第36話 花飾り

 ユーキの身体が濁流に飲み込まれていく。

 それをアタシはただ見ていることしかできないのか――


 悔しくて悔しくて……

 頭のツノが裂かれるような痛みを感じて……

 アタシは頭を抱える。


 こんな別れが……

 こんな痛みを感じるのなら……

 ずっと1人のままの方が良かったな。

 

 ユーキと出会わなければよかった。

 もう……

 一人で城には帰りたくないな。

 もう……

 お終いにしよう――


(お父様、最後までわがままな娘をお許しください――)


 アタシはユーキを飲み込んだ濁流に身を任せることにした。


 もう息をしなくても良いんだ。そう考えた途端に体中の力が抜け、不思議と苦しみから解放された。上も下も分からない真っ暗で静かな空間の中で、アタシの脳裏に昔の記憶が蘇ってくる――




 アタシが物心ついたころには母の姿はどこにもなかった。けれど、アタシの周りには沢山の大人がいて、寂しいと感じたことはなかった。


 幸せというものは残酷のもの。それを失って初めて後から気づくのだから――


 人間が魔族の生活圏を侵略し始めたのだ。それでも戦争開始当初は魔王軍が優勢だったのだった。戦況が大きく変化したのは、人間側に『召喚されし者』が加わりはじめたころだった。彼らは本来ならあり得ない能力ちからを使って魔王軍を次々にうち滅ぼしていったのだ。


 まだ幼かったアタシは、自分の周りから大人が次々にいなくなっていくことがただただ不思議だった。沢山いたアタシの身のりの世話や一緒に遊んでくれた大人達が、気付いた頃にはほんの一握りになっていた。

 獣人のウォルフは遊んでくれる大人の最後の1人だった――


「お嬢様はお花飾りを編むのがお上手ですね」

 その日もアタシ達は城前の広場で花飾りを編んでいた。ウォルフはアタシがやることをいつも褒めてくれる優しい大人。


 当時の城の前は門へ向けての道があるだけで、その両脇にいくらかの花が植えられているだけだった。だから、花飾りを編むのに使える植物を探すのも一苦労だったのだが、鼻の利くフォクスはそれを見つけるのが得意なのだ。


「お嬢様、このお花はいかがですか?」

「ええ、良い感じだわ! 今日のお花飾りは良い物ができそうよ」

「きっと魔王様もお喜びになられますね」


 お父様は忙しい合間にもアタシとの時間をとってくださる。だからアタシはお父様に花飾りをプレゼントし、褒めてもらうことが日課となっていた。


「ウォルフや、炊事場の人出が足りんので手伝って欲しいのだが……」


 城の方からしわくちゃの顔の老いた獣人が近づいてきた。アタシが立ち上がると、老いた獣人は慌てたような顔をした。おそらくは、彼にはしゃがんでいたアタシが草花の陰になり見えていなかったのだろう。


「ひ、姫様、これは失礼しました。そうか、ウォルフは姫様とご一緒であったか……ならば仕方がないか……」


 老いた獣人がばつが悪そうな素振りで去っていこうとした。そこでアタシは――


「ウォルフは仕事にもどりなさい。アタシは一人でも大丈夫よ! だから……お仕事がんばってね!」

「いえ、お嬢様はそのようなお気遣いは……」

  

 城から大人の数が減っても、やるべき仕事の分量は変わりがない。だからウォルフ達はいつも忙しそうに働いているのだ。


「いやはや、お姫様もすっかり立派になられましたなぁ……さぞや魔王様もお喜びになっていらっしゃることでしょう。もういつでも戦場に出られそうですな――」


「何をバカなことを言うか!、この老いぼれシジイが!」


 ウォルフが珍しく声を荒げた。しわくちゃの獣人はウォルフの剣幕に押されて頭をかいて、アタシに向けて愛想笑いを浮かべたままウォルフに連れられて行ってしまった。


 一人残されたアタシは、花飾りの続きを作ろうとしたけれど……褒めてくれる人がいなくなった途端に、つまらなくなって部屋に戻ってしまった。


 ううん、そうではなかった――


 アタシは料理も作れないし武器を持って戦うこともできない。城の中では皆がそれぞれに役割があって忙しく毎日働いているのに、アタシだけがなにもできない。そのことが悔しくて……お父様に申し訳なくて……部屋に逃げ帰ったのだ。


 部屋にはアタシが大好きな桃色の家具とぬいぐるみで溢れかえっている。これらは全て、城の皆がアタシのために人間の村から買ってきたり、作ってくれた物ばかり。


「ああ、アタシは皆に苦労をかけてばかりで何も返すものがないの……」


 アタシは机に突っ伏してため息を吐く。


「お花飾り、まだ作りかけだけれど……これでもお父様は喜んでくれるかしら……?」


 アタシは気を取り直して部屋を出る。

 少し前までは廊下を歩いていると何人もの大人とすれ違い、皆声をかけてきたものだけれど、今はほとんど誰ともすれ違うことはない。


 玄関ホールを通り、お父様のいる玉座の間へ向かう途中でバラチンに出会う。バラチンはお父様の古くからの戦友らしい。魔王に就任したお父様の懐刀として忙しく働いていらっしゃる人。


「おやおや、アリシアお嬢様。今日もお花飾りを?」

「ええそうよ。でもまだ作りかけなの」

「おやおや、作りかけですか……」

「うっ……やっぱり……ダメ……かしら?」

「いえいえ、我らが魔王はお嬢様の物なら何でも喜んでお受けとりになりますよ。しかし魔王はこれから大切な会議があります故、しばらくお待ちいただくことに……私も会議に出ます故、お嬢様のお相手は――おお、そうだ!」


 バラチンは何かを思いついたらしく、近くにいた兵士に声をかけた。

 しばらくすると、小さな女の子と私と同じぐらいの年の男の子が現れた。


「今日からこの者達をアリシアお嬢様の付き人に加えます故、どうぞ何なりとお申し付けください。おまえたち、お嬢様を広場へお連れになってお相手をしてきなさい」


 二人にそう言い残してバラチンは去っていった。


「あなた、綺麗な黒髪ね! 瞳の色も黒くて大きくて可愛いわ!」


 アタシは小さな女の子に声をかけた。彼女は極度の引っ込み思案のようで、おどおどしていたけれど、ニコリと笑ってくれた。


「姫様すみません、カリンは人と話すのが不得手なもので……拙者はカルバスと申します。以後お見知りおきを――」


 カルバスと名乗った少年が跪き、それを見たカリンという名の少女も跪いた。


「カルバス、あなた変わった話し方をするのね! でも素敵だわ。よろしくね2人とも。アタシのことはアリシアって名指しで呼んでいいわよ」

「い、いえそんな……」


 カルバスは困った顔をしたので、他の皆と同じように『お嬢様』と呼ばせることに決めた。


 アタシたちはお父様の会議が終わるまでに花飾りを仕上げに広場へ出た。

 でも、カリンとカルバスはこういう遊びをしたことがないという。2人は兵隊としての訓練を積み重ねてきた精鋭部隊の候補生なのだという。


「じゃあ、アタシがあなた達に花飾りの作り方を教えるわ! その代わり、あなた達はアタシに剣術を教えなさい。ねえ、素敵だと思わない? そうしましょうよ!」


 その日からアタシ達3人での日々が始まった。大人達はアタシが剣術を学ぶことを快くは思っていないようなので、アタシ達は広場で花摘みをする傍ら、隠れて稽古を重ねていった。  


 それからしばらく経ったある日のこと――


 その日は冷たい雨が朝から降っていた。

 アタシが玄関ホールに行くと、びしょ濡れになった兵士で人だかりができていた。

 その間からカリンのすすり泣く声が聞こえる。


「カリン? そこにいるのはカリンなの? 何で泣いているの?」


 すると数人の兵士が振り返り、 

 

「あっ、姫様、こちらへ来てはなりませぬ!」


 アタシが駆け寄ると、びしょ濡れの兵士がアタシを止めようとしたけれど、その手がびっしょりになっていることに気兼ねしたらしく、身を引いて道を開けてくれた。

 

 そこには横たわった魔人の亡骸が数体並んでいて、カリンはそのうちの1人の頬に手を当てて泣いていた。


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