12 認めるよ。ここ(異世界)は現実(非情)だって


 今日も、一日が始まる。


 顔を覗かせた朝日が街並みを照らしアーセムの葉々を輝かせる頃には、街の人々は既に支度を済ませ各々目的の場所へ忙しく足を動かしているようだった。


 通りの向こうから馬人族(ケンタウロス)の女性が街道を小走りに駆けてくる。

 おそらく市場で買い物をした帰りなのだろう、両手で荷物を抱えているのに加え、自分に繋いだ荷車の上にも大量の食材が積み込まれている。


 その彼女に笑顔で手を振りながら、多種多様な容姿をした子供たちがすれ違っていく。

 猫人族(ケットシー)、蜘蛛人族(アラクネ)、牛人族(ミノタウロス)。

 その中に小柄な馬人族の少女も混じっていた。もしかしたら女性とその子は母娘なのかもしれないし、はたまた姉妹かも。


 足取りも軽やかに子供たちが声を弾ませながら走っていく先では、眠そうに目をしばたたかせる人族の男性が大きな欠伸を溢れさせていた。

 昨晩から働き通しだったのが如実に分かるぐらい眠気に覆われた表情をしている、重そうに足を引き摺っている彼が向かう先にはベッドが待ち受けているに違いない。


 街の中を容姿も用事も様々に、たくさんの人たちが行き交う。


 穏やかな日和の中、オールグの街は今日も活気に満たされていくのだった……。


 ――オーケー、現実逃避はこの辺にしておこう。


 二度目ともなれば、流石に認めない訳にはいかない。


 あの見た目ショタの神様が実在して、ワタシがいるここはファンタジーで異世界という紛れもない現実で、疲れを癒すために寝て過ごそうと思っていた日曜日は、知らないうちに予測不能に満たされた一日に変えられてしまっていたということだ。


「グッバイ、マイホリデイ」


 寝なれた布団の中ぼんやりと霞む頭で、『起きなきゃなぁ、でも休日だし』とか考えながら夕方ごろまで惰眠を貪り、温もりに包まれたまま心地良い気怠さと空腹に夕飯への期待を膨らませる予定だったのに……、儚さに満たされるわ。


 身体が違うせいか、疲れが残っているように感じないのが唯一の救いかもしれない。


 しかし、本当にどうしたものか。正直な話、リィルさん以外に真面な知り合いが存在しないこの街で、どんな行動をすればいいのか全くもって分からない。


 だからと言って前回の有様から考えて、リィルさんに会うのも勇気がいる。


 前回の時からどれだけ時間が経っているのか、朝日が昇ってきているから同じ日にちということはないだろうが、リィルさんが落ち着きを取り戻しているとも限らない。


 もしあの愛が止まらない状態のままだったら、また地獄の鬼ごっこが始まる訳で、そうなったらワタシは逃げるしかない訳で。

 そして今度こそ捕まってリィルさんのペット的赤ちゃんになってしまい、愛情を享受するだけの存在にされてしまうのだ。


 ――フフッ、震えがとまらねぇぜ!


「いやいや、馬鹿なこと考えてないでどうにかしないと。一日中このままって訳にもいかなし」


 大広場から見上げるアーセムの雄姿は確かに美しく、迫力満点のビュースポットであるのは疑いようもないが、眺めているだけというのでは流石に飽きてもくる。


 巨樹を眺めながら取り留めもなく思考に溺れてみても、良い考えなど浮かんでくる筈もなく。悩みすぎて固まっていてはせっかくの休日がもったいないので、とりあえずリィルさんのお店に向かって歩きながら考えることにしよう。


 大丈夫、リィルさんに会わないように物陰からお店の様子をそーっと覗えばいい。

 もしリィルさんが未だに暴走しているようだったら、顔を合わせる前にずらかろう。


 噴水の縁から飛び降り、街道を行く人々に混ざって歩を進めた。


 しかし歩き出してみれば、ワタシという奴は存外と現金な奴で、風に乗って漂う異国の匂いとアスファルトとは違うコツコツと跳ね返ってくる石畳の感触に、不安よりも期待の方がムクムクと育っていくのをどうしようもなく止められなかった。


 風貌も様々に流れていく人波にあちこちへ顔を巡らせながら、ときおり人の合間をぬって香る美味しそうな匂いに鼻をヒクつかせる。


 それは焼きたてのパンのような香ばしさであったり、蜂蜜酒(ミード)のように芳醇な甘さであったりした。


 どれもが元の世界とはどこか違うように感じるのは、見るものも聞くものも新鮮な驚きに溢れているからかもしれない。


 先程までの心配事など置き忘れてきたように足取りも軽く、リィルさんのお店まで迷わずに進むことができた。


 路地の曲がり角から目だけを出して、覗くように店の様子を確認する。傍から見れば目だけでなく耳も突き出しているのは身体の構造上しかたないなので、ご愛嬌ということでワタシは気にしない。


 知っている人に見られていたら、結構恥ずかしいけれども。


 いつでも逃げられるように腰を引きながら、じぃっと店先を眺める。見る限り店に明かりが点いている様子もなく、人の気配があるようにも感じない。


 なんだか一気に廃れてしまったかのように店そのものに生気を感じられないのに、悪いことをした気になってしまう。


 いや、まだ朝早くて店を開けてないだけかもしれないし、リィルさんがあの後どうなったのかも分からないのに早とちりだとは思うが、それでも、もしかしてと考えてしまう。


 なんだか安心すればいいのか悲しめばいいのか分からない、なんとも据わりが悪い気分に肩を落として大きく溜め息をついた。


 いくら狂想的に追いかけられたとしても、こっちの世界で初めて知り合った人なのは変わりないし、嫌いになった訳でもない。


 ただ、ほんのちょっとだけ、怖くて急なことだったから。


 耳と尻尾を項垂らせて壁に寄りかかり、俯き加減にもう一度大きく息を吐きだした。今はただ、この身体が恨めしかった。


「やぁっと見つけたぁ!」


「ほうふっ! み、見つかったぁ?!」


 突然かけられた大声に肩を跳ね上げ、慌てて壁から離れると声がした方に目を向けた。


「あ、貴方は……三回転半(トリプルアクセル)!」


「なんだか凄まじい回転力がありそう響きだが、違う。オレの名はアミッジだ」


 そこには以前会った時とは違い、一般的な布製の服を身に纏った関所の青年が立っていた。


「そ、そうでしたね、失礼しました。それで、アミッジさんは、どういったご用件で?」


「んなことはどうでもいい。それより早いとこ俺と一緒に来てくれ。リィルが大変なんだ」


 アミッジさんは険しい表情でワタシの腕を握ると、こちらの返答を聞かないまま強引に引っ張って歩き出す。


 その顔は焦燥やら苛立ちやらを煮詰めたものを塗りたくったように荒々しく歪められており、目元に色濃く浮かぶクマからも相当に追い詰められているのが見て取れた。


「リィルさんがっ!?」


「ここ一週間、ほとんど飲まず食わずで塞ぎ込んでる。周りが何を言っても聞いちゃくれない」


「へ……?」


 アミッジさんは悔しげに唇を噛みしめ、痛みに耐えるように呟いた。




「リィルは今な、……牢屋ん中にいるんだ」

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