excellent plants
「…さん。
はっと目を開くと、鏡に映る
長池の家族の営む美容院「Too Long」で髪を切ってもらっている最中に眠ってしまっていたようだった。
「お疲れッスか? いつも私達のために頑張ってくれてありがたいッスけど、たまには休んでくださいね」
「はは、午前中にちょっと難しい手術がありましてね…」
目井さんは苦笑すると、椅子に座ったまま大きく伸びをした。散髪ケープに散乱していた透き通るような純白の髪が、パラパラと床に落ちていった。
その日の午前中の話。
その日もその日とて、他の病院では満たしてもらえないニーズの持ち主が目井クリニックにやってきていた。
「植物になりたいんだ」
グリーン(Green)は開口一番そう言った。
「植物はいい。動物なんていう下等生物とは違って、争いあって傷つけあい、殺しあうなんて愚行はしない。悪意を持たず、無駄な競争もしない。
生きるために他の生物を食べて、いらないものを排泄するなんて下品な真似もしない。光と水と土さえあれば生きていける。
植物はみんな間違いなく地球の支配者となるべき優れた生物だよ。それに比べて、植物を食糧にしたり、酸素を出してもらったりしなきゃ生きていけない動物なんてみんな地球の恥だね。
あ、『動物』には人間も含まれてるよ。むしろ人間は下等生物の最たる例だね。
食べ物や住む場所が保障されてても、複雑な社会の中でくだらないルールに従って『いい人』にしてなきゃ生きていけないんだもの。こんなバカなことしてる生物なんていないでしょ」
「だからそんな人間をやめて、植物になりたいというわけですね」
「そ。で、話戻るけど、植物は長生きできるっていうこともある。たしか、今のところ確認されてる世界最高齢の動物ってたった507歳の貝だったよね? 植物はそんな短命の下等生物とは違う、何千年も生きられるのもいる。生きるならそれくらいは生きたいよ。僕も生き物である以上死にたくはないからね。分かるでしょ?」
「ええ、長生きことは素晴らしいことです」
「じゃあ、やってくれるよね?」
「もちろんです! ではまずは、皮膚を剥がさせていただきます!」
目井さんは片腕をチェーンソーに変形させた。
ががががががが
チェーンソーが耳がちぎれそうな爆音とともにグリーンの額に接触する。
1秒もたたずに、刃は皮を突き破って中に入り込んだ。皮と皮の間にしっかりと食い込む、高速回転する金属の歯達。
目井さんは間髪入れずに腕をそのまま下へと動かす。
しゃああああと噴水のような音を立てて血を噴出しながら、皮膚に赤い線の切り込みが入っていく。観音開きのようにゆっくりと開き、赤やピンクや黄色の中身が露出していく。
とげや毒のある植物は他の生物を傷つけたり殺したりするし、虫などを食べて栄養にしている植物もいる。葉を枯れさせて落としたり樹液を出すといった形で、体内の物質を放出したりもする。
その点は、植物も動物もそれほど変わらないのではないか。
それに、動物に種を運んでもらったり、果実を食べてもらうことで子孫を残す植物だっている。動物が植物なしでは生きていけないのと同じように、植物も動物がいないと生きていけないのでは ― そう考えたが水はささず、グリーンの願いを叶えることを優先した。
「はい、終わりましたよ。 …って、もうお返事できないですよね」
数時間後、目井さんは診察室のベッドに横たわる「木」に声をかけていた。
人間の皮膚を剥がし、内臓やら何やらを摘出したり、脚を根に作り変えて土から栄養を吸収できるしくみにしたり、枝を生やしたり葉を生やしたり、最後に剥がした皮の代わりに樹皮を貼り付けたりしてもらうことにより、グリーンは完全な木となった。
もう誰がどこから見ても木だ。言葉を話すことも自力で動くこともない、生まれつきの木と全く同じだ。
手術を終えた目井さんは、木を荷台に乗せて病院を出た。
人間だった頃のグリーンに指定された通りの林に、木となったグリーンを植えに行くためだった。
「ご指定いただいた場所ですが、この林ってアパートのすぐ真後ろにありますよ。人間はお嫌いなのでは?」
疑問を呈した目井さんに、グリーンは呆れ顔で答えた。
「これだからあんたら人間はバカだな。下等生物を眺めて『僕はこいつらよりもずっとずっと高等な生物なんだ』と思いながら暮らすのがいいんだよ」
そんな会話を思い出しながら、林の手頃な場所にスコップで穴を掘った。思った以上に時間のかかる、骨の折れる作業ではあったが、なんとか無事にグリーンを植え終えた。
「あなたは春になったら美しい花を咲かせる種類の木ですからね。楽しみにしていますよ」
もう返事を返してくれることのない相手を見上げてそう言うと、目井さんは一旦病院へ戻って荷台とスコップを置き、美容院へと向かったのだった。
そのわずか1週間後のことだった。
林のすぐそばのアパートを半焼させる火事が起こった。
病院に運ばれてきたアパートの住人達は、出火元の部屋でタンスに押しつぶされて黒焦げになって息絶えていた1人と、重症ではあったが命に別状はなかった1人を除けば皆軽傷だった。
だが、あまりにも突然のことにパニックになったり泣き喚いたりしている人が多く、目井さんはその対応に追われた。
アパートの裏の林にも、それほど大規模ではないが被害が及んでいたと知ったのは、数日後のことだった。
目井さんは林へ走った。
何事もないことを願った。
林には、木や草だったものの残骸やところどころに焼け焦げた跡の残る木が見受けられた。
気の毒に思いながら足を進め、あの木を植樹した場所に向かった。
やがて。
「…逃げられませんでしたよね…」
悔しさと、悲しみの入り混じった声が、ぽつりとこぼれた。
そこにあったのは高さも直径も30cmほどの、円柱に似た小さな切り株のような炭の塊だった。
不気味なまでに漆黒のそれは、どう見ても生きている植物の色と形をしていなかった。
春、花を咲かせ始めた街路樹を眺めながら、目井さんはあの木のことを思い出していた。
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