待たせたな(イケボ) お風呂回だッ!④

 もわっと扉の向こうから溢れてきた湯気に目を細めた。


 でも視界が白く煙っていたのも数秒のことで、湯気はすぐに風に流されて、視界がひらけた先には木材を基調にした浴室が広がっていた。


「……いや待って」


「どうしたのイディちゃん?」


 リィルが小首を傾げてこっちを見てくる。二人は何事もなかったように浴室に足を踏み入れているけど、ワタシはその後ろで固まっていた。


 だってそうだろ? これって――。


「どう見てもプール!!」


 雰囲気はね、とってもいいよ?


 浴槽は木製で日本の檜風呂みたいなおもむきがあるし、周りのインテリアもいろんな種類の木とか竹みたいなのが植わってて、なんか小さな森の中にある秘湯みたいでさ。でも、この大きさはあり得ないだろ。


 もう雰囲気とか全部、デカさにぶち壊されてるよッ!


 目算で浴槽の大きさは縦が五メートル以上、横に至っては十五メートルくらいありそうだ。


「そお? 確かに豪華で立派だけど、こんなもんじゃない?」


「そうですね。様々な種族が利用する訳ですし、複数人で使用するとなると、これでも手狭という可能性もありますね」


「ん~、まぁ、そこは高級店だから複数種類の浴室があるんでしょ。私も事前に種族と員数も聞かれたし、私たちに合わせてここの浴槽を取ってくれたんだよ。これが馬人族ケンタウロスとかだったら、また別の浴室を案内してくれたんじゃない?」


「それもそうですね」


「……えー」


 いや、言われてみればそうなんだけどさ……。そうは言っても、これの大きさには圧倒されるしかなかった。


「そんなに驚いた?」


「はい。ワタシが知ってる浴場とはだいぶ違ってるんで……」


「へー。イディちゃんが知ってるお風呂屋さんって興味ある。どんな感じなの?」


「そうですね。風呂屋っていうと、まず待合というかロビーみたいな場所があって、そこから男女別の浴場に分かれていて、これの半分くらいの大きさの浴槽が複数並んでいて、そこに不特定多数の他人と一緒に浸かる場所……ていう感じですかね。

 あっ、もちろん洗い場はきちんと併設されますけど……?」


 あれ? なんですかね、この空気。目をつぶっていても感じられるくらい、二人からなんとも言い難い沈黙が漂ってくる。なんか、ワタシの言ったことが理解できなくて、唖然と固まって開いた口が塞がらないって感じの雰囲気だ。


「ハッ! いやいや、えっ? 知らない人と一緒にお風呂入るの? あり得ないでしょ」


 いやなんですか、その典型的な外国人の反応みたいなの。おかしくない?


 いち早く硬直から復活したリィルが首を横に振りながら、まるで異界から来た存在を前にしたみたいな表情で見下ろしてきた。


 いや、その通りなんだけど、そんな目で見ないでください。なんか心細いじゃないですか!


 リィルの視線にオロオロしてると、それに追随するみたいに、ゼタさんもワタシに向かってズイッと顔を寄せて問い詰めてきた。


「そ、そうです! しかも不特定多数って……それって種族とかも関係なくってことですか?」


 まぁ、向こうで言う人種は、こっちで言う種族みたいなもんだから間違いでもないだろ。


「はい。それはそうですけど……あっ、もちろんヤクザ、反社会的な組織と関わりのある人は入れないようにはなってますけど?」


「で、でも種族は関係ないと?」


「そうなりますね」


 またも沈黙が流れる。居心地の悪さにもじもじしながら覗いた二人の顔は、湯気に当たって頭も真っ白になってますといった感じで、驚愕に染まっていた。


「えっと……異種族が一緒に入ると何かまずいんですかね?」


「まずいも何も……その、抜け毛とかどうするんですか? 恥ずかしい話、私みたいな体毛の多い獣人族と一緒に入ってしまったら大変だと思うのですが……」


「それにさっきも言ったけど、種族によって必要な浴槽の大きさの違いとか、体を洗うのに必要な道具とか色々違うでしょ? それでどうやって一緒に入るの? メリットがないどころか、いらないトラブルが起こる想像しかできないんだけど……」


 なるほど、これがジェネレーションギャップならぬ、ワールドギャップってヤツなんですね。


 というか、二人からの視線が者を知らない可哀想な人に向けるものから、常識を身につけてない頭のおかしい奴に向けるものになってる!


 明らかにこの空気はヤバい、シリアスさんとハプニングさんがダブルウォーミングアップをしてるのを感じる!


 まずいぞ、このままじゃあ風呂どころじゃなくなる。話題を変えねばッ!


「あっ、あっはは~。言われてみれば確かにそうですね。やっぱり記憶が戻り切っていなくて、色々と混乱してるのかもしれません。

 あっ! 見てください、なんか浴槽光ってません?」


「なんか無理やり話題変えようとしてる~?」


「そ、そんなことないですよ?」


 くそぉ、さすがに適当過ぎたか。


 くぅー、リィルからのジトッとした視線に目を合わせられない!


 キスができそうなくらいの距離で胡乱な目を向けてくるリィルから逃げるように顔を背けるが、すでに剥かれているワタシにここから逃亡する術はない。


 ちくしょう、これでもワタシは風呂のマナーにうるさいっていうのに……さっきから視線が泳ぎっぱなしだ。風呂で泳ぐなんて小学生の頃でもやらなかったのに!


 ――間違いなくこれも犬になった弊害なんだよなぁ……うん絶対そうだ。


「あれ? でもこのお湯、本当に光ってますよ?」


(えっ、マジですか?)


 いやいや、見えてましたよ? 視界の隅っこの方でぼやぁっと何か光ってるなぁってホントホント。


 ただやっぱりじっくり観察してみないことには見間違えってこともあるし、だからこれはあくまで確認作業なんだよ。


 どこからともなく聞こえてくる気がする非難の声と目の前の視線から逃げるため、脇をすり抜けて浴槽まで小走りで近づいて、縁に手を着いて中を覗き込んだ。


「ホントだ。なんか底の方が光ってますね。これって、草?」


「うん、草生えてるね」


 ――これには日本中のネット民もニッコリですね。


 いや、そんなアホみたいにくだらないことはどうでもいいんだ。


 そんなことより、目の前の不思議現象ですよ。


 やや茶色味がかったお湯の底で、鮮やかな緑の若草が仄かに黄色く光りながら揺れてる。


「ね、ゼタ。これってもしかして……」


「はい。おそらくですが、ホロウグラス。アーセムの蓄光芝ちっこうしばですね」


「蓄光芝?」


 なんだ、そのいかにもファンタジーな感じの植物は。


 ワタシが首を傾げたのに、ゼタさんはピンと人差し指を立てて得意気に語りだした。


「ホロウグラスはアーセムの踏破済みの層の中でもかなりの上層でしか確認されていない特殊な蓄光芝で、太陽の光を吸収、蓄積して発光する性質を持つ珍しい芝です。

 分布や発生条件など、その植生の多くは謎に包まれており、分かっていることと言えば、日当たりのいい大きなうろの中に密集して生えるということと、なぜかそこでは他の虫や獣に襲われることがない非戦闘地域になっているので、避難所シェルターになることぐらいです」


「へ~。なんか凄そうな植物ですね」


「はい。実際にその植生地のほとんどをアーセム協会と空帝騎士団ルグ・アーセムリエで保護、管理しているので、一般の空師には存在すら知らない人も多いんですよ」


 なぜか自慢げに鼻息を吹きながら胸を反らすゼタさん。


 まぁ、ゼタさんも空帝騎士団の団員ですからね。自分の組織が有能であることに誇りを持っているのはいいことだよ、うん。だから、その揺れているお山は隠した方がいいですよ。


 いや、別にいやらしい気持ちになるとかは一切ないんだけどさ……。むしろ一切ないからこそ、ぷるっぷるのお山を目の前にすると込み上げてくる寂しさに圧し潰されそう……。


 目尻が濡れているのは湯気のせいなんだから、勘違いしないでよねッ!


 そんなことよりもこのファンタジー草のことですよ。なんでファンタジー産の草とか木とか花ってのは光りたがるんだろうね。


「しかし、なんでそんな貴重そうな草が、ここでお風呂に浸かってるんですか?」


「おそらくですが、この店のオーナーがなんらかの伝手を使って、芝の新芽の株を仕入れたんでしょう。しかし、人工的に蓄光芝を管理、育成できたという報告は聞いたことがありません。もしかしたら、見た目だけでシェルターの役割などは果たさない、模倣品かもしれませんね」


「ふ~ん。なるほどぉ」


 確かに、水の中でゆらゆらと揺れながら光っている様は幻想的だけど、草は草だしなぁ。


 なんていうか、すっごい凝ったアクアリウムって感じしかしないな。


 もうちょっと浴室の照明を絞れば、より光が際立っていい感じかもしれないけど……。ちょっと浴室の方が明るすぎて、これだけ水面に顔を近づけてもよく見えな、


「をう?」


 何かを踏んでいた感触はなかった。


 それなのに、つるりと後ろに向かって足が滑った勢いのまま、気づいた時にはワタシの体は空中で半回転して、逆さまになったリィルとゼタさんが目を丸く見開いているのと向き合っていた。


 いくら元の世界にはない不思議植物に興奮していたからといって、バランスを顧みないような無理はしていなかった。ということは、これはワタシのせいではなく、ワタシ以外によってもたらされて策略であり、災厄……つまりはぁ!




(ハプニングさぁん!!!)




 ――バッシャーーーン!

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