第三話 ブタっぽい俺の気がついたら異世界

 光のドアの中にママチャリごと飛び込む羽目になった俺は、何とか自転車を横倒しさせながらも急停車させることに成功していた。


 自転車を急停車させたときの衝撃によって、俺の体は吹き飛んでいたが、幸い背中の大きなリュックがクッションとなり、俺は地面をおむすびコロリンのようにコロコロとではなくゴロゴロと転がっただけで、大した怪我をせずにすんでいた。


「いててて……いったいなんだったんだあの光のドアみたいな奴は?」


 仰向けに倒れ込んでいた俺は文句を言いながら、リュックから腕を抜き、その場に立ち上がると辺りを見回した。


「なんだ? ここは……」


 辺りを見回した俺は思わずそう呟いた。


 なぜなら、俺が先ほどまで自転車で走っていた道路が綺麗に姿を消していて、その変わりに生い茂る木々に囲まれた草原に俺がいたからだ。


 どこまでも、透き通るような青い空。白い雲。


 そして、俺の住んでいた都会とは比べようもないほどに澄んだ空気。


 それは、日本の片田舎。それも山奥の奥の風景だった。


「もしかして……道に迷った?」


 俺は体脂肪のおかげで巨大に膨れ上がった体を揺らしながら、疑問符を口にする。


 しかし、いくら俺が脂肪肝で糖尿病であったとしても、いきなり道路が草原に変われば、ここが日本の田舎でないことはわかる。


「もしかして……これが世に言う異世界転移って奴なのか?」


 俺は俺が今はやりの異世界転移してしまったのではないかと疑った。


「いやいやいくらなんでも、非現実的すぎる」


 自分が異世界に来たかもしれないと思った俺は、大きく何度も首を振って、俺の考えを否定する。


 そう、異世界など。空想や妄想の産物だ。現実には存在しない。


 それはもう分り切っていたことだった。


 なぜなら、かつて俺も異世界に思いを馳せる一人だったからだ。


 そして、いつかは異世界転移や異世界転生をして、ラノベやネット小説の主人公のように成り上がり、多種多様な美女や美少女を侍らせてハーレムを作ろうと思っていたからだ。


 だが現実は非常で、俺がいくら待っても異世界転移や転生をする機会は俺には訪れなかった。


 そして、俺は思春期を超えたあたりから現実を知り、異世界転移や異世界転生を諦めたのだから。


 だが、一度は諦めたそれが、今、現実として。俺の目の前に広がっていた。


 それでも長い年月を現実という世界で過ごしてきた俺には受け入れられない。それだけ俺は年を取っていたからだ。異世界に行って成り上がり、ハーレムを作るとかいう夢なんて存在しないと、いやというほど現実で思い知っていたから。


 だが俺の目の前には現実に道路が草原となった現実があった。


 そうして、俺が半ばボーぜんと立ち尽くしていると、草原を囲む森の中から、草木を揺らして何かが近寄ってくる。


 俺は、森の中からクマか猪でも現れたのかと思いとっさに身構える。


 だが森の中から現れたのは……俺が想像していたようなクマや猪ではなかった。


「マジかよ……」


 俺は草木を揺らしながら森から現れたものを見て絶句した。


 なぜならそこには、俺がいるこの世界がファンタジーな異世界であることを裏付ける証拠となりえる存在が現れたからだ。


 それは、豚の頭に人間の体をした。俗にオークと呼ばれる体長二メートルほどの肌色をした魔物が現れたからである。


「オーク……」


 オークの姿を目にした俺は、思わず一歩引いてゴクリと先ほど口にしていたうす塩味のポテチの味のする生唾を飲み込みながら、喉奥から絞り出すようにその名を口にした。


 オークはブヒブヒと、その大人の拳大ほどもある大きな豚の鼻を引くつかせる。


 どうやら、何かの匂いを嗅いでいるらしい。


 俺が突然森から現れたオークの姿に面食らって、オークの行動を見ていると、オークは匂いの出所をかぎ取ったのか。こちらへと豚の目を向ける。


 そして、俺とオークの目が合った。


 俺というカロリーかたで肥え太った最上の獲物を見つけたオークは、ブヒッブヒッと鼻を大きく鳴らすと、巨体に見合った緩慢な動作で俺に向かって歩み寄ってくる。


 俺はあまりに非現実的な光景に、半ばボーぜんとして、その場を動けずにいた。


「こんなことありえない……」


 近寄ってくるオークを見つめながら、俺が呟きを漏らしている間にも、豚の姿をしたオークは、一歩また一歩と俺に近づいてきて、俺の目の前に来ると、右拳を振り上げて、半ばボーゼンとしている俺の頭に向かって右拳を振り下ろしてくる。


 俺は本能的に、両腕を交差させて防御するが、オークの怪力をまともに受けて、ヨロヨロと数歩後ずさってしまう。


「マジ……かよ」


 俺は俺の脂肪のつきまくった巨漢を、数歩とはいえ後ろに下がらせたオークのパワーに身震いした。


 なぜなら今まで俺の脂肪の鎧に守られた巨漢が、何かにぶつかって後ろに下がったことなどただの一度としてなかったからだ。


 俺はヨロヨロと後ろに下がりながらも、このままではまずいと思って、全力でオークから逃げるために走り出した。


 だが日ごろの運動不足と、俺の身についた脂肪の鎧があだとなり、一分もしないうちに息切れを起こしてしまう。


 くっまずいっこのままではいくらオークの足が遅いと言っても、すぐに追いつかれてしまう。そうなれば俺はオークのエサとなってしまうだろう。


 そう思いながらも背後から迫ってくるオークに一矢報いてやろうと、俺はブヨブヨと上質な脂肪の乗った拳を握り締めながら意を決して振り返った。


 だがそこにはすでにオークの姿はなかった。


「ハァ、ハァ、もしかして、逃げ切ったのか?」


 俺は異世界に来ると、何らかのスキルを得るとかいうラノベやネット小説の話を思い出し、異世界転移された俺の足に韋駄天などのスキルが加わっていて、オークから逃げおおせていたのだと思った。


 が、それは間違いだった。


 なぜなら、俺を追いかけてきていると思っていたオークは、俺の荷物であるリュックから何かの匂いをかぎ取ったのか。俺のリュックから小腹が空いたときに俺が食べていたポテチの袋をあさって、ものすごい勢いで食い漁っていたからだ。


「俺の……ポテチ……」


 オークの行動を見て、俺が呟いている間にも、今度は俺にとっての命の水である飲料水(特大コーラ)の入っているペットボトルの蓋を、オークがどうやって開けたかわからないが、器用に開けるとがぶ飲みし始めた。


「俺の命の水……(特大コーラ)」


 オークが俺のポテチをあさり、俺の命の水である飲料水(特大コーラ)を無我夢中で食い漁っている姿を目にした俺は、無言で、走り始めた。


「俺のポテチをっ俺の命の水をっ勝手に飲んでんじゃねぇっ! この豚がぁっっ!!」


 怒りの雄たけびを上げると共に、俺は俺の食い物をあさっているオークに手加減なしで殴り掛かる。


「ブヒッ!?」


 食事中にいきなり殴りかかられたオークは、俺の方を向くと怒りの表情を浮かべながら、ブヒブヒと怒りの声を発しながら飛び掛かってくる。


「ブヒッ! ブヒッ! ブヒヒィンッ!!」


 だが貴重なポテチと俺の飲料水である命の水を貪り食われた俺は、オークの怒声などにひるまない。


「あんっ!? 豚がったかが人間様の食料である豚肉の分際でっ俺様のっポテチを貪ってんじゃねぇぞっこのっブ・タ・ヤ・ロ・ウッ!!」


 俺は食事を邪魔されて、怒りの怒声を上げて飛び掛かってくるオークに対して、真っ正面から全体重をかけて、相撲のぶちかましを食らわしてやる。


「ブヒッ!?」


 先ほどまで自分にひるんでいたはずの俺の全体重をかけたぶちかましをまともに喰らったオークは、倒れはしなかったものの体勢を崩した。


 俺はここが勝負どころとばかりに、ありったけの力を込めて右拳でオークの横っ面を殴りつけた。


「ブヒィッ!?」


 俺に横っ面を殴りつけられたオークは、悲鳴を上げて頭から地面に横倒しになった。


 そこへすかさず、ポテチと命の水である飲料水(特大コーラ)を貪り食われた恨みを晴らすために、俺の拳が、足が、うなりを上げる。


「このブタ野郎がぁっ! 食い物の恨みを思い知りやがれぇっ!」


 しかし豚もブタで、生命力が強いのか中々死なない。


 そのため俺は地面に倒れた豚に、自分の全体重をかけてのしかかりながらも、周囲に視線を向けて、手ごろな石を見つけると、その石を掴みオークの頭にこれでもかこれでもかと何度も何度も食らわしてやった。


 もう何度オークの頭を石で叩いたのだろうか? ハァハァと俺が息切れを起こすころ。


「ブヒイィィィンッ!!」


 といった弱々しい悲鳴を上げながら、ようやくといった感じにオークが息を引き取った。


 俺はオークが動かなくなっても、しばらくの間オークにのしかかりながら、石を頭に叩きつけていたが、さすがに疲れてきたので、掴んでいた石を離すとその場で立ち上がりながら、オークの頭をけって完全にオークがくたばったのを確認すると、その場にしゃがみこんで安堵の息を吐いたのだった。


「ハァ、ハァ、なんとか、守れたぜ」


 俺はオークが食い散らかしたポテチや飲料水(特大コーラ)の入っている3リットル入りのペットボトルを見つめながら、満足げな笑みを浮かべたのだった。

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