08 シリアス? ああアイツは死んだよ

 突如、頭上から聞こえてきた声にリィルさんは素早く視線を上げると、その場から飛び退った。


 リィルさんが霞むような速度でその場を離脱するのと同時に、高速で飛来した何かがワタシたちを分断するようにちょうど二人の中間に突き刺さり、地を揺るがす鈍い音を響かせた。


 まさに着弾。凄まじい衝撃と共に細かい石の欠片が辺りに跳び散った。


 一体なにが起こったのか、突然のことに目を白黒させて呆然としたまま、もうもうと土煙が巻き上がるのを眺めていると、ワタシを拘束していた糸が切られ、宙に投げ出されたところを誰かに抱きとめられた。


「ちょうど用事があったので店に伺ってみれば店主はおらず。それどころか客である筈のレジップ殿が何故か店番している始末。

 しかもそのレジップ殿曰く、リィルさんは見慣れぬ幼女を追いかけ奇声を上げながら凄まじい速度で店を出て行った、と。

 なにがなにやら分からずにいたが、とりあえずはと思い探して見れば……、

 これはいったいどういうことだ?」


 辺り立ち籠めていた土煙が吹き抜けた一陣の風に攫われ、視界が開ける。


 まず目に映ったのは、全身を覆う艶やかな黒の体毛だった。


 路地裏に降りる一筋の光に照らされ、出来過ぎた映画のワンシーンみたいに全身があらわになっていく。


 額からなだらかに突きだした鼻、垂れ気味で先の尖った大きな耳、そして頭部から後方に向かって伸びる太く捻じれた鋭い角。


「……山羊?」


 ワタシを抱きかかえたその人は、黒山羊と人間が混ざり合ったような姿をしていた。


「いかにも、私は山羊人族(パーンヌス)のゼタ。以後お見知りおきを、お嬢さん」


 ワタシを見下ろしてくる濃い黄金色の大きな瞳が、こちらの内心を見透かして安心してくださいと語り掛けてくるように、優しげに、柔らかく弧を描く。


 上半身を覆う実用性を重視ながらも美しい銀色の軽鎧と、その凛とした雰囲気も相まってどこか騎士のような風格を纏っているように感じた。


 というのもワタシの抱え方も横抱き、すなわちお姫様抱っこというやつで、その如何にもな喋り方も合わさり、城で剣を授かった古風な騎士然とした印象を受けたからだった。


 もしその胸部に大きな膨らみがなかったら、男性と勘違いしていただろう。


「あの……。そろそろ、下ろしていただいても?」


 しかし人生初のお姫様抱っこがやって貰う側とか、しかも相手は女性とか、色々と『俺』という男性の部分が致命傷を受けて先程とは違う意味で涙が出そうだ。


 顔面から出火しそうなくらい熱くなっているのを悟られまいと視線を外したが、赤くなっているのまでは隠しようがないので、なんだか余計に恥ずかしいことをしている気がした。


「これは申し訳ない。いきなり抱きかかえるなんて、レディ対して失礼でしたね。

 正式な謝罪は後程、今はこれで」


 そのことに確実に気付いていながら、ゼタさんはまるでなにも見ていないかのように優しく地面に下ろしてから、片膝をついてワタシの右手を取ると人差し指に触れるだけの本当に軽い口づけを落として微笑んでみせた。


 まさに紳士的騎士、不覚ながらちょっとだけときめいてしまった。


 ――ドオォン!


 ゼタさんの唇が手から離れるのと同時に先程と同じくらい大きな衝撃音が轟き、慌てて振り向くと、視線の先では地面に小さなクレーターと共に蜘蛛の巣状の罅が広がっていた。


 とてつもない力で踏み抜かれた地面の上、全身を項垂らせたリィルさんが幽鬼のような姿でそこにいた。


「わ、わわたし。私し、だ、だって……」


「離れて。今の彼女は正気を失っている」


 ゼタさんはワタシを自分の背に隠すように庇い、石突の部分が紐で繋がった二本のピッケルのような物を構えると険しい顔つきでリィルさんと相対した。


 影どころか闇まで背負っていそうな雰囲気でゆらゆらと身体を泳がせ、全身を震わせながらぶつぶつと意味になっていない呪詛めいた言葉を零す。


 今のリィルさんはそんじょそこらのホラーゲームに出てくる悪霊など目ではないとばかりに負のオーラを漂わせており、俯いた顔は黒く影に覆われ、ワタシのところからでは表情を覗うことができなかった。


 ゼタさんもその異様な雰囲気に圧されてか、自分から踏み込むことはせず腰を落として構え、出方を窺っているようだった。


 ゼタさんの強張りが伝播しているかのように、ワタシを含めた辺りの全てが硬くなって息を殺す中……不意に、リィルさんの動きが止まった。


 幽鬼めいた動きも、言葉になりきれていない呪詛も、空気まで侵食しているようなオーラまでもが、まるで初めから存在していなかったように綺麗さっぱり消え失せ、路地裏に奇妙な静寂が生まれた。


 ごくり、と唾を飲み込む音が異様に大きく聞こえた。


 緊張がそのまま空気になったように重くのしかかる中、ゆっくりと、ゆっくりとリィルさんの頭が持ち上がり、


 ――溢れんばかりに涙を湛えた瞳が覗いた。




「私だって……まだキスしてないのにぃっ!!!」




 まさに魂の咆哮だった。


「ずるい、ずるい、ずるいぃ! 私だってイディちゃんにキスしてあげたいのにぃ! 私の方が先に知り合ったのに、私より先にキスしたぁ!」


 悲哀と恨めしさでクシャクシャになった顔で握りしめた拳をぶんぶん振りながら、リィルさんは子供のように声を上げて泣きだした。


「あ、あの……リィル殿?」


 この予想外にはゼタさんも困惑をしきりの様子で、構えを解くと躊躇しながらリィルさんに声を掛けた。


 しかしリィルさんはキッと眉尻を吊り上げ、某弁護人みたいにビシッと音が出そうなぐらい見事な身のこなしでゼタさんを指差すと、こちらが申し訳なくなるぐらいの鼻声で捲し立てた。


「なにが『殿』よ。ぜんっっっぜん似合ってないからね、その喋り方ぁ! 

 準二級空師初の空帝騎士団(ルグ・アーセムリエ)だからって、変に格好つけちゃって。

 ゼタなんて、ムッツリスケベの癖にぃ!」


「なぁっ!?」


 リイルさんからの突然の口撃に上擦った声を出したゼタさんは、一度怯んだように仰け反ったが気を引き締めるように目に力を入れると、拳を握ってズイッと前に出た。


「わ、私はムッツリなんかじゃない!」


「うぅそぉだぁっ! ゼタは絶対にムッツリですぅ。

 山羊人族(パーンヌス)の一族はみーんな、性欲が強いって有名なんだから。

 それに加えて、ゼタなんておちんちん付いてるから尚更」


「わぁーっ! わぁーっ! わぁーっ!」


 しかし反撃はならず、ゼタさんは両腕をバタバタと振ってリィルさんの言葉を遮った。


 体毛で覆われているのにそれと分かる程、顔を真っ赤に染めて目に大粒の涙を溜めながら、大声を上げて騒いでいるゼタさんには申し訳ないが、ワタシの高性能獣耳はしっかりリィルさんの言葉を聞き取っていた。


 ――ふたなり獣娘って、属性盛り過ぎじゃない?


 ワタシの懸念を余所に、先程までとは逆に今度はゼタさんが胸の前で両方の握り拳をぶんぶん振りながら、涙声で捲し立てた。


「リィルさん酷いです! 秘密にしてくれるって、誰にも言わないって約束したじゃないですかぁ!? 

 いくら昔お世話になったからって言って良いことと悪いことがありますよっ!」


 ゼタさんの話し方が先程よりもかなり幼い、と言うよりは外見に見合った口調になっている。どうやらさっきまでの口調は意識して作っていたようだ。


 しかしワタシがそんなことを気にしている余裕などなく、二人の言い争いはヒートアップしていく。


「他人のデリケートな秘密を暴露するなんてぇ。リィルさんの馬鹿! アンポンタン! 魔力お化け! 耳なしぃ!」


 うるうると目を潤ませながら詰め寄ってくるゼタさんの言い分は尤もで、流石に言い過ぎたと思ったのだろうリィルさんは目を僅かに逸らしたが、それ以上に引っ込みがつかなくなっているのと、立て続けに浴びせられるゼタさんの罵倒に、耳をピクピク痙攣させながら腕を組んで小馬鹿にするように応戦し始めた。


「外面も内面もコチコチに固まって石みたいに硬いのに、可愛いものに目がない癖にぃ。

 前に私に注文した部屋着だってフリフリのフリルが沢山ついた乙女チックなのだったし、合わせてホーンドレスまで注文してった癖にぃ」


「わぁーっ! わぁーっ! わぁーっ! 

 なにお客の個人情報を勝手に漏らしてるんですかぁ!? 

 リィルさんなんて仕事が絡まないと碌に部屋からも出ない引き籠りでしょう!」


「私はお仕事でしっかり人と接してるから引き籠りじゃないですぅ。

 それを言ったらゼタなんて、ほとんどの人と素直に話せてないでしょ!」


「私は公私ともに正しく規律をもって生活してるんです! 

 リィルさんみたいに誰彼構わずくだけた話し方で接してる方がよっぽどです!」


「ゼタなんて……!」


「リィルさんなんて……!」




 もはやシリアスさんは息をしていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る