Winter
#26 Life
二月の、その終わり頃、私はアカネと成田行きの電車に乗っていました。
ほとんど始発のような電車に乗って、押上まで行き、そこでアカネと合流したのです。ひどく冷たい日でした。コートの下に何枚も服を重ね着して、カイロを貼り、長ズボンの下にタイツまで履いて、私はそれでも芯まで凍えていました。彼女にしても、恐らくそれは同じことのように思えました。少なくとも、外からわかる範囲では、彼女も私と全く同じでした。コートに、長ズボンをして、白い息を吐いているのです。
あの後、十何回かのメールのやり取りはありましたが、直接会うのは初めてでした。
だから未だに私は少し緊張していましたし、それはアカネにしても同じことのように思えました。それでなくとも、大学生にしてはずっと早朝で、しかも寒く、さらに長い道のりでした。彼女は明らかにいつもより疲弊しているように見えたし、実際に少し眠りに襲われているようにも見えました。京成線の特急の中で、私たちは二人並んで沈黙を守り、朝の気怠さと、私は旅についての少しの高揚感を感じていました。
自由化というのは、資本主義に許された最終兵器のようなものです。
私たちは成田から、少し高めの居酒屋さんでの一回分の食事くらいのお金で、空に飛び立ちました。広島空港までは一時間ほどでした。少し狭めの座席に、二人寄り添うようにして、私たちは冬の本当に乾燥した航空機の中から、窓の外に覗く風景をじっと見ていました。
機内サービスもない、本当にそのまま空白な道のりでした。彼女は朝からのその疲労とも沈んでいるともわからない態度で、ずっと隣に座っていました。私は過ぎ去る東京を、富士を、瀬戸内を見て、すると飛行機はいつの間にかベルト着用のサインを再び出していました。それからはあっという間のことでした。下降して、機体がその翼を震えさせながら雲を裂くと、そこは一瞬で抹茶色にベタ塗りされた山岳地帯になり、敷かれたアスファルトになり、暴れるフラップになり、空港になりました。
預け荷物のない、しかも国内線の着陸から空港出口までの時間など、たかが知れていました。私たちは空港についてからすぐに広島の市内行きのバスに乗り換え、高速道路をじっと走っていました。晴れた日で、朝は東京の凍えた空気の中にいたなんていうことは忘れてしまいそうでした。彼女は基本的に下を向いて手を結んでいて、時々私の方を向いて何かを喋って微笑んでいました。感情を消すために浮かべるような微笑みでした。
到着した高速バスのターミナルは、私たちが思う広島のそのものの場所にありました。
私たちはそれから市電に乗り換え、緑に包まれた、世界で最も意味のある灰色の廃墟を横に見つつ、川を渡って行きました。特別に何も意識するわけではなくても、その姿を見れば、私たちはそこから何かしらの感傷を受け取らざるを得ないのです。私たちに突然に降りかかってきた悪魔に対して。敵国から、神の鉄槌とされた、それについて。そして直下にいた人々は、本当に理不尽極まりなく哀しまされたのです。身体的に、本当に直接的にも、そして間接的に、風評としても。
私は高校の時にここに訪れた記憶を、呼び起こしていました。あの時は私は。そう、もうほとんど会いもしなくなってしまった高校の同級生と、一緒に。
「ねえ、私、研修でこの街、来たことあるよ」
「そう、まあ定番と言えば定番だからね」
彼女は路面電車のつり革を握って、何を見るともなく頭を窓の外に向けていました。慣れた動きでした。それは私が小田急の車窓を眺めている目でした。本当にそうなんだ、と私は突然に実感することになりました。ここは、本当に、彼女の育った場所なのだ、と。
宮島線を私たちはずっと行って、廿日市から少し先の駅で降りました。
二人とも、荷物は殆どないようなものでした。格安航空に乗るというのはつまりそういうことですし、それにアカネの家に泊めてもらうことになっていたのです。
線路をまたいで、私たちは駅から少しだけ歩きました。そこは住宅地でした。ちょっとだけ大きめの家。
アカネはそしてインターホンを無造作に押しました。私の知らない電子音が鳴りました。何だかどきどきする音でした。何も悪いことなどしていないのに、何かひどくいけないことをしてしまったような気持ちに、私はなりました。私の知らない声がして、そしてドアからアカネに本当にとてもよく似た中年の女性が現れました。家族なのだ。私はそんな意味もわからない感動を覚えていました。家族なのです。
いらっしゃい、と、彼女は言いました。
お邪魔します、と、私はたぶんそう答えました。白くなる頭で。
その時、アカネは私に聞こえるか聞こえないかくらいのため息をつきました。あるいは、それはただの呼吸だったのかもしれませんが、でも、今思っても、それは何となくため息だったような気がするのです。
私はそして腰ぐらいの高さのある黒い木製の靴箱の前に靴を揃え、白い絨毯の綺麗に生える玄関に入って行きました。廊下の左側の和室に案内されて、そこに荷物を置かせてもらって。それから私はアカネに案内されて洗面所に行きました。
私はひどい緊張感とどう表現すればいいのかわからない畏れを感じていました。何となく、他の友達の家などとは、雰囲気が異なっていたのです。正体の掴めない、違和感。それから私はアカネと一緒にこたつに入って、テレビを見ました。薄型のテレビ。それは四十型くらいの液晶で、枠の下には日立とローマ字で綴られていました。
不思議な感じでした。
和式で、とても綺麗な家でした。朝にはまだ東京に居たのに、私は午後の一番初めの時からもうこんな場所まで来ることが出来るのです。テレビからはローカル番組が流れていました。それは、どことなくコンピューターグラフィックスっぽい、画面が平滑で、そして妙にはっきりしている東京のキー局の番組では全くありませんでした。自然でした。
隣のアカネは、少し安心しているように見えました。
何への安心だろう、と私は思いました。でもそれは帰郷している人間が見せるものとして特別に不可思議なものだとは言えない感情だということも分かっていました。そして、だからこそ私の疑問は膨らんでいきました。どうしてあの時、彼女は帰省直後に泣く必要があったのだろう。泣く理由が、いまの彼女を見ていて全くわからなかったのです。
私たちはそして彼女の母親に作ってもらったお昼を食べました。
うどんでした。シンプルで、でもとても美味しい。
それから暫くの間、私は何となく気を遣いながら、基本的にアカネの傍でじっとしていました。正直に言うと、暖かい場所にああしてずっと座っていると、疲れが認識されていくようだったのです。冷たい日に、午前中ずっと狭い座席の中で揺られていたのですから。
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