03.黒い霊符
しかし、ここからどうすれば良いのだろうか。彼女と話をしたからと言って、怪異である彼女が成仏するはずもない。そもそも、機関の皆が一言も触れないが怪異とは成仏するものなのだろうか。
答えは否、成仏などする事が無いのだと南雲自身は推測している。死んでからも殺されるなんて、彼等は何て希有な存在なのだろうか。そもそも、必ずしも怪異の元が死者であるとは限らないが。というか、基本的な発生源は人の噂。であれば、死を体験した訳では無い彼等は明確に死者とは分類出来ないのかもしれない。
取り留めのない思考に捕らわれていた時だった。階段を駆け上がって来る音が耳に届いたのは。階段下で倒れていた紫門が起き上がったのかもしれないし、校舎内には他にも同僚がいたので、その中の誰かだという可能性もある。
アカリの様子を伺ってみたが、彼女はボンヤリと上の空だ。今なら、駆け付けてくれている誰かが乱入して来るまで気付かないだろう。
「アカリちゃん、成仏とかしないわけ?」
「成仏? どうやってするの、それは。あたしだけが満足したところで、何も変わらないと思うの。それに――ああそうだ、あたしは復活する。誰かに七不思議の座を譲って!」
「やっべ、おもっクソ地雷だった!!」
身を引くのと、救援が駆け付けたのはほぼ同時だった。
こちらへと手を伸ばそうとしていたアカリが、怯んだ様にその手を引っ込め、驚いたような顔で距離を取る。瞬間、視界の端を細長い鈍色の鋭利なそれが横切った。
「南雲、大丈夫だった!?」
「呑気にお喋りしているように見えたがな」
顔色が正常な色に戻っているミソギと、トキ。
校舎で初めて出会った時の光景を彷彿とさせる。しかし、あの時に漂っていた悲壮感と歪な形容し難い空気は僅かに払拭されていた。自分がいない間に彼等の間で何事かが解決したのだろうか。
その手に模擬刀を携えたトキが油断無くアカリを睨み付ける。彼女は彼女で、最初は恐らくトキが持っていた刃物に驚いたのだろうが自らの立場を思い出したらしい。気を取り直すかのように頭を振っている。
「南雲、下がっていろ。下の階で紫門に話を聞き、対策を持って来た」
「対策を、持って来た……? というか、紫門さん無事でした? 盛大に階段から転げ落ちて行きましたけど」
「額を切ったって言ってた。でも、大怪我じゃないし終わったら病院に行くってさ」
「いや、頭をぶつけて具合が悪いと言っていたが。ああいうのは後から症状が現れる。動かさない方が良いだろう」
階段下を一瞥する。成る程確かに紫門の姿は無かった。自分がアカリと会話している間に下の階へ行き、更に助っ人を呼び集めてくれたのか。本当、余計な言動さえ無ければ驚く程のエリートだ。有能が過ぎる。
アカリが嗤う。先程までの中学生的なあどけない表情が消え、どことなく老獪な、アンバランスな表情だ。
「この際、ミソギさんでもいいや。やっぱり、人型の七不思議は女の子じゃないと!」
「女の子って歳でも無いんだけどなあ……」
ミソギはその手にメガホンを持っていた。電池を入れる、本格的なそれではなくプラスチックを丸めただけの、百円均一にも売っていそうなメガホンだ。まさか、これが対策だろうか。効くとは思えない。
「先輩、それは多分、無理――」
爛、とミソギにしては珍しく何らかの感情を多分に含んだ視線がアカリを射貫く。そこに混ざる感情は恐らく、恐怖ではないだろう。
メガホンの効果で一点集中、いつもの反射的な絶叫ではなく明確な意思を感じさせる大声が響いた。
舐めて掛かっていたであろうアカリが何かに押されたようによろめき、蹲って耳を押さえる。余談だが、確かにミソギの声は大きかったが耳を塞いで声をシャットアウトする程では無い。それ即ち、ダメージを受けているという事だ。
彼女の周囲を取り巻いていた椅子や机が音を立てて廊下に散乱する。
それを見届けたトキが、懐から霊符を取り出した。ただし、それはいつも使っている白い札ではない。
――黒。真っ黒な紙に、白で文言が綴られている。本能的恐怖を覚えるような反転した色の霊符を1枚だけ指に挟んだトキは狙いを定めるように一瞬だけ呼吸を止めた。そして、一思いにそれを放つ。
ミソギの絶叫効果か、蹲っていたアカリはその霊符を嫌がるように左手を突き出した。それをふわりと躱した黒い霊符が、少女の額に貼り付く。
悲鳴。
耳を劈くような、大勢が一斉にがなり立てたような悲鳴が響く。聞いているだけで精神を蝕まれるような、藻掻き苦しみ悶え苦しむ、断末魔の絶叫。自分は何もしていないはずだが、酷い罪悪感に息を呑む。何てことをしてしまったのだろう、というお門違いな思考が脳裏を過ぎった。
ばきばき、と人間の骨が折れるような音がアカリから響く。霊符を中心に、彼女の顔面がマネキンでも叩き割ったかのようにひび割れていった。
割れた唇から発せられるのは、怨嗟。
「痛い痛い痛い痛いッ!! 酷いッ!! 呪ってやる、呪ってやる呪ってやる!! 呪う呪う呪う呪う!!」
眼球が片方無くなった双眸で、アカリが睨み付ける。ミソギとトキを、だ。このまま放っておくと後々大変な事になる。そんな予感を覚え、南雲は口を開いた。
「アカリちゃん! あのさ、上手く言えねぇけど、高校、行きたかったんだろ? 人を呪うとか、止めといた方が良いって。そんな事してるより、次の時は長生きしよ? なっ!?」
――やっべ、上手い事言えなかったな……。
あまりにも適当と言うか、語彙力の無い説得に絶句したのかアカリの口が閉ざされた。ああ、終わったな。これ。
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