10.怪異『豚男』考察

 しかし、この『豚男』、やはり並大抵の怪異ではなかったらしい。

 昨日の女幽霊型怪異は叫び声一つで四散したが、豚男は霊力を伴った絶叫に押され、ボールのようにバウンドしながら数メートル後ろに転がって行っただけだった。


「ボサッとするな! 南雲、霊符を貼れ!」

「えええ!? 俺ッ!?」

「お前が鍵だ、早くしろッ!!」


 泣き言を言いながら南雲が豚男へと駆けて行く。亀をひっくり返したように、短い手足をバタバタさせていたそれへと霊符を貼り着けた。

 プギィィィ、という明らかな豚の鳴き声。精肉場に連れて行かれる豚の如く叫ぶそれには、悲しい事に醜い以外の感情が沸き上がってこなかった。恐らく、そういう業を背負った怪異だからだろう。


 少し前までは霊符を貼り着けても微動だにしなかった豚男は絶叫し、やがて砂のようにざらざらと溶けていって、最終的には消えてしまった。後には何故か一輪の白菊が落ちている。

 トキが首を傾げながらもそれを拾い上げた、刹那。


 ――ざわざわとした喧騒が帰ってくる。

 見れば霊符に模擬刀、塩を持った自分達は随分と目立っているらしく、行き交う同業者達が怪訝な目を向けていた。当然、先程までは空だった受付にも人が戻って来ている。

 どうやら、無事現実世界に戻って来られたようだ。


「え、あれ、嘘……。俺達、戻ってきたんすか!?」

「戻ってきたね。いやあ、流石にあれは死んだかと思った……」

「ミソギ先輩、いつもそれ言ってますよね。死んだかと思った、って」


 何とはなしに豚男が侵入してきた自動ドアを見る。そこにはいつも通り、訪問者をセンサー感知して迎え入れる、傷一つない自動ドアが鎮座していた。


「何にせよ、やっと飯食えるっす! あー、お腹減ったあああ!!」


 実に嬉しそうに南雲が両手を挙げて万歳した。身体全体で喜びを伝えてくるが、こちらとしては巻き込まれて疲れ切った次第である。


 そんな南雲の喜びに水を差すように、トキが白菊を眺めながら呟いた。


「疑問が幾つか残っているな。何故、豚男は山背の遺体を持ち帰ったのか、と。この白菊、そして『キョウカさん』か」

「そっすね。山背さんは俺みたいなタイプで、別に食っても美容にはよく無さそうだし」

「ならば、山背は『キョウカさん』に関係があるのかもしれないな。豚男の怪談の中に、キョウカさんの記述はあるか調べろ。ミソギ」


 実に自然に追加の仕事を任されてしまった。しかし、協力して貰ったルームの皆にも礼を言わなければいけないし、丁度良いのか。

 アプリを開き、ルームに入る。


『赤札:ご協力有り難うございました。『豚男』は無事消滅させました』

『白札:おおおおお! やったな! みんな無事か?』

『赤札:無事です。あと、豚男の怪談の中に『キョウカさん』って登場する話ないですか?』


 ゴチャゴチャと会話が流れていく。数個の吹き出しが流れていき、最終的な結論を白札の1人が下した。


『白札:何か、『不幸女』のルームで似たような話聞いたってヤツは過去にいた。だけど、『豚男』の怪談の中にはキョウカさんっていうのは出て来てない』

『白札:豚男消したんならさ、このルームも消えるけど、申請だして情報保管しといた方が良く無い? 私、不幸女と質問おばさんは無関係じゃないと思うんだよね。時期的に。あと、第六感的な? もう2年も除霊師やってるし、これは偶然じゃないって思うんだよ、経験的にもね』


 情報の保管にはツバキ組の組合長――ようは上司である相楽の許可が必要だ。ルーム内部にはやむを得ないとはいえ、個人情報が書き込まれる事がある。プライバシー保護の観点から、無闇にルームを保管できないのが現状だ。

 そして、その相楽に直接連絡が取れるのは赤札と青札のみ。

 ルームを保管したいと判断するのならば、自分が相楽へ連絡しなければならない。


「トキ――」


 同期に相談しようとした時だった、ルーム保管派の意見の下に、新しい吹き出しが流れてきた。


『白札:了解。おじさんもちっと気になる事があるし、このルームは保管しとく。あと、俺、全くノータッチで悪かったけど、『豚男』誰が討伐した? 今ちょっと手が空いてっからさ、電話掛けて来てくれ。ごめんな、指示出せなくて。でもホントよくやってくれたわ、お前等』

『白札:え? 組長? また名前変え忘れてません??』


 思っていた事がすでに書き込まれていた。恐らく、この的確な指示を送ってくる白札は――


『相楽:変え忘れてた。つか、その組長って言うの止めてくれる!? お前等ってば外でもおじさんの事そう呼ぶからさあ! 何度お上に職質されたと思ってんの!?』


「おい、何かあって呼んだんじゃないのか。スマホを触るな!」


 返信を打つべきか悩んでいたら、苛立ったトキの声が鼓膜を叩いた。慌てて顔を上げると、短気な彼はすでに目を吊り上げて文句を言う気満々である。話を逸らすように、今起きた出来事を説明した。


「いや何か、相楽さんが『豚男』のルームを保管しとくって。他にも気になる事があるらしいし、連絡しろって言ってた」

「複合型の怪異か? 面倒な事だな、あの巫女の言葉が本当になっていくのは、見ていて苛つく」

「何でそこでミコちゃんが出て来るかなあ……」


 予知なので当然そうなるのだが、それでも言われた通りに事が運ぶのをトキは由としない。そのせいか、あの2人はあまり相性が良くないのだが、その辺の拗れた人間関係は割愛する。


「なーんか、まだ色々ありそっすね。俺、飯食わない方がいっすか?」

「いや、今のうちに食べてきた方が良いよ。多分、長丁場になるし」

「了解でーす! じゃ、俺先に出ますね。何かあったら呼んで下さい! 俺だけのけ者にしないでくださいよっ! じゃ!」


 嵐のようにそう捲し立てた南雲はスキップで支部から出て行った。相当腹が減っていたと見える。


「トキ、私達はどうしようか」

「どうしようも何も……。組合長に電話を掛けて、報告しなければならないだろう。まずは」

「あ、忘れてた」


 スマホの画面を点け、電話帳を開いた。

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