彼岸の境界

1話 家族問答

01.302号室の人影

 アメノミヤ奇譚から丸2日が経った。昨日は1日そのぎ公園の捜索で忙しかったというか、歩き過ぎて太腿が筋肉痛である。

 そんなミソギ達同期3人は休憩時間を使って霊障センターへ、雨宮の見舞いに来ていた。とは言っても明日には退院するので経過報告というか、ただただ会いに行っただけのような気もするが。


 相当暇だったのか、雨宮はベッドを離れて随分と彷徨いていたようだ。この間見た時より、顔色もずっと良くなっている。


「ともかく、退院したらまずはミソギの仕事に着いて行こうかなあ。リハビリがてら、エース様の胸を借りないとね!」

「いや、そんな高尚なもんじゃないからね。私っていう存在は」


 それ以前に、とトキが眉間に皺を寄せる。


「ミソギは今月、解析課の担当だ。通常業務と動きが違うぞ」

「そうなのかい? 解析課って何?」


 3年というブランクは、本来彼女も知っていて然るべき事を知らないという事実に直結する。今月担当という事でミソギは口を開いた。


「解析課っていうのは、警察に新しく出来た部署で正式名称は『怪異解析課』っていうんだよね。呪殺とか殺人事件に分類されるようになったから、機関から担当を出して事件解決に当たってるんだよ」

「成る程。まあそうなるよね。警察は人間に対しては強い力を持っているけれど、怪異相手ならやっぱり機関だよ」


 俺は先々月だったな、と懐かしむように十束が目を眇める。


「ミソギ、覚悟しておいた方が良いぞ。忙しくはないが、こう……この手の仕事は精神にくるぞ、うん。警察は偉大だ、本当に」

「ちょっと、脅かさないでよ……!」

「ホラー系の中に人間の生々しさを混ぜた感じだな!」


 早くも今月の仕事が嫌になってきた。何事も無く来月が来る事を本当に祈っている。


「来月あたり、南雲に順番が回ってくるかもしれないな。来月、雨宮は無いだろう。相楽さんに訊いた訳では無いが」

「トキ、その南雲って子を私にも紹介しなよ! 君達のカワイイ後輩なんだろう?」

「カワイイ? 雨宮、お前犬は好きだったか」

「犬?」


 和気藹々。やはり雨宮がいると全体的に空気が柔らかい。病院、という場所のせいもあるだろうが彼女は次から次に話題を提供してくれるので、上手い事トキの苛立ちを発散させられるのだろう。

 ちなみに十束は雨宮が回復してからこっち、分かり易く上機嫌だ。彼は彼で雨宮との蟠りを抱えていたが、それは完全に解消したのだろう。


「ミソギ?」

「え? ああ、どうしたの雨宮」

「ぼうっとしているようだったから」

「いやさ、解析課の担当、相当暗そうだからゲンナリしてるんだよね」

「ミソギ、本当にそういうの苦手だよね! 十束も、怖がらせるような事を言っちゃ駄目だよ」

「いや悪い。そんなに考え込むとは思わなかった!」


 十束とトキの件は置いておくとして、実際問題、解析課の担当は自分で大丈夫なのだろうか。色々忙しいし考えなければならない事もあって深く考えなかったが、警察と言えど怪異に対しては一般人。

 つまり、相手が人ならばともかく、相手が怪異なら普段は護られている側の自分が同行者を保護しなければならないという事だ。出来るのか、そんな事が。


「トキ、解析課の担当って一人でやるの?」

「1回は前任が同行する事になっている。いきなり一人で放り出す事は無いはずだ」

「あ、そうか。1回目はセーフか」


 しかし以降は一人で担当か。早々、人的怪異事件は起きないのだろう。

 と、不意にマナーモードにしていたスマートフォンが振動した。相楽から連絡が行くかもしれないから電源だけは落とすなと口を酸っぱくして言われていたので、久しぶりにマナーモードを活用したのだ。


 断りを入れてスマホを耳に当てる。例の相楽から電話だった。


「もしもし、相楽さん? どうかしたんですか?」

『おう、ミソギか。休憩終わったら支部に来いよ。トキも一緒に』

「はーい、了解です」


 通話を切り、トキに声を掛ける。


「仕事くさい……。相楽さんが、トキも一緒にってよ」

「そうか。雨宮、明日は来ないぞ。退院したら連絡しろ」

「えー!? 退屈なんだよ、明日も来てよ! 死ぬ、退屈で死ぬ!」

「私は病院と名の付く施設が嫌いだ。来てやっただけ有り難いと思え」


 十束は? と訊ねると、彼は首を横に振った。


「俺は午後出勤だからな! 退屈していると言うし、まだいるよ」

「あ、そう。よし、行こうかトキ」


 雨宮の病室――301号室を出る。友人達に手を振ってスライド式のドアを静かに閉めた。


「ああ、仕事なのかなあ。気が重いわ」

「十束のアホめ……。ふん、言う程恐ろしい仕事は無かったぞ。私の時はな」

「トキの感受性は常人のそれとは違うから全然信用出来ないわ――」

「おい、どうした」


 302号室を通り掛かったのだが、一昨日の事が頭を過ぎりそれとなく中を覗く。開け放たれてはいるが、奥にあるベッド周辺はカーテンが引かれていてよく見えない。人型のシルエットが見えた。ベッドに座っているのだろう。

 何故か目が離せない。視界からその人影を外した瞬間、襲い掛かって来るかのような被害妄想が頭から出ていかないのだ。

 横顔が、ゆっくりとこちらを向く、向いて、目が合った――


「おい、行くぞ。ボサッとするな」

「え? ああ、うん。いや何かさ、302号室の人と目が合ったような……」


 はあ? と、トキが眉間に皺を寄せ、そして首を傾げた。


「誰もいないように見えるがな」

「……えっ」


 カーテンの向こう側にあった人影は消えている。最初から誰もいなかったかのように。流石に不気味だったので、口を閉ざしたままミソギはそっとトキにエレベーターのボタンを押すよう促した。

 もう、早く出よう。ここからは。

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