88 処女とは……(哲学)


 そもそも、こんな、甘くて美味しい糸玉を口の中に突っ込まれたぐらいでワタシの土下座・天上ノ構をどうにかなできると思ってるんだったら、まずはその甘々な考えをどうにかしてくるんだな!


「……うまぁ」


(べ、別にすんごく美味しかったから気分がほわほわして落ち着いたとか、そんなことはないんだからね! 勘違いしないでよねっ!)


 いや、ツンデレってる場合じゃない。これはさすがにおかしい。


 いくら甘うまな糸玉を食べたからって、こんな口の中で糸が解れていくのと一緒に気分まで解れていくなんて、普通じゃあないでしょ。


 これは間違いなく何かある。というよりも、この感覚は前にも味わったことがあるような気がする。


 あれは熱気とかメッキとかなんかよく分からないものが渦巻いていたり剥がれたりしていたステージの上、薬効は真逆だったけど、これはそう、妖精さんのお粉を吸引した時と同じだ!


(こんな幼気いたいけな幼女をアッパーにもダウンにもハッピーにするなんてッ! これが人間のやることかよぉ!?)


「落ち着いた?」


「あ、はい」


「ん、よし。ちゃんと効いてるみたいね」


 クイーンさんは、ワタシの顔を覗き込みながらうんうん頷くと、子犬を持ち上げるみたいに両脇に手を差し入れて天上ノ構を解かしにきた。


 すでに身体も心も緩み切っていたワタシでは、抵抗するどころかその気さえ起らず、無情にもワタシの土下座は敗北するのだった。


(……だけどな、これで終わりじゃあないぜ? 確かに、今のワタシじゃあ通用しない、それは認めてやるよ。でもな、それはのワタシだ。

 ……ワタシは、深化する! 寄り腰を低く、首を垂れて! 深く、深く、頭を下げてやる! ワタシの土下座は、地核コアを穿つ土下座だッ!)


「ん? やっぱりちょっと効き悪い?」


「バチバチに効いてるんでお薬増やすのは止めてください」


「そう? 遠慮しなくていいから欲しくなったら言うんだよ?」


 ここまであからさまに怪しさしかない口説き文句を聞く日がこようとは……、とりあえず正座で座り直して殊勝な態度でいよう。


「まぁ安心して。ちょっと依存性いぞんせいがあるだけで、身体に害はないから」


「へ~、そうなんですか」


 そうか、依存性は害ではなかったんだな。またワタシの知性が上がってしまったようだ。ふふっ、この分なら人間に返り咲く日も近いだろう。


「あっはっはっは」


「ふっふっふっふんな訳あるかぁ!」


 慌てて糸玉を吐き出そうとしたら、クイーンさんが目にも止まらぬ速さでワタシのお口を手で塞いできた。この速さ、世界を狙えるな!


「ふーん、やっぱり効きが弱いわね。さすがはマレビトってとこかしら」


「んーんーんー!」


(そんなことよりも、手を退けてくださいませんかね! さすがにこの歳から薬中は勘弁して欲しいんですけど!?)


「ああ、安心して。依存っていっても、中毒とかはないから。

 ほら、おんなじものを食べるなら美味しいもの方が良くって、まずいものをわざわざ食べようとは思わないでしょ? その程度のことだから、ね? 

 それに効果っていうのは依存性のことじゃなくて、精神安定とかの気を落ち着かせる成分を多く含んだ果実で作った糸玉ってこと」


「んー……」


 それなら、まあいいのか?


 いろいろ引っかかりはするけど、それを言いだすと元の世界の薬だってアウトになっちゃうし、より美味しいものを食べたいっていうのは、贅沢で恵まれたことではあるけど、普通の感情のような気もする。


 アーセムもそこに住まう生物も、お互いに持ちつ持たれつの関係を築いているってことでとりあえずは納得しておこう。


「って、そんなことはどうでもいいのよ。それよりも、イディ、だっけ?」


「え? あ、はい」


 えっ、なんですか、そんな圧かけるみたいに上半身を伸ばしてこっちに詰め寄ってこなくても土下座がお望みなら刹那の間もかけずに元の態勢に戻ってみせますよ。


 ふふ、まぁ見せるとは言っても、目に留まるかはアナタ次第だけどな!


 いざ――、


「まずは、お礼を。その子を憑かせてくれてありがとね」


「……へ?」


 ワタシの華麗なる転身は、逆に下げられたクイーンさんの頭によって止めれてしまった。


 というより、その子とは誰ぞ?


「えっと、その、なんですかね?」


「……えっ、待って。……気づいてないの?」


「その、何にですかね?」


 クイーンさんがワタシの言葉に唖然といった様子で口を開けたまま固まっていたかともうと、両手で顔を覆って天を仰いでしまった。


 いや、待って待って。そういう意味深なことばかり言って、最終的には自分の中で完結するとか、この状況で待たされる側の身になってください。


 気まずさとか居た堪れなさと一緒に煮詰められてる状態といっても過言ではないですよこれは!


「そっか。……そっか。そこからかぁ……」


(止めろぉ! それ以上に詰めたら焦げるぞ! マジでショート寸前だから!)


 クイーンさんが意味深な言葉を重ねる度に、ワタシの精神と胃にかかる重圧まで重ねがけされていくのは、そういう能力なんですかね?


 そろそろ限界が近づいて燃え尽きてもいい頃合いか、なんて思っていたところでようやくクイーンさんの中で整理がついてのか、なんとも言いづらそうなことを抱えてますって顔で近づてきた。


「えっと、その、ね? 落ち着いて聞いて欲しいんだけど……」


「な、なんでしょう?」


 ススッと目を反らしながら小声で話しかけてくるクイーンさんに、否応なしに高まってくる緊張が喉元まで上がってきたのを、つばと一緒にごくりと飲み下して、身構えながら次の言葉を待った。


 数秒の間を空けて、クイーンさんが意を決したように口を開いた。


「……アンタの耳に、うちの子が住み着いてる」


「……はぁ?」


 ――何を言ってんのかね、この女王蜘蛛は。


 王権を振りかざしったって、やっていいことと悪いことがありますよ。人の身体を物件扱いとか、不法占拠とかってレベルじゃないからな、そんなことが実際にあったら裁判ものですよ?


 そもそも発想が事故ってるし、しかもこんなさんざん超常的な動きをしでかしてくれたり、世界の壁すら越えている可能性がわが身に住まうとか、人の耳の穴を勝手に事故物件にするのは止めてもらえませんかね?


「ははは、冗談がお上手ですね」


「はっはっは、だよね。……信じらんないよね」


「はっはっは。……マジで?」


「うん、マジで」


「………」


「………」


 ――そうか。それが、世界おまえの選択か……。


「……お゛ぉぉぉ」


「だ、大丈夫だって! すぐに引っ張りだすし、身体傷つけるようなことはしてない筈だから、ね? ほら、泣かない泣かない。大丈夫だから! 

 おら、すぐに出てこんかい! と憑ぎ先の方泣かせてんじゃないわよ! 困ってんでしょうが!」


 泣いてなんかないやい! ただちょっと、心の防波堤が決壊しただけで、許容量オーバーしちゃっただけだから! だから……、今はそっとしておいてください。


「出てこない……。さては寝てるわね、あの子。まったく、いっつも寝てばっかで。ホント、アタシに全然似てないんだから。……仕方ない、ちょっとごめんね」


「ふひゃあ!?」


 なんですか急に、人の耳の中に果汁を絞るとか。新手のプレイですかッ!?


「ほら~、出てきなさい! さっさと出てこないと溺れちゃうわよ?」


「ああ、まって。こんな、人の穴という穴を好き勝手にふひぃいい!?」


 ぞわぞわってした! 今、ぞわぞわってした! 耳の奥で何かがうごめく感触ががが。


 ――……ギチギチ(……事前通告もなく強制退去とか控訴も辞さない)


「やっと出てきたわね、この寝坊助。ふざけたこと言ってないで、ほら、シャキッとして。さっさとこっちに来なさい」


 ――ギチギチ(裁判費用はそっちも持ちだからね)


「はいはい。じゃあ、改めてご挨拶。――うちの末っ子です」


 ――ギチギチ(ども)

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