04.迷子

 ***


「どうだい? 極限まで自分を追い込むマラソンは。癖になってしまうよね?」

「……いえ、別に」

「そうかい。残念だよ」


 ぜいぜい、と肩で息をしていたミソギは顔を上げた。目の前には息一つ切らしていない紫門の姿はあるものの、トキと南雲はいない。

 先程、『十三階段』の検証をしていたのだが、上から聞こえて来た声と音に怯えた自分は走り出し、そしてがむしゃらに走った挙げ句、皆とはぐれてしまった。辛うじて紫門は追い掛けて来てくれたようだが、他2人の行方は不明だ。


 目の前には3年生の教室が並んでいる。適当に走って来たが、本棟に向かって走ってはいたようだ。


「――あれ、アカリちゃんもいないですね」

「まあ、彼女は大丈夫だよ。ボクの予想だとね。それより、彼等と合流しないと」

「……そうですね」


 トキとはぐれた事に対する危機感は、不思議と無かった。1人ではなかったからかもしれない。否、どころか少しばかり安堵している自分も居る。

 ――最近、やけに構って来て鬱陶しかったし。

 チラ、と過ぎった考えに嫌気が差して盛大な溜息を吐いた。何てことを考えているんだろう。最初、研修時代にうざったい程彼へと絡んで行ったのは自分の方だったはずなのに。


「ミソギちゃん? どうかしたのかな」

「紫門さんと2人きりという状態に、不安を覚えているんです」

「まあまあ。ボクは基本的には紳士さ。するより、される方が好きだからねっ!」


 ――不安だ。

 怪異というより彼自身に対する不安が巻き起こってくる。一刻も早く、はぐれた2人と、後は一応アカリも捜すべきだろう。


 何だか何もかもが上手くいかない。焦燥を掻き消すように、顔を覆って深呼吸をしていると不意に紫門が訊ねた。


「ミソギちゃん、階段は何段だったかな?」

「あ。すいません、途中で数えるのを忘れていました」

「ああ、そうかい。良いんだよ。ボクも一応最後の段まで数えたけれど、12段しかなかったからね。とはいえ、途中で混乱したし正確な段数だとは胸を張って言えないけれど」

「……そうですか。あれだけで終わるとは思えなかったし、私も、恐らくは南雲も数えてないだろうからトキが何段だったのか気になりますね」

「そうだねえ。面白い結果になるような感じはあるよねえ」


 紫門が歩き出したので、自然それに従う。ゆったりした足取りの彼に焦りという感情は見えない。どっしりと構えた大人の男性に見えるが、その実はただの変質者である。言葉は少なすぎず、そして多すぎず。先輩除霊師はささくれ立っていた心を適度に宥める間隔で言葉を紡ぐ。


「寒くないかな? ボクの上着を貸すよ。ふふ、ふふふふ……」


 ――前言撤回。やっぱりコイツ、多分何か小難しい事を考えて喋ってる訳じゃ無いぞ。多分。


「ん?」


 不意にミソギは足を止めた。

 廊下の曲がり角、その向こう側辺りから廊下を駆けるキュッキュという独特の音がしたからだ。確実に何かが走って来ているのを感じ、身体を強張らせる。紫門の横顔にもまた、緊張が奔った。


 その人影が、角を曲がって来るより早く紫門が手を打つ。穏やかな物腰から一変した、棘のある声音で『何者か』に向かって声を掛けたのだ。


「そこで止まれ! 言う事を聞かないのなら、有無を言わさずこちらも攻撃するぞ!」


 足音がピタリと止まった。少なからず言葉が通じる怪異や霊の類なのか――もしかするとアカリかもしれない。

 曲がり角の向こう側から声が聞こえて来る。


「ちょっと、ねぇ、誰かいるの?」


 自分の声を録音したかのように、見事に恐怖に震えている声。拍子抜けしたように紫門が肩を竦めた。


「あれ、人だったかな? ゆっくりこっちに出ておいでよ」

「わ、分かったわ」


 おずおずと角を曲がって姿を現したのはミソギも知る人物だ。


「カミツレ!」

「あ、ミソギ!? どうしてここに……」

「いや、こっちの台詞なんだけど」


 すらりと伸びた四肢、黒い長髪を一つに結っている。切れ長の瞳に少しだけ冷たい印象が浮かぶ怜悧な顔立ち。首からは2枚のプレートを提げており、色は白――に、黒でラインが入っていた。

 カミツレは世にも珍しい偏型白札二種という役職を持っている。特定条件下で真価を発揮する、という訳では無い。霊力値が異常に低いが、代わりに霊感値が異常に高い白札だ。

 主に団体戦で力を発揮する縁の下の力持ちのようなもので、霊感値に難がある赤札に付き添っている事が多い。自分とトキの関係に似ているとも言える。

 つまり――彼女が独りで学校を徘徊しているなど、あってはならない事だ。


 その事実にいち早く気付いた紫門が難しい顔をしながら、眼鏡のブリッヂを押し上げた。


「偏型白札……。君、相方はどこへ行ったのかな? まさか独りで来た訳じゃ無いだろう?」

「そ、そうだ! 助けて、ミソギ! 浅日が……!!」


 クールで友達思いのカミツレが今にも泣き出しそうな顔でそう懇願する。珍しい光景に目を白黒させたミソギはどうしたものかと口を噤んだ。そもそも、何故彼女はここにいるのか。状況を一つずつ解凍していく必要がある。

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