第215話 真野澄香・高嶋に住む 

 少し時間を遡る。二〇一八年三月末、一人の女の子が大島サイクルに訪れた。


「あの……すいません。このバイクって何ですか?」


 見かけない顔の女の子。新しいお客さんがホッパーを見て話かけて来た。


「これはホッパーって言うバイクをおっちゃんが修理したんや」

「今度高嶋高校へ通うんですけど、私でも乗れますか?」


「もちろん。お嬢ちゃん、コーヒー飲むか?」

「はい、免許はこれから取る予定なんですけど……」


 免許を取ると言う事は高嶋高校へ通うに違いない。


「予算はどれだけや?どんな風に使う? 条件を聞こうか……」

「だいたい値段は……」


 予算は車体十五万円+諸費用。免許は無いが、春から高嶋高校に通うのに使うのに欲しいと。予算は多めだが、大島サイクルの顧客で最も多いパターンだ。


「こっちに越してきたんですけど、電車が少ないなあって」

「お嬢ちゃんは何処から来たんや?大津?京都?」


「大津の南の方です」


 ……そんなやり取りの後に売れたホッパー改九〇。買った女の子の名前は真野澄香まのすみか。彼女は大津市南部から安曇河にある線路沿いのアパートへ引っ越してきた。


「今日は燃えるごみの日……よいしょっと」


 母は幼い頃浮気相手と蒸発。父は再婚した。外出や仕事で家に居ない事の多い父。そこへ来た新しい母親と澄香は相性が悪かった。喧嘩こそしないが家族にもなれない。いつも相談をしていた家政婦のに言われた一言が彼女の転機となった。


「お嬢様、それでしたら独り暮らしをされてはいかがでしょう?」

「ばあやから離れるのは寂しいわぁ……」


 幼いころから面倒を見てくれている家政婦さんからの思わぬアドバイス。


「ばあやも歳をとりました……そろそろ引退でございます」

「そやったら家に居る理由も無くなる」


 そこで、高校進学を理由にこの春から独り暮らしを始めた。


(ばあやはこんな事をしてたんだ……大変やったんやなぁ)


 何から何まで自分でしなければいけない一人暮らし。ばあやからは誰でも慣れるまでは失敗するのだからと言われたが、一度ゴミ出しを忘れただけでここまで重くなるとは思ってもいなかった。


「重そうだね、貸して」

「あ……ありがとうございます」


 幸いな事にアパートの住人達は親切な人が多い。最初の頃は独り暮らしの心細さから枕を濡らす事も有った澄香だが、今では自由な暮らしを満喫している。


「可愛いバイクに乗ってるね、高嶋高校に通ってるの?」

「はい」


 しかも、お隣さんはとんでもないイケメン。


(アニメのキャラクターみたい……綺麗な男の人やわぁ)


「もしかして独り暮らし?私も独り暮らしなんだ。宜しくね」

「はい、よろしくお願いします」


 個別の小さなガレージが有る線路沿いのアパート。バイクに乗っている入居者が多い。 声を掛けてきたお隣さんもバイクに乗っている。乗っているのはスーパーカブ。緑の古いスーパーカブだ。


「困った事が在ったら何でも相談してね」

「はい……♡」


 笑顔と口元からチラリと見える白い歯、どうしてだろう?澄香は『キラ~ン☆』と何かが聞こえた気がした。


「おっと、行かなきゃ。じゃあね」

(うわぁ……かっこいい……)


 ブルンッ……トントントン……ガチャコン……ブロロロ……。


 お隣さんは緑のカブを走らせて颯爽と行ってしまった。


「さて、私も行くか……セル付きで良かった」

 チヨークレバーを引いてセルのボタンを押す。


 キュキュキュ……プルンッ……ブンッ……ブン……トトトトト……。


(こんなバイクだけどカブと同じなんだよね、不思議だなぁ)


 カチャン、ブロロロ……カチャン……ブロロロロロ……。


 シーソーペダルでロータリーシフトのホッパー改は靴が傷まないのが良い。一速の掻き上げが無く、シフトアップはつま先で踏むだけ。ダウンは踵で踏むだけ。


「クラッチも無いし、楽やわぁ……シフトは面倒やけど」


 このホッパー改も大島お得意のカブ九〇ベースのエンジンが積んである。無論遠心クラッチだ。通常、大島は学生が乗るバイクに七〇㏄のエンジンを積んで原付二種登録しているのだが、このホッパーは車体が大柄な分、エンジンも八五㏄と少し大き目なエンジンを積んである。


 安曇河高校の正門前を通り抜け、高村ボデー前を通過。


(このクルマ屋さんはベンツも扱こうてはるんやなぁ)


 蒼柳北交差点を左折して国道一六一号線バイパスを北上する。


(一コロ・二コロ・三で引っ張ってから四速……)


 バイパスに乗れば四速固定で巡航。メーターは時速六〇㎞を指している。


(確かにこの距離を自転車じゃしんどいキツイし、電車じゃ不便だ)


 真旭でバイパスを降りて湖周道路へ出ると琵琶湖が見える。そして他の通学生のバイクと出会う。恋人同士や仲間と一緒に走る者が多い。だけど澄香はまだ一人ぼっち。


(バイクの乗ってると友達が出来るんやろか?)


 浄化センター前から市役所庁舎建設予定地だった空き地までの道は凸凹が酷い。沼地を無理矢理埋め立てたこの辺りは地盤沈下の影響で何度舗装をやり直しても翌年には凸凹に戻る。そんな道でもホッパー改は快適に走る。元々がオフ車だったのでストロークの長いサスペンションは多少の凸凹は軽くいなす。


「なわわわわ! 毎度毎度ここは凸凹やぁ!」

「理恵ちゃん! スピードを抑えて!」


 ストロークの短いサスペンションでタイヤの小さなホンダゴリラやモンキーは大変だ。ピョコピョコと跳ねながら走っている。


(モンキーでは長距離が辛いっておじさんが言うてはったわぁ)


『う~ん、大津のその辺りまでバイクで帰るんやったら……』


 ホイールベースが長く、サスペンションのストロークの大きなホッパーは通学くらいなら何の苦も無く走る事が出来る。キャリアも付けたから積載性も悪くない。乗り降りでパンツが見えそうになるのは欠点だが。


(お弁当を買っておかなきゃ)


 昼の購買は混むからコンビニへ寄って昼食のパンを買っておく。


「お昼ご飯は五〇〇円以内。節約節約」


 パンを買って再び走り出す。やはり澄香は一人ぼっち。バイクに乗ったからすぐに友人が出来る訳でもないらしい。小説なら『あなたもバイクに乗っているの?』なんて声を掛けられても良いと思うが、これだけ皆がバイクに乗っていればそんな事も無いのだろう。


 独り暮らしは色々と手間がかかる。炊事・洗濯・掃除……家に居れば、ばあやに頼んでいたことを自分でやらなければならない。そこで澄香の選んだクラスは早朝・放課後の特別授業の無いAコース。部活にも入っていない。空いた時間は家事に費やす。


       ◆       ◆       ◆


 放課後、オドメーターを見た澄香は無料サービスの事を思い出した。


(そういえばもう一〇〇㎞走ったなぁ?オイル交換に行かな)


 オイル交換に時間が掛かれば夕食を作る時間が減る。食べ盛りにとっては辛いところだ。


(でも、バイクが壊れたら電車通学……それは嫌やわぁ)


 安曇河高校へ通う今都の連中を怖がってバイク通学する高嶋高校の生徒は多い。澄香もそのうちの一人だ。時間つぶしの場所も無い今都駅周辺。しかも電車は30分に一本の過疎ダイヤ。通学三日目で電車通学が嫌になったので必死になって教習所に通った。教習を受けて初めて遠心クラッチのバイクがAT限定免許で取れることを知った時はガッカリしたものだ。


(電車通学は怖いし不便で嫌や、バイク通学を続けるためには大事にしなきゃ)


 仕方が無いと諦めた澄香は晩御飯を簡単に済ませることにした。コンビニで買ったのは特大サイズのカップ麺。これならお湯を入れて五分で満腹になる食事となる。


(あ……混んでる……どうしよう……時間が掛かるかな?)


 先客がいるらしく、数台のバイクが店先に並んでいた。


     ◆      ◆     ◆


 ブルルルル……プスッ


 カブのエンジン音だがカブより小気味よい音。モンキーやゴリラより低音なのはマフラー全体、特にサイレンサーの容量が違うからだろう。


「あれ?何か背の高いバイクが来た」

「何やろう?おっちゃん、見た事無いバイクが来たで」

「隣のクラスの子やね、私は見たことある」


 今日は一年生三人組がオイル交換に来た。でも実際に交換するのは二台だけ。瑞樹ちゃんのDioは2ストロークなのでオイル交換は無し。代わりにオイル補充がサービスだ。


「こんにちは、混んでます?」

「お、きちんと交換に来てくれたな。感心感心」


 幸いな事に二台目のオイル交換が終わった所だ。


「すぐ出来るで、ちょっと待ってや」

「わぁ、このバイク低~い」

「わ~このバイク背が高~い」


 マグナ五〇とホッパー改は対照的なバイクだ。片やロー&ロング、片や背の高いモタード。 驚く今津さんと真野さん……JR湖西線の駅みたいな名前やな。


(そのうち高嶋さんとか安曇河さんとか出てきたりして……それは無いか)


「澄香ちゃんも三人と一緒の学年やな?面識はあるんか?」


「無いです」

「無いなぁ、バイクが停まってるのは見たことあるけんど」

「隣のクラスだよね?何処の中学?安曇河と今都は違うよね?」


 大島の頃は各学年八から十クラスあった高嶋高校。今は減ったとはいえ各学年六クラスある。教室が違うと交流が全く無い事も多い。


「初めましてですよね。大津から来たし知り合いが居やへんのです」

「私も大津から来たんです。バイクに乗りたくって」


「大津の何処?私は南の……」


 大津から引っ越して来た二人の会話が弾む。その間に残った二人と話しながらオイル交換。変な金属粉や異物は無し。汚れも正常、ほとんど汚れていない。


「おっちゃんって、私のお父さんと知り合い?」

「ん? 何で? 親父さんが何か言ってたんか?」


 団塊ジュニアの俺達は同期が多い。顔は知らなくても名前を知っていたり逆だったり。社会人になって他府県で進学した奴が言うにはサークルやクラブで同期に会う事も多いらしい。


「私のお父さんは俊樹としきって言うけど……知ってる?」


 小島俊樹は高校時代の自転車仲間だった。後ろから来る相手をラインの後方でけん制する『捌き屋』だ。蹴ったりはしないが体当たりとひじ打ちを得意としていた。


「同期に同じ名前の扇骨せんこつ職人がいる。瑞樹ちゃんは俊樹の娘か?」

「うん、お父さんは竹で何か作ってる」


 何とまぁ、宏和の娘の次は俊樹の娘か、世の中狭い。そして、時の流れは速いものだ。昨年度の絵里ちゃんも同級生の娘だった。歳をとったみたいでガッカリする。


「私の母さんはおっちゃんの少し下みたい。バイク通学してたんやって」


 今度は四葉さんのお母さんか、知り合いかな?


「藤樹三葉って心当たりは有りますか?」

「ん~結婚して名字が変わるとサッパリ分からんわ~旧姓は?」


 俺は女子にモテなかったから別学年の女の子までは分からない。


「聞いた事が無い」

「女の子は名字が変わる事が多いからなぁ」


 そんなこんなしている間に時間は過ぎて行った。


「あ、もうこんな時間……ご飯の支度しなきゃ……」

「え?澄香ちゃん、お母さんは?」


 母親が晩御飯の支度という考えは古いと思う。ウチなんか飯は俺が作ってる。


「私、独り暮らし」

「「「マジで?」」」


 ある程度事情は聞いている。まぁ深入った事までは聞かんかったけど。


「お総菜が有るから持って行き。凍らせてあるからチンして食べてな」

「おおきに」


 ワカメと筍の煮物を持って真野さんは帰って行った。


「おっちゃん、この前のイケメンさんは来うへんの?」

「ヘルメットの時のイケメンさん!また会いたい!」

「あの格好いい人……見たい!」


 葛城さんは最近忙しいみたいだ。遠慮しているのかもしれないがご飯を食べにも来ない。


「仕事で忙しいみたいやで」


「労働男子見たい!」

「でも、バイクに乗ってる時に会いとうない……」

「でも制服姿は見たい!」


 何か大事な事を伝え忘れている。そんな気がしてならない大島だった……。

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