドで愛車のスパークプラグを交換していた。燃料を入れて出発しようとしたらエンジンがかからなかったのだ。最初はパスパスと音を立てて動こうとしていたエンジンだったが、キックペダルを蹴り続けるうちにウンともスンとも言わなくなった。


「新車ヴぁヴぇ動かんようになるんぎゃ?」

「煙を噴いとったなぁ、変なもん入れんかったか?」


 変な言葉使いだがこれは今都では普通。店員もギョヴュヲも市立今都中学卒業生とあって非常に気が合う。


「芝刈り機のガソリンを入れヴぁ

「それは混合ガソリンやな、それでプラグがカブったんや……何やこのプラグは?変な品番やなぁ」


 スパークプラグはオイルで濡れてドロドロに汚れている。メカに疎いギョヴュヲでもこれでは火が点かないと解るほどだった。


「部品がアカンのか、じゃあ交換して」

「こんな変な品番は無ぇから、カブのを付けとけ」


 付いていたスパークプラグと同じ品番の物は無かったが、国産メーカーのスパークプラグを取り付けてもらい、キックをしようとしたギョヴュヲに店員が声をかけた。


「チョークを引けよ」

「チョークって何?」


「そのレバーよ、エンジンがかかりやすくなる」


 チョークレバーを引いてキックペダルを蹴るとエンジンはすぐにかかった。


「しばらくは慣らしをした方がエエよ」

「まぁ先輩が言うならそうしますけどね」


 意気消沈したギョヴュヲは、大島サイクルに文句を言いに行くのをやめて家に帰る事にした。

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