第110話 倉庫の主

「これのエンジンをかけられたら下宿はOK」

目の前でキック1発で掛かったはずのエンジンが掛からない。


「変ねぇ。火が入る気配が無い。ニュートラル良し、チョークを引いて……」


苦戦する磯部を見ながら大島はある客を思い出していた。


ちょうど今頃の時期だった。


「部品を注文したいんですけど、その前に…」


大島サイクルを訪れたその客は、コピーではなくて

モンキーのパーツリストと整備解説書が欲しいのだと言った。


「プロ用ですよ。良い値段しますよ?」

「プロ用だから欲しいんです。細かな物も買うんで」


その後、細かな部品をチョコチョコと注文していった。

もともと自動車販売店の整備士だったらしい。

注文する部品は必ず部品番号を調べて注文していった。


だんだんと親しくなり身の上話もするようになった。

友人に裏切られ転職した事、今の職に疑問を感じている事

仕事でのストレス解消にバイク弄りを始めたこと。


暫くすると完成したゴリラで店に来た。


「サーカスの熊みたいって言われるんですけどね」


少し疲れている様子だったが満面の笑みで彼は言った。


「とりあえず形にしただけ。ここからカスタムがスタートです」


ボアアップやクラッチ操作が面倒でカブ90のエンジンにしたとか

3段ミッションが不満だから4段にしたいなど

当時主流だった改造から少し離れた事を話していた


それから数か月したある日。


「ナットを緩めて下さい」

「ど…どうしたんや…えらい痩せてしもて…」


再び彼は訪れた。大きかった体は病的に痩せていた。


「ストレス解消に作っていたけど、完成する前にストレスに負けました。」


ゴリラは気分転換にと組み立てたらしいが、結局ストレスが溜まりにたまった彼は

体を壊して思う様に食事が出来なくなってしまったそうだ。


「力が出なくってね…」

「それでもある程度は食べんと死んでしまうで」


「もう食えんのや」

青白い顔で寂しそうに笑っていた。


それが大島が見た彼の最後の姿である。


その年の冬。

行方不明者の捜索協力を伝える防災無線が鳴った。

名前・身体的な特徴・どう考えても彼だった。

翌日、防災無線から発見の放送が流れた。


『昨日、行方不明となっていた安曇河町の男性は発見されました…』


『無事』とは言っていなかった。


暫くして彼の両親が大島サイクルを訪れた。


「バイクを触っている時は楽しそうだった。」

「工具を握っている時だけは元気な頃の表情だった。」


と話してくれた後に見せられたのは白い封筒。


「バイクは直っても僕の体は治らない」

とだけ書かれた遺書。


病を苦にしての首吊り自殺。享年40歳。早すぎる死だった。


「残されたバイクを見ていると息子を思い出して泣いてしまう。

処分してもらえないだろうか」


全てを忘れる為に何もかも処分して引っ越すそうだ。


「そうですか……」

大島は引き受ける事にした。


良く手入れされて使い込まれた工具と共にゴリラを引き取った。

動かない体を必死になって動かして作業したのだろう。何か心に訴えてくるものが在る。


一旦ナンバーを切る前に乗ってみる事にした。

カブ90のエンジンだが4速ミッションに改造してある。

細かな所まで手を入れたのだろうか。乗りやすい。

柔らかな感触、優しい中に芯のある乗り味。

過激ではない。しかし遅くもない。


「悪くない」


ナンバー返納の手続きをする為にツールボックスを開けると

自賠責保険と一緒に紙切れが出て来た。


『これは僕が生きたあかし捨てないで』


「元気になってバイクに乗るんやない。バイクに乗って元気になるんや」

生きた証しって何や……死んでどないするんや」


大島は泣いた。


それから数年。


そのゴリラは今でも大島サイクルにある。ナンバーは切ってあるが、

暇なときは表に出して敷地内で動かしてエンジン内にオイルを巡らせる。


今日も外に出してエンジンをかけてみる。

軽いキックで始動する。トコトコと心地よい音を立てて

アイドリングをしている。


不思議な事に大島以外の者がエンジンをかけようとしても

ウンともスンとも言わない。


この街から出たくないのだろうか。あの男を自殺へ追いやった街なのに。

最後に会った時の寂しそうな笑顔を思い出した。


何かのまじないでもかかっているのだろうか。


今日も倉庫の主は動こうとしなかった。

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