第3話 僕は姉のために料理を作る

 フライパンから目玉焼きとベーコンが焼けるいい匂いが漂う。

 幸せだなあ、と僕は料理をしながら何度も思う。地獄の弁護人を務めるようになってから季節が二つ過ぎたけれど、毎朝飽きることなくその幸せをかみしめている。

 一日16時間睡眠をしなければならなかった頃は、またこうやって朝ご飯の料理が出来るとは思っていなかった。

 両親の死によって持ってしまった厄介な性質ではあるが、僕は決して両親を恨んでいないし、この性質を疎ましく思っているわけでもない。持ってしまったものは仕方がない。無くせるなら無くすにこしたことは無いけれど、うまく付き合えるならばそれはそれで良いのだ。

 目玉焼きとベーコンを皿へ移し、トーストを焼き始めると、二階から足音が下りてくるのが分かった。

「おはよう姉さん」

「あら、おはようカツキ。今日も早いのね」

「おじさんとおばさんの方がずっと早いよ。もう仕事に行ってしまった」

 僕と姉を引き取った親戚のおじさんとおばさんは、僕たちに気を使っているのかただのワーカーホリックなのか知らないが、あまり家に居ない。朝早くに仕事に行き、夜遅くに家に帰ってくるため、結果として家族の団らん時間は少ない。ありがたいとは思うが、少しだけ寂しい気持ちになる。

「あら、申し訳ないわね」と僕より3歳も年上の姉は寝ぼけ眼をこすってから、食卓に着いた。その言葉がおじさんとおばさんに向けてなのか、それとも僕の作った朝食に向けてのものなのかはわからない。

「早いって言ったのは、カツキにしてはという意味よ。あなた、確か一度寝たら16時間近くは起きれないんじゃなかったかしら。私が確認した限りじゃ昨日も10時くらいまでは起きていたはずなのにおかしいじゃない。そんなことじゃカツキらしくないわ」

「カツキらしくないって、複雑な気分になるよ」

「あら、アイデンティティは大事よ。私たちは母さんのためにも私たちらしく生きなくてはならないのだから」

「……まあ、それもそうだね。さ、姉さんもご飯を食べよう。今日もしっかり食べてしっかり血を作らないといつか倒れてしまうよ」

「――人を出来損ないの吸血鬼みたいに言わないで」

「それが姉さんのアイデンティティでしょ」

 僕の言葉にべっと舌を出して答える姉の左手には、まだ赤い血が滲む包帯がまかれている。

 それが姉の性質だ。姉は姉らしく生きるために、一日一度自傷行為を行うことで、血と痛みを自らに与え、母を思い出すそうだ。そうやって、あの日の母を思い出し、血を見ることで自分の中に母の血が流れていることを再確認することで、姉はなんとか今日も姉らしく生きていられる。

 もし誰かが僕たちの性質を知ったら、そんなことは止めるべきだと百人が百人口をそろえて僕たちに言うかもしれないけれど、僕たちが僕たちらしく生きるために必要なのだから仕方ない。こんな性質を持ってしまったからには折り合いをつけて生きるしかないのだ。

 食卓に着いた僕と姉はご飯を口にし始める。今日も学校だし、あまりのんびりとしてはいられない。

「まあね、それはともかくとして、実際どうしたのカツキ。そろそろ理由を聞いてもいいかしら? まさか、あの日のこと、忘れたわけではないんでしょう?」

「忘れられるならその方が良いのかもしれないけどね。幸か不幸かまだ忘れてないよ」

 僕と姉の今の性質は異なるが、いずれも同じ過去を追っている。ゆえに、お互いにお互いを必要以上に気にかけているように思う。あの日のことを忘れていないか。必要以上に傷つきすぎていないか。精神のバランスを取りながら、今も同じ日を共有出来ているかを確認しているのだ。

「ならどうして起きていられるの? 私は今もあの日に囚われているのに」

 左腕をさすりながらそう言う姉は見ていて痛々しい。僕は少しの間箸を休めて考えてから口に出す。

「俄かには信じられないと思うんだけど」

「あら、カツキの言うことなら無条件で信じるわよ。私は」

 胸を張る姉の姿に安心して僕は答えを口にする。

「実は僕、地獄の弁護士になったんだ」

「え、何を言っているの、あなた」

 途端に手のひらを返して引いた顔をする姉。話が違う。

「……まあ、信じられないよね。でも、本当なんだ。地獄はさ、人間世界と比べると3倍くらい時間の流れが遅いんだ。だから、僕は最近16時間こちらで過ごし、あちらで8時間働いてから16時間寝て、こちらに戻るという生活をすることでちゃんとした生活を送ることが出来ているんだよ」

「働き者なのね、カツキ」

「まあね、24時間起き続けるのは辛いけど、なんとかやってるよ」

 首をすくめる僕に姉は少し目を瞑ってから口を開いた。

「――信じるわ」

「え?」

「信じるって言ってるの。どんな理由だったとしてもカツキが普通の生活を送れるようになったなら、それが何よりだわ。たとえ何をしていたって私に反対する気持ちなんてないから」

「……ありがとう。僕も同じ気持ちだよ、姉さん」

 なんだか満ち足りた気持ちになった。姉もきっとこの気持ちを共有しているのだろう。食器の触れ合う音だけが響く静かな時がしばらく流れた。

 その静寂を割いて、姉が疑問を口にしたのは至極当然のことのように思う。その内容はこんなものだった。

「それにしても、地獄は随分人手不足なのね。カツキのような年端もいかない子供を雇うなんて」

「あ、それについては言ってなかったことがあるんだ。実は――」

 箸を下ろし、僕は姉の目を見て答えを口にする。


「僕、実はまだ試用期間なんだよね」

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