108 巫子の役割


 真摯な光を湛える銀色の瞳をまっすぐ見つめ返す。しかし、思考の裏まで見通す気概で力を込め、穴を開けるように覗き込んでも、そこに嘘の色は見当たらなかった。


 それと同時に先程の言葉が誇張も言い含めるところのない、過不足ない真実であると、現実的な衝撃をもってワタシを打ち据えていった。


 全身が震えたけど、今度は尻尾が張り詰めて固まるようなことはなく、力なく葉っぱの上に横たわったままだった。


 ――だってこれは、あんまりにも、酷な話だ。


 自分のまま好きなように死ぬか、たとえ自分ではなくなっても生かされるか……。


 それこそ、自分っていうものがある程度形作られている年齢なら自分で決めさせればいい話だけど、それを迫られるのは年端もいかない子供な訳で、もしかしたら自分のことすら認識できていない赤子かもしれない訳で……。


 いや、レオゥルムさんの語り口からすれば、むしろそういった赤子を選んで巫子としているんだろう。


 この世界の人々が、自分の意識をしっかり自覚できるのがどのくらいの年齢からかは知らないけど、それこそ人族でも種族によって違うかもしれないし、なんにせよ元の世界基準で考えれば早ければ二、三歳、遅くても五、六歳の頃には自覚できるようになってくる。


 でも、それはあくまでも自分が自分であることを認識できるってだけの話で、自分をどんな風に生きるかなんて、精神的に成熟したって普通は考えない。


 ……子供に話したところで、きちんと理解なんてできるはずがないのに……。


「……どうして……どうして、子供なんですか?」


 声が震えて仕方なかった。


 レオウルムさんは、ゆっくり頷いて、ぐずる子供をあやす時みたいに、綿毛で耳を優しくなでるような柔らかい声で語った。


「……一つは、まだ多くの者と縁を結んでおらぬことから、ここに呼ぶのが比較的に安易である点。

 そしてもう一つは、自己が形成され切っておらぬ年頃のである方が、精霊化の弊害がでにくいことが上げられる。

 ……個として強固に確立されている存在を変異させた場合、その者の精神が耐え切れず、もしくは変異することへの拒否がでてしまい、肉体、精神ともに崩壊してしまう恐れがあるのだ」


 そりゃあそうだろう。自分が自分じゃない何かに変わっていく様を、じっくりと見せつけられるなんて……想像なんてできない程、言葉では語れないし語ってはいけない類の、狂気に違いない。


 ……分からない。異世界中の人たちが幸せにあってくれなんて、そんな傲慢なことは望まない。ただ、せめてワタシが見た幸福と笑顔が、家族の和の中にあってほしいだけなのに……。


 それがどうすれば、これからも続いていってくるのかが、どうしても分からなかった。


「どうしても……どうしても、巫子は、必要なんですか?」


 ――ああ、なんて間の抜けた質問だろう。


 出会って数時間。好きな食べ物も、暇な時間をつぶす趣味がなんのかも知らないけど、ワタシとは比べ物にならない知性を秘めたこの幻獣様が、意味もなく人の一生を弄り回すような人でなしなんかじゃないって、知れているのに。


「巫子をなくすことは、できぬ」


 それでも、レオゥルムさんは子供の「なんで?」を向けられた親みたいに、突き放すことなく寄りそって語ってくれる。


「巫子は、此方の世話役でもあるが、それ以上に此方の子であり、此方の写し身なのだ」


 じっくり、味を確かめるみたいに、レオゥルムさんは星々が輝く空を仰ぎながら、目をつぶって続けた。


「此方の役目。この大樹の頂上に座し、来たるときに備え、人々を見守り寄りそうことにある。だが、聞かせたように此方はここから動けぬ。故に、人を知る手段が少ないのだ。特に、心を知るには、ここはあまりにも離れすぎている」


「心、ですか?」


「うむ、心だ。声ならば風に訪ねよう、営みならば星を読もう。だが心は……寄りそわなければ、知れぬのだ」


 きっと、この幻獣様は優しいんだ。その目的がなんであるにせよ、共にあろうと言ってくれるんだから。


 人とは何もかもかけ離れた存在。歩む時の長さも、まなこに映る世界も。


 人の一生なんて瞬きの間だろう。人の一心なんて朝露の一滴ひとしずくだろう。


 それでもなお、人の心が知りたいと、そう望んでくれるんだから。


「巫子は精霊化すると共に、此方の眷属ともなる。そして、巫子たちの中に此方の一端を預けることによって、巫子たちが見聞きしたもの、感じたことの一部が此方にも受け取れるようになっている。

 これにより、此方はアーセムの頂上に座しながらも、オールグの街の人々を中心として、多くの人族の心を知れるのだ。

 ……これが、巫子をなくすことのできぬ理由だ」


 それを最後にレオゥルムさんは黙り込んだ。


 ワタシたちの間に、形容しがたい、気まずさとも違う、重苦しさを含んだ沈黙が流れた。その沈黙に急かされるみたいに、もしくはその焦りを払おうとしたのかもしれない、グッと力を込めて頭を持ち上げた。


 この沈黙に流されるまま、いろいろな人たちの事情を抱えて、沈んでしまうのは嫌だった。


「分かりました。レオゥルムさんにとって、それはとても重要なことなんでしょう。

 ……それなら、せめてワタシが巫子である間、ワタシがどれだけ生きられるかなんて分からないけど、その間だけでいいんです。その間だけは、次の巫子を取らないようにできないでしょうか?」


「ふむ、しかしそれでは其方にとっての根本的な解決にはならぬのではないか?」


 小首を傾げながら見下ろしてくるレオゥルムさんの目から、無意識に顔を背けてしまった。別にこれがやましいことだなんて思わないけど、卑しいことだとは分かっているから。


「……ワタシは善人じゃあないんです。だって、今だってこの世界のどこかで誰かが傷ついて泣いてるのは、きっと本当のことで、でもそれをどうにかしようなんて思えないんです。ワタシはワタシの目が届く範囲、いえ、のことしか、目を向けられないんです。

 でもだからこそ、目に映ったものだけは大切にしたい……それだけです」


「ふむ……」


 いまだに顔を上げられないでいるワタシの視界の外で、レオゥルムさんが静かに考えを巡らせているのを感じた。


 そりゃあ、すぐに返事なんてできるはずもない。そこにどんな理があるかも分かっていない余所者よそものが口を挟めるようなことでもないのに、顔を突っ込んでいるんだから。


 それでも、これだけは頷いてもらわなきゃ、帰るに帰れないんだよッ!


「……うむ、分かった。其方の要望を受けよう。しかし、そうなると困ったことになるの」


 長く黙り込んでいたレオゥルムさんが頷いたのに、喜びのあまり跳ね上がった顔と尻尾を待ち受けていたのは、レオゥルムさんの悩みに苦み走った顔だった。


「それは、どういったことが?」


「先にも伝えたように、巫子として呼ぶのは命が長くは続かない幼子。ここに呼ばぬとすれば、その者はそう遠くない時に世界に還ることとなろう。ふむ、どうしたものか」


「………あ゛っ!」


 もう本当にどうしようもなく愚かだな、ワタシはッ!


 レオゥルムさんはずっとそう言っていたじゃないか。先の長くない子供が巫子に選ばれるって。それを止めるっていうことは、その子供に待っているのは、そういうことだ。


 ワタシの望みは、子供の未来を犠牲してしか成り立たない。


 確かにワタシは、シュシュルカさんになんとかするって約束してきた。でもそれは、揺り籠にいた子供たちの誰かが、遠くない未来にはいなくなるってことで、後に残るのはワタシのエゴしかない。


 そもそもシュシュルカさんが望んだのは、子供たちとの明日みらいであって、今じゃあない。でも、今を望まなかったら、先はないんだ。


 完全に塞がってしまった道に、ただ唖然と、座り込むしかなかった。


「……もし、子らを助ける方法があれば、其方は何を差しだせる?」


「………へっ?」

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