06.大鏡の中はどこにあるの?

 ***


 わさっ、と白い粉が大気中に舞うこと無くパラパラと床に落ちていく。足下が若干じゃりじゃりとした。それと同時に断末魔のような、恨みの籠もった悲鳴が廊下に轟いた。


「こいつ等、何でこんな強ぇのに塩に弱いんだ?」

「し、知らないわよ。塩に弱いんじゃなくて、浅日の霊力で溶けたんじゃないの?」

「いや、流石にこんな成長した怪異を一発で消し飛ばせる程じゃねぇわ。ミソギ砲かよ……」

「ちょっと、何それ。ミソギに許可取ってそういう風に呼んでる訳じゃないわよね?」

「あ」

「チクってやろうかしら」

「止めろって! アイツの仕返し、意外と陰険なんだよ!」


 人間に害を及ぼせる怪異。そんなエリート怪異であるはずの鏡内部の怪異はしかし、塩の一振りでザァッと溶けてしまう。原理はよく分からないし、霊符はすでに使い切って効かなかった事が証明されている。


「何だかナメクジみたいね。ある一点に弱い、みたいな」

「おい馬鹿止めろ。マジでナメクジにしか見えなくなってくるだろ。クソッ、人生でこんなに大量の塩を撒いたのは初めてだぜ……!」


 チラ、と浅日を見やる。彼は大きなバックパックの中に大量の塩を持っていた。まだまだ使い切らないだろう。


「ねぇ、浅日。何故あなたは大量の塩を持っているの?」

「仕事前に買い込んだ。経費でな!」

「お遣いを頼まれていたのね、相楽さんに」

「おうよ。ま、まさかこんな所で使う羽目になるとは思わなかったけどな。これも俺の日頃の行いか」

「え? あなた、日頃のどの辺りで善行とか積んでいるの?」


 捻れた廊下を通り過ぎる。現在は2階の踊り場へ向かっているところだ。入った場所からなら出られるのではなのか、そう考えたのである。

 浅日が塩を大量に持っているからか、一部の怪異は身を潜めてこちらをジッと観察している。とは言ってもどこが目なのか口なのかも分からない、様々な怪異がいるが。最早妖怪屋敷といった体である。


 それにしても、と油断無く塩を構えながら浅日が首を振った。握りしめた塩が指の隙間からパラパラと落ちていく。


「統一性のねぇ怪異共だな。ここ、学校なんだよな? 学ラン着てる奴とか、セーラー服はともかくドロッドロになってる奴とか、何か着物の女とか――学校と関係無くね?」

「それはあたしも思っていたわ。怪異詰め合わせボックスみたいになっているものね」

「はん、誰かが怪異を連れてきてここにブチ込んでるってか? まあ、あったら面白い話ではあるよな。意図は全く分かねぇが」


 先程、浅日を発見する少し前に喉元まで出掛かっていた思考が甦る。もう一度、ゆっくりと廊下を振り返ってみた。怪異達の間に『学校』という共通点は、無い。ただし、別の共通点がある。


「ここに出る怪異、元は人間霊しかいないわね」

「あん? 俺に言われても判別着かねぇわ。でもま、お前がそう言うのならそうなんだろうな。で、それがどうしたよ」

「いえ……あくまであたしの推測なのだけれど、ここ、あの世とこの世の境とか、そんな場所なんじゃないかしら?」

「……は?」

「不安定な感じが、似ているわ。知人のお葬式へ行った時にね。こういうの、何て言うのかしら。両義性? 亡くなったばかりの人っていうのは両義的じゃない。さっきまでは息をしていたけれど、今はもうあの世の住人である。生きているようで死んでいて、死んでいるようでまだ息を吹き返す可能性がゼロではない」

「まあ、死んだと思ったら生き返った、なんて話はたまに聞くな」

「人は曖昧として模糊としたものを恐れるけれど、あたしも最初にここへ来た時に覚えた感情は恐怖だったわ。ここは学校だけど学校ではなく、生者の立ち入る場所では亡いけれど無理をすれば生者の立ち入りも可能。曖昧模糊としていて両義的、人が恐れるものの詰め合わせじゃない」

「……なんか少し、寒気が」

「人間霊は両義性の最たるものだわ。死んでいるのに現れ、生きているものに干渉する。死んでいるのに生きている――ここ、この大鏡。実際は『どこ』なのかしらね」


 ぐんっ、と身体を引っ張られるような感覚に息を呑む。

 それは抗い難く、そして抗う必要の無い何か懐かしいものを感じた。


 瞬きの刹那には光景が変わる。無味無臭の空間だった大鏡の中から外へ出たという実感があった。ただし、吸い込んだ空気は酷く焦げ臭かったが。


「あ? 何か知らねぇが、現実へ帰って来たか?」

「そうみたい。この部屋は――まさか、『開かずの間』?」

「ミソギが何かに取り憑かれた、って部屋か」

「……今は何もいないみたいね」


 怪異の類が一切合切消えてしまっている事にはすぐ気がついた。あまりそうであって欲しくはないが、それらはミソギに憑いて行ってしまったのだろう。下手に霊感があるとこうなるから困ったものだ。


「とにかく、一旦部屋から出るわよ。アプリに無事って事を書き込みたいけれど、この部屋はちょっと」

「ああ。何か焦げくせぇし、とっとと出るか」


 開かずの間から外に出る。瞬間、聞き慣れた怒号が耳に届いた。


「お前は一体何がしたいんだッ!!」


 ――間違い無い。この苛々しきった声音、怒鳴るような物の言い方。トキだ。

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