第284話 暴れ小熊①孤独なギョヴュヲ

 滋賀県立高等学校は全国で珍しいバイク通学が許されている学校の一つである。もっとも全員がバイク通学をしている訳ではない。就職活動や家業の手伝いの為に小型自動二輪免許を取る事は出来ても、学校の近くから通う生徒はバイク通学は不要と許可が下りない。成績不振・素行不良が目立つ生徒は免許を取る事さえ許可されなかったりする。


「あのなぁ、数百メートルの通学なら徒歩で充分じゃろ? 若いんじゃけぇ歩けや。若い頃のトレーニングは歳をとっても生きるけぇのう」

「ぐ……クソッ……悔しヴぃヴぉぅいのう……悔しヴぃヴぉぅいのう……」


 『顔面凶器』だの『虎の眼』と異名をとる竹原を前に悔しがることしか出来ないこの生徒は『暴れ小熊』と呼ばれる行儀の悪いガキである。名前は田谷ギョヴュヲ。名前からして奇妙だが、これは両親ともに今都言葉の大ブームだった世代だったからだ。今都生まれで今都育ちの典型的なクソガキである。実はこのギョヴュヲはリツコの事をオバサンと罵ったり、大島サイクルへ訪れてこっ酷く叱られたりしている。


「どこもヴァイクバイクを売ってくヴぇヴぇぇヴぃれないしヴぉうヴぁヴぇるんヴぁよヴぉどうなってるんだよ~


 大津市寄りの安曇河高校へ合格する程の学力は無く、何とか滑り込みで入った高嶋高校へ入学して数か月。バイクに乗って高校生活をエンジョイしようと思っていたギョヴュヲに突き付けられた現実はあまりに過酷で不公平なものだった。真旭や高嶋、そして蒔野から通う自分よりも家の格が低い生徒がバイク通学を許可されているにもかかわらず、家から学校までが近いだけでバイク通学の許可が下りないのが不満なのだ。


「おい!どうなっヴぇんヴぁよているんだよ!」


 通常なら成績不振・素行不良・クレーマー親が理由に集められる高嶋高校Bコース塔にある某クラスではギョヴュヲ一人が大騒ぎをしていた。平成三十年度はアニメや小説の影響からか今都市立中学から高嶋高校へ進学できたものは極少数とあってノヴュヲには友人が居なかった。


「てめめててっめめめらがっがっばっばっばいくつつつうががっくしてるのののっにどっどっどっどヴぉししししってをれれれっささっさまがだめがんぎゃっやびょう!」


訳)「てめぇらがバイク通学しているのに、どうして俺様がダメなんだよう!」


 ギョヴュヲは感情が高まると言葉がスムースに出なくなる癖がある。そこへ普段からの態度の横柄さと周囲に対する気配りの無さ、そして自分が今都から来ているという事を鼻にかけて見下す態度が相まって周囲からはかなり距離を置かれている。


「何言ってるか分からん」

「バカじゃね?」

「ほっとけ」


ギョヴュヲの叫び声はどの生徒にも無視された。


      ◆      ◆      ◆


 さて、そんな事を知らない大島夫妻はノロウイルスによる体調不良から八割方回復して、作業場で葛湯を飲みながらバイク弄りをしていた。いつもならコーヒーを飲むところだが、お腹に優しく力になるとリツコにリクエストをされたのだ。もちろん作ったのは中だ。


「また三輪車を作るの?」

「うん、目立つから一台作って看板代わりにする」


 リツコはリバーストライクが好きではない。その理由は作るのに手間がかかるからだ。作業に手間がかかれば二人でいる時間は当然減ってしまう。寒くなったのも有って、中にくっついて居たいのだ。小さな台に腰かけて作業する中の背中にいつもの様に纏わりついた。


「にゃう~、かまえ~」

「やれやれ、どっこいしょ……あ、アカンわ」


 背中から纏わりついて完全な甘えモードのリツコを背負って立とうとした中だが、病み上がりとあって思うように力が出せず立てない。


「リツコさん、力が出んから降りて」


 甘えまくるリツコだが、自身もノロウイルスで酷い目に会っただけあって夫の気持ちは良く分かる様だ。珍しく背中から素直に降りた。


(う~ん、ちょっと痩せちゃったなぁ。背中が小さいや)


 この数日間、二人とも思うように食事をとる事が出来ず、空腹なのにバクバク食べるとトイレに直行する状態だった。だが、試しに今朝はそれなりに食べてみたが異常は起らなかった。昼食もそれなりに食べたがお腹に異常はない。


「もう普通に食べても大丈夫かなぁ?」

「でも、脂っこいものとか辛い物は止めておく方が良いやろうな」


 あまり刺激がある物は止めておいた方が良いかもしれないが、普通の食事なら大丈夫だろう。とは言え、買い物に出ていないから冷蔵庫の食材は寂しい状況になっている。いくら料理上手な中でも今の状況では作れるメニューはそれ程無い。


「ところで、買い置きが底をつきそうなんや。買いに行かんとなぁ」

「だ~いじょうぶ! ま~っかせて!」


 リツコが胸を張ってニシシと笑った途端に、エンジン音が聞こえた。シャッターを閉めているので分からないが店先に車が停まったらしい。


「先輩~、買ってきましたよ~」

「竹ちゃん、ちょっと待ってね~! よいしょっと」


 竹原が料理の材料を持って来た。冷蔵庫にある食材が乏しくなっている事に気が付いたリツコの命令で買い物をしてきたのだ。竹原は料理店でバイトをしていた事も有り、料理には詳しい。リツコから『晩御飯の材料を買って来い。じゃ無きゃ折檻だ』とメールを受けてお腹に優しそうな食材を見繕って買って来たのだ。


「いらっしゃい、何かウチのが無理を言うたみたいやな。すいません」

「な~に、これくらいどうってことないっすよ。鍋の材料なんですけど良いですか?」

「OK! 竹ちゃんご苦労さん! じゃあ……む~! む~っ!」


 リツコの事だから『じゃあね~』とか言いかねないと中は睨んでいた。それでは申し訳ないから夕食を食べて行ってもらう事にしようとリツコの口を塞いで『帰れ』と言わない様にしている。


「竹原君も晩御飯はまだやろ、手伝いついでに食べて行きぃな」

「良いんですか? 『もうっ! ラブラブしようと思ってたのにぃ~リツコの真似で』とか無いですか?」


 それは有るかも知れないが、材料だけ持って来て帰らせるなんてあんまりだと思ったのだろう。それに、鍋はワイワイ食べる方が楽しい。リツコもそこまで冷酷ではない。


「にゅっと、いいよ。三人で食べよっ」


 中の手からスルリと抜け出したリツコの勧めもあって、竹原は大島宅で夕食を食べる事になった。

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