05.アメノミヤ

 ***


 ――ブチッ!

 耳元で聞こえていた音声が急に途切れる。通話を終了したので当然なのだが、それとは別にミソギの心臓は早鐘を打っていた。

 南雲から掛かって来た電話を、三舟だと勝手に思い込んで取ってしまった。幸い、南雲が電話口でも煩かったので余計な事を口走る前に通話を終えられたが、あれがトキや十束だったら「今度は何ですか三舟さん」くらい口走って大惨事になっていたかもしれない。


「あっぶねー……」


 アホみたいな凡ミスであらゆる事を無に帰すところだった。不運と幸運が同時に訪れたお陰で乱れた呼吸を整える。


 気を取り直して。

 今、目の前には最後の水瓶がある。最早躊躇い無く斧を振り下ろし、水瓶が完全に破壊されている事を入念に確認した。その上で、今度こそ三舟に連絡する。

 次は最後の砦、アメノミヤの祠へと向かうのだがあの場所は山を背負っているせいで地図上に無い場所となっている。地図が読めないタイプなので、三舟のナビゲートが必要だ。


「あ、もしもし三舟さん? 水瓶、破壊しました。祠までの道案内お願いします」

『君は地図もまともに読めないのか? 現在位置が表示されているだろう、画面に』

「ツメの動かし方が分かりません」

『はぁ……』


 電話越しにでも分かる、盛大な溜息を吐かれた。しかし、ここで自分を放り出さないあたり、やはりあの誓約書は本物なのかもしれない。渋々、と言った体で三舟が口を開く――


「ふわっ!? げ、あ、アメノミヤ……!!」


 水瓶は全て破壊したので、このそのぎ公園で出会える怪異は最早、土着信仰神アメノミヤだけだ。そんな彼女が離れた場所の水溜まりからゆぅらり、と姿を現す。1体しかいないせいでエンカウント率は低めだが、粘着されると危険だ。

 スマホ越しの三舟が冷静に言葉を紡ぐ。騒がれても対応に困るが、ここまで冷めていると逆に理不尽な怒りのような感情を覚えるのは何故だろう。


『叫ぼうが無駄だな。そのまま祠まで走れ。何、水溜まりさえ踏まなければ奴が人の足に追い付く事は無いだろう。君は散々、水瓶を破壊している。マークされているのだから、死に物狂いで逃げた方が良いな。まずはそこを右だ』

「三舟さんって結構お喋りしますよね。自分の話したい事だけを」


 軽やかに水溜まりを越える。アメノミヤは土着信仰『神』。捕まれば命は無いどころか、死ぬより凄惨な目に遭うかもしれない。

 そんな強迫観念が、体力の無い身体に鞭打ち、ウサギのように軽やかな動きを再現する。人間、死ぬ気でやれば存外何でも出来るものだ。人体の神秘について考えさせれる、今日はそんな1日に違い無い。


 水溜まりを奇跡的に全回避し、三舟のナビゲートに従いつつ、ようやっと祠が見えてきた。3年前はあの祠から一番に逃げ出した自分が、最終的にはここへ戻って来たという事実。これもアメノミヤの――或いは、雨宮の呪いなのかもしれない。


「祠、見えました!」

『そうか。早くしたまえ。君の足が思いの外遅かったせいで、それなりに時間が経っている』

「口を開けば何かしらの嫌味を言ってきますよね」


 開け放したままの祠に土足で踏み入る。本来は靴を脱いで入るべき造りになっているようだが、床板はそこそこ腐っているし、割れた板なんかが転がっていてとてもじゃないが靴下で動ける場所ではない。


 そんなボロボロの有様の祠。ただし、神を奉る為の神器だけは異彩を放っていた。

 荘厳な空気、誰かが掃除でもしているのだろうか。中心奥に置かれているそれは曇りのない光を放っている――ように見える。霊感の無い人間にはただの小汚い大きな杯にしか見えないのかもしれない。

 というかこれ、壊せるのだろうか。結構しっかりした造りというか、女の細腕が振り下ろす斧で解体出来るのか不安である。


 ガタンッ、と背後で音がした。


「えっ!? 嘘、もう追い付いて来たの!? 足速くなってんじゃん、運動した?」


 見れば、祠の段差、1段目に足を掛けたアメノミヤがいた。念の為周囲を見回してみるが、水溜まりらしきものはない。もしかしたら、アメノミヤは祠までワープ出来るのかもしれない。

 四の五の言っている場合ではないようだ。

 退路はない。持っていた斧を神器に振り下ろした。固い固い感触。雨でかじかんだ手が悲鳴を上げる。


「や、ヤバイ……。これは……」


 ちら、と背後を見やった。アメノミヤはゆっくりと近付いて来ている。あと数十秒もすればすぐ背まで追い付いてしまう事だろう。

 一度、二度と斧を振り下ろす。水瓶の時とは違ってびくともしない。しかし、若干杯の首部分が拉げて来ている――ように見える。腕が当たってスマートフォンが床を滑っていったが構っている暇も無い。三舟の声が聞こえたが、答える余裕もまた無かった。


 この時期にあるまじき、冬のような冷気を吸い込む。ぎしぎし、とアメノミヤが踏みならす床の音が耳朶を打った。


「このっ! ああもう、強度あり過ぎ!!」


 不平を言ってみるも、当然ながら効果はない。

 大柄の男性より高い影が手元を暗くするのを感じて、ミソギは背後を振り返った。

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