#36 Isolat(ion)

 私は結局それから、一度もアカネには会うことが出来ずにいます。

 そして、彼女の手紙の意味も、私はまだはっきりとは掴めずにいるのです。アカネは、何を隠していたのか、私と、鈍川茜がもう会うことはないとは、どういう意味なのか。

 私はこうしてアカネを失いました。

 それ以外にも、私はいくつかのものを、その年の四月に失うことになりました。


 四月の半ば、梨紗は暫くの停学を決めました。

「よく考えることにする」、と彼女は言いました。

「ねえ、たぶん私は立ち止まって、自分自身を見つめるべきだと、そう思うの」

 私はそれに出来るだけ、暖かい微笑みを浮かべました。彼女は何というか憑き物が取れたような感じになっていました。私はシンプルにそれが嬉しかったのです。

 大学の停学なんて、外聞を考えれば本当に愚策なのかもしれませんが。でもそれが、彼女の意志だとして、しかもある種の幸せに繋がるのなら、私は応援することが筋だと、そう考えたのです。

 大学は、モラトリアムのためにあるのだと、誰かは言ったそうですが。

 その割には、一年生の時から、勉学や、それ以外にも就職やら資格やらの対策を考えなければならないのは、不思議なことではないかと、私は同時にそんな風にも思うのです。連勤と試験を、努力の証として何よりも尊び、失敗や綻びを忌避し許さない社会の中で、まともに自分自身を見る機会が、どこにあるのかと。

 それから、私は彼女に告白されました。

「私、藍のこと、好きよ」と。「居てくれて、本当によかった」

 彼女にすれば、私は、女子特有のコミュニティを知りながら、それでもちゃんと本音も持って、自然体で生きている人らしいのです。冷たさや、距離感はないけれど、でも共感にちゃんと心がある人だ、と。私はあなたが時々羨ましくなる、とまで彼女は言いました。

 本当に、そうなのでしょうか。

 私からすれば、彼女の方がずっと自然体で生きていたように思うのです。彼女には停学という選択肢を自分の意志で選ぶ様々な余裕もあれば、私よりきっとずっと頭のいい生き方を選ぶ頭脳もありました。私は今も奨学金を借りて大学に通い、経済学部に比べればずっと就職などの劣る文学部に在籍しているのです。社会的に考えれば、羨ましがられるのは、どう考えても彼女の方に違いないのです。

 何はともあれ、こうして彼女は私の前から去って行きました。


 私は、サークルにも行かなくなりました。

 最後に行ったのは、梨紗の消えた四月の、最後の日で。久しぶりに行ったそこは、ただ気まずいだけの場所になっていました。椎名と顔を合わせるのも、彼の方が意識していて。私はどうしようもなく申し訳ない気持ちになってしまうのです。


 こうして今、一万人の歩くキャンパスの中で、私は一人になりました。

 私の書いてきたこの話は、結論としては、私の喪失に関する話になりました。私がこの文章で書いた、ほとんどすべてのものを、私は既に失ったことになります。

 彼らは、私に理由を言って、去って行きました。

 でも私にすれば、そんなもの本当に理不尽な理由なのです。理由のある、理不尽な喪失。私は彼らをそういう風に失くしていきました。

 いつか梨紗は、私たちには新しい物語が必要だと、そう言いました。性と死の、ダイレクトに演じる作品は、もう終わったのだ、と。

 あるいは、私のこの物語は、その条件を完璧とは言えないまでも、達成しているのかもしれません。最初から最後まで、ここでは誰も死なず、私は結局誰とも交わりませんでした。何も致命的には失われず、何も根本的には生み出されませんでした。でも、私は結局身体的な接触を、心理的充足に変換することを、止められませんでした。だからきっと、これは彼女の言う新しい物語を、完全に満足させられてはいないのでしょう。


 それに、彼女の言っていたことが、全て正しいとも、私には言えません。

 確かに、東京で生活を送る私たちからはリアルで情緒的な死は消えて行きました。ベッドタウンに住むような人の多くは、核家族的な若い人たちであり、そして電車も、街も、私たちの利用するような時期の、利用するような施設は、基本的にまだ働いている年代の人たちで占められています。高齢者と接する機会すら、本当に減っているのです。

 けれど、同時に私たちは高齢化社会のひどい進展と、頻繁な災害とに襲われていることも、一つの事実なのです。きっともう一つの物語、一つの括りでは、全員をカヴァーすることは、不可能なのでしょう。

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