第257話 高畑政幸のお仕事

 まさこと億田金融秘書長・高畑政幸は、1日の仕事終えて一息付いた。


「ふぅ、志麻、茶ぁくれ」

「お勤めご苦労様。はい、お茶」


 この数日間は社長のお願いで新婦の母親と連絡を取ったり、新婚夫婦宅の警備計画を練ったり、昔の上司と連絡を取ったりで大忙しだった。


「美味い」


 妻の淹れた茶は政幸の疲れた体に染み渡った。


 今日は朝から久しぶりに大暴れをした。若い頃は武闘派でならしたとはいえ、もう還暦直前だ。年金暮らしまでもう暫くと思うから頑張れるとは言え、このところの忙しさで溜まった疲労のせいだろうか、妙に節々が痛む。


「あんた、転んだんか?」

「アホ、そこまで耄碌してないわい」


 今日の政幸は新郎新婦を襲おうと待ち伏せしていた輩をご近所の奥様方と一緒に駆除したり、結婚式を台無しにしようと木刀を持って潜んでいた不届き者を昔の上司『B』と一緒になって成敗したりと数年ぶりのフル回転だったのだ。老いて弱った体には少々忙しすぎる一日だった。


「明日の晩からはお前と大島宅の留守番や。頼むで」

「『頼むで』の前に消毒しいや」


 明日は午後に社長の友人を京都駅まで送って、その友人宅で留守番兼警備に入る。基本的に民家だが、何やら貴重な品物があるので新婚旅行へ行っている間に悪さをしに来る輩が居たら追い払ってくれとの命令だった。


「消毒はしたぞ」

「そう、じゃあお風呂を沸かしとくで」


 少し仮眠をした後でゴミ捨てに行かなければならない。ゴミと言っても燃やしたりリサイクルするゴミではない。人の幸せな門出を台無しにしようとしていた『ゴミ』だ。


(俺が『ゴミ』なんて言うのも何やけどな)


『三つ子の魂は百まで』と言われているが、人の性根は一生変わる事が無い。それが正しいかどうかは政にはわからないが、『若いのだからこの先更生出来る』等と言うのは違うと思っている。若い時に性根が腐っている者は性根が腐ったまま成長する。少なくとも政はそう思っている。


「明日はゴミ捨てや」

「手伝おうか」


「お前は社長のお家での仕事を片付けなさい」

「無理すなやぁ、若こう無いんやでぇ」


 妻の志麻とは裏稼業をやっていた頃に知り合った。『ゴミ捨て』が何かも良く分かっている。手伝おうという気持ちはありがたいが、体を壊した自分に付いてこんな片田舎に来てくれた妻だ。これ以上裏の仕事に付き合わせたくない。


「それより、社長のご友人が『留守番の間は別荘と思ってくつろいでください』って言うてはる。お風呂も大きいみたいやし、久しぶりにゆっくりさせて貰おうか」


 政と志麻は事情があって温泉やサウナを楽しむことが出来ない。


「そこのお家のお風呂は、そんなに大きいんか?」

「手足を伸ばせるくらいに広いらしいぞ」


 ありがたい事に社長は留守番を業務扱いとしてくれた。給料とは別にボーナスが出る。しかも一緒に住み込んで家の管理をする妻にも小遣いが出る。


「家主さんも『別荘と思ってくつろいでください』やと」

「同じ町内で別荘て……でもお風呂は楽しみやわぁ」


 幸いな事に大島宅は買い物をするのに便利なところだ。近所に美味しい和菓子の店がある。パフェの美味しい喫茶店もある。昼間は店番が来るらしいから、夜だけ家に居れば大丈夫と言われている。殆ど休暇を貰った様なものだ。


(たまには外食に出掛けるのも良いな)


 気分転換で二人で散歩するのも良いと思いつつ、政幸は汗を洗い流し、湯船に浸かった。


     ◆     ◆     ◆


「む~! む~!」


(どうしてこんな事になったんだろう)


 大島夫妻の結婚式を妨害しようとしていた落合百億と数名は市内某所にある冷凍・冷蔵倉庫に荒縄で縛られ、猿轡をされて転がされていた。


(保健室のババァが家から出るところを襲おうとしたら、後ろから殴られて……うう……動けねぇ)


 周りを見ると結婚式場に潜んでいたはずの田谷・落合・大村も自分と同じ様に転がっている。百億は気が付かなかったが、三名とも頭はコブだらけだった。


(俺達は無敵な筈なのに……竹刀と木刀があれば虫けらを安曇河住民懲らしめるくらい簡単なはずなのに)


 襲撃の為に持っていた自慢の竹刀と木刀は見るも無残にへし折られて傍に転がっている。胴はバキバキに割られているし、面に至っては金属の塊と化して転がっていた。


「むぅぅぅぅ……ぐむぅぅぅ」


 足元に転がっている伸屋多緒は何やら言いながらもがいている。顔は泥だらけだ。全身は納豆の如く藁に包まれ荒縄で縛られている。やはり猿轡をされているので、何か言っているらしいがよく分からない。


(何が起こったのよっ)


 大島宅の玄関でリツコを襲うつもりで構えていた百億と多緒は奥様連中と政幸の手で捉えられていた。式場で大島たちを襲おうとした三人は、警戒していた政幸と謎の老婆さんざん叩かれた末に縛られて、この倉庫へ放り込まれていた。冷凍冷蔵倉庫なので、分厚い断熱材とコンプレッサーの音にかき消されて叫んだところで外に声が聞こえる事は無い。


『結婚式を台無しにしようとしただけなのに許せないっ!私は栄光の街今都の住民よっ!しかも大切な今都地域の天使様なのにっ!お金持ちなのに!何よこれっ!』


 ……みたいな事を言う多緒だったが、猿轡のせいで『む~っ!』としか聞こえない。


 気を失ってからどれほど時間が経ったのだろう。気絶していた全員が目を覚ましたその時、五人をボコボコにした男と老婆が倉庫のドアを開けた。


     ◆     ◆     ◆


む~!む~っ!」何をする!触るな!

う~!うむ~っ!」ちょっと!何するのよっ!

むうぅぅぅヴぇぼっふん!」僕タンは今都のお子様なのにぃ

ぐヴぉあんぶるへっふぉん俺様は今都やぞ!」

むううう!もまヴぉえまももぃぅうう~お前等!今都の恐ろしさを…!」


 五人ともそれぞれ文句を言っているが、猿轡のせいで声にならない。そんな騒ぐ連中を前に政幸と老婆はサングラスをかけた。


「いいか、お前たちはこれから素直ないい子になる。だが、昔の事は全く思い出せない。人を馬鹿にする事無く、物を大事にして、清く正しく生きる」


「はい、坊ちゃん、お嬢ちゃん。これを見てね」


(ペンライト?ボールペン?)


 パシャッ!


 老婆が懐から取り出したペンライトの様な物を五人が見た瞬間、フラッシュを何台も焚いた様な、マグネシュームが燃えた様な閃光が五人を包みんだ。その瞬間、五人は酩酊状態になった。


 うつろな表情の悪がき五人組に老人二人は静かに話しかけた。


「人を尊敬して、思いやる気持ちを持って新しい人生を歩みなさい」

「お前たちは二度と大島サイクルの関係者にちょっかいを出さない。いいな」


 政幸と老婆はボンヤリしている五人をトラックのコンテナに放り込み、ロックをかけた。


「……『M』、運転は私がする」

「こんな夜中に大丈夫か? 引退して随分になるでしょ『B』」


「あんたは午後から新婚さんを送るんでしょ?任せなさい」


 五人は彦根港へ運ばれ、素っ裸で放置された。朝になって地元警察に発見された五人は記憶を無くしており、警官の質問に全く答える事が出来ないどころか、自分の名前を思い出す事も出来なかった。真実を知っているのは政幸と引退した元スパイの『B』だけ。その後、五人は今都原理主義者の両親に逆らい続けて清く正しく慎ましい人生を歩み、大島サイクルの関係者に悪さをする事は無かった。


◆        ◆        ◆


『ゴミ捨て』を終えた政幸は家に帰り、シャワーで体を清めた後、少し仮眠をしてから億田金融の車庫へ行き、金一郎のベンツを洗車してピカピカに磨き上げた。昼イチで京都駅まで新婚さんを送らなければいけないからだ。


まさやん、僕も付いて行って良い?」

「おう、金ちゃん、帰りにラーメンでも食べてこようか」


 付いて行きたい等と言っているが、金一郎は体を壊して体力が弱った政幸に重いスーツケースを運ばせるのが気の毒と気を使っているのだった。


(それに、最近の政やんには仕事を任せ過ぎたしな)


そんな金一郎の気持ちを察して政幸も甥っ子に接する様に気楽に答えた。


「ラーメン藤でチャーシュー麺でもどうやろう?」

「おう、ええな!餃子もいっとくか!」


 億田金融秘書課長・高畑政幸。彼は優秀な裏方である。見た目は姿勢の良いお爺さん。だけど億田金一郎の昔を知る男。裏の顔を持つ少し危険な男である。

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