第10話 僕は彼女に想いを伝える

『そんな顔をなさらないでください。地獄の弁護人様』

『誰がどう考えても、最高の落としどころはそこでございましょう』

『私は十分に覚悟が出来ております』

 昨日、面会を果たした時に罪人は晴れやかな様子でそういった。

 そこに恐怖なんて感情はひとかけらだって確認できなかった。

『なんで、そんな簡単に――』

『簡単なんかじゃないです。ちゃんと考えた末の結論ですよ』

 黒いモヤで見えなくたって、彼女が満面の笑みを浮かべたのが分かった。

『私、いつかこんな日が来ることを願って、人生最高の不幸に身を投じていたのですもの』



 罪人の方の覚悟はとっくに決まっていた。

 僕が腹をくくる方がずっと遅かったくらいだ。

 だが、それももう終わる。これからエン様が紐を引けばすべてが終わるのだ。

「ふむ、してやられたぞ弁護人。最終試験は文句なしで合格じゃ」

 ニヤリと笑うエン様に僕はお辞儀で答える。エン様はそんな僕の様子に満足そうに笑いながら言った。

「褒美を取らせてやろう」

 パチン、とエン様が指を鳴らす。そうすると、罪人の黒いモヤが徐々に晴れていくのが分かった。

「え、僕が罪人の姿を見てもよろしいのですか?」

「本来は駄目であるが仕方あるまい。そもそも阿鼻地獄は自然落下で2000年かかるほど遠いんじゃ。この装置を担いでもらわなければ地獄に到達する前に地獄寿命が終わってしまう。そして、この装置を付けるにはこのモヤは邪魔じゃ」

 そういってエン様が用意したのは、ロケットのエンジンのような装置だった。

「まさか、それを付けて落ちろっていうんですか?」

「これを付けて落ちろっていうんじゃよ」

 エン様が笑う。僕は呆れてしまった。

 そして、罪人のモヤが完全に晴れる。


「……あの、エン様、僕の前任者っていつごろに退任したんですか?」

「ふむ、確か1年ほど前じゃったかのう」

「まさかとは思いますが、その後ずっと、裁定ってされていなかったんですか?」

「うむ、弁護人なしで裁定しては罪人に恨まれてしまうからのう」

 ひょうひょうと答えるエン様に僕は悔し涙をこぼしてしまった。

「ずるいですよ、エン様。こんなの泣くに決まっているじゃないですか」

「ふむ、最終試験の合格、おめでとう、カツキ」

 僕の目の前にはあの日と同じ姿をした母の姿があった。


「母さん、なんで母さんだって言ってくれなかったの」

 僕の問いに母は困った様子で答えた。

「だって、それを言ってしまったら、カツキは私の願いを叶えてくれなかったでしょう?」

 それはそうだ。誰が好き好んで実の母を最悪の地獄に落とすっていうんだ。

 伝えたいことは山ほどあった。僕と姉がどれだけ母を愛していたかをすべて口に出してしまいたかった。だけど、そんな時間が無いことは分かっている。母はこれから阿鼻地獄に落ちてすぐに生まれ変わらなければならないのだ。

「母さん、聞いて」

「何、カツキ?」

「姉さんが、愛してるって」

「私も愛しているわ」

「後、姉さんが私の子供に生まれ変わってって」

「ありがとう、お言葉に甘えるわ」

 時間じゃ、とエン様が言った。僕は最後に僕自身の思いを母に伝える。

「――母さん、僕も母さんのこと、愛してるから」

「ありがとうカツキ。また巡り合いましょう。その時は3人で」

 楽しみにしているわ、それが母の最期の言葉。

 地獄に落ちるときに母は叫び声を上げなかった。

 前に落ちて行った罪人とはまったく対照的な様子だった。今にして思えばあの罪人もきっと、父だったに違いない。

 500年の最も軽い地獄の恐怖におびえていた父と、1か月の最も重い地獄を望んだ母。それはそのままあの日の父と母の覚悟の違いのように思われた。

 僕は思う。

 父と母が二度と会うことが無いことが確定しただけでも、僕が地獄の弁護人を務めたことには意味があったのだろうと。

 ――また会おうね、母さん。今度は3人で。

 


 ――その日、僕はいつもよりも寝つきが悪く、15時間しか寝ることは無かった。

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