suspicious horn

 起床して、着替えて、朝食を取り、仕事に行くために家を出た。

 いつもの通りを、いつも通りに歩いていた。

 普段と変わらない、そんな一日になるはずだった。


 それには、何の前置きもなかった。




 ばしっ


「?」

 頭に衝撃があった。

 脳天を、強く叩かれたような。

 辺りを見回した。私を叩ける距離には誰もいなかった。叩いてすぐに逃げ去ったのかもしれないが。

 ただ、少し離れたところにいる人達がこちらを見て驚愕の表情をしたり、悲鳴を上げたりしているのは分かった。


 なんだか重い。頭に触れてみた。髪の中から突き出るように盛り上がっている、一際大きく硬いものに触れた。つやつやと妙に滑らかな感触。

 じんじん痛い。たんこぶができたのかもしれない。確かめないと。それにしても随分と大きなたんこぶだ。


 公園のトイレに入り、鏡を見てみた。

 



 角がある。

 まっさきに思ったことはそれだった。


 ちょうど頭のてっぺん。そこに、角が生えているように見えた。

 真っ黒で、全長15cm程。細長かったけれど、上にいくにしたがって丸く、太くなっていた。まるで持ちやすくするためであるかのように。

 鏡に近づいて、まじまじと見てみた。

 それは、角なんかじゃなかった。


 ナイフの柄だった。

 生えてるんじゃなく、刺さってるんだ。刃の部分が見えないくらいに、柄の部分しか見えないくらいに、深々と。


 気付いたと同時に、思い出したかのように、鏡の中の頭は血を流し出した。

 始めはとろとろと。けれど数秒もしないうちに、一気にだらーっと。

 視界が少しずつ少しずつ赤くなって、それから急に真っ黒くなった。




 気付いた時には病院だった。

 誰かがトイレで倒れている私を見つけて、目井めいさんに連絡してくれたらしい。

 連絡が早かったおかげで、命には別状はなく、傷も残らず綺麗に治してもらうことができた。不幸中の幸いですね、と目井さんも言ってくれた。


 犯行の瞬間の目撃者がいないらしく、犯人探しが難航しそうだと聞いて、不安になった。

 けれどそれ以上に、匿名での通報だったために見つけてくれた人が誰だか分からず、お礼が言えなかったのが心残りだった。




 数ヵ月後。事件のことを徐々に忘れかけていた頃のこと。


 最初のうちは外出も怖くて家族や友人達に付き添ってもらっていたけれど、だんだん平気になってきていた。

 あの日運が悪かっただけで、外を歩くたびに刺されるわけではないのだからと、思えるようになってきていた。


 そんなわけで、一人で歩いていた。




 ばしっ


「!」

 左のこめかみに。数ヶ月前に感じた、あの衝撃と同じだった。

 遅れてやってくる、鈍い痛みも。


 まさか、まさか、二度もそんなことがあるわけない。

 けれど、これは。


 公園のトイレに駆け込んだ。


 今度は、左のこめかみから、あの時と同じ角が生えていた。




 今回も誰かが目井さんに知らせてくれたおかげで、無事に助かった。

 けれど今回も誰が知らせてくれたのかは分からなかったし、犯人も分からなかった。

 頑張って探してくれているらしいけど、手がかりが全くないらしい。通報者に関しても犯人に関しても。




 それで終わりだと思った。流石に、こんなことはもう二度と起こらないと。


 なのに、その後も。


 肩から、首筋から、腕から、手の甲から、腿から、脛から、足の甲から、腰から、背中から。

 1回につき1箇所ずつ。全身のありとあらゆる部分から、角は生えた。


 家族や友人と一緒にいるようにしたり、人通りの多い場所を歩くようにするなど、とにかく一人にならないようにした。

 けれど、それを嘲笑うかのように、角は生えた。

 大勢の人が見ている前なのに、すぐ側に人がいるのに、誰も気付かないうちに、いつの間にか、生えていた。相当な訓練を受けた人でないと、こんなことはできないはずだとみんな首をかしげた。

 生える間隔はランダムだった。数ヶ月、間が開くこともあれば、数週間、数日、数年のこともあった。


 いつも目井さんに知らせてくれる誰かのおかげで助かっていると思っていた私だったけれど、段々気付き始めた。


 その誰かは、私に角を生やした犯人なんじゃないかって。

 そうだとすれば、全く手がかりを残さずに消えられる人間が「2人」存在する理由に説明がつく。


 でもじゃあ、なんで自分で襲ったくせに、わざわざ助けるような真似をするんだろうか? 本当に殺したいのなら、そんなことしないはずなのに。


 けれど、その理由も段々分かってきた。


 犯人は、私を殺したいんじゃない。苦しめたいんだ。

 痛みの中、そして、いつ、どこで、誰に、どこから角を生やされるか予想できない恐怖の中で、できるだけ長生きさせたいんだ。

 



 犯人に心当たりはないか、何度も考えた。

 けれど、分からない。疑えば疑うほど、誰もが疑わしくなっていく。


 小学生の時にいじめてしまったあの子? 中学生の時に仲が悪かったあの子? 高校生の時に相性が悪かったあの先生?

 いや、もしかしたらもっとちょっとしたことで誰かの恨みを買ったのかもしれない。

 だとしたら、昔すれ違った時に肩がぶつかってしまったあの人? 昔電車で席を譲りたくなくて、寝たふりをしてだましてしまったあの人? 昔すれ違いざまに咳をしてしまったあの人?

 いや、もっと単純に考えるんだ。誰も犯行現場を見てないなんてはずはない。家族や友人達の中の誰かが犯人なんじゃないか? それでみんなで、口裏を合わせているんじゃないか? いやもしかしたら、みんなで交代しながらやっているんじゃないか?

 いや、ひょっとしたら。私を除く町中の人達が全て犯人なんじゃないか――?


 誰も、信用できない。みんな、敵だ。

 相談なんてできない。頼れない。




 人里離れた山中にこもり、一人で暮らすようになった。常に怯え、警戒しながら。

 それでも時折、ばしっと、身体からだのどこかから角が生える。

 そうしてその度に、匿名の連絡をもらったからと目井さんがやってくる。犯人かもしれないうちの、一人が。




 いつまでもいつまでも。こんな痛みと恐怖の中で生き続けなければならないくらいなら。

 角が生えた私は、今回も叫ぶ。

「もういい! もう嫌だーっ! このまま死なせてくれよーっ!」


「何をおっしゃいますか! お助けしますよ! 必ず!」

 私の気持ちなど知りもしない医者の必死な声が、今回も空回りして響いた。

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