第二十九話 PGM-FI
事前に礼子から話を聞いていたブルドーザ登山道は、想像より少々きつい難所だった。
遠目には平坦に舗装された砂利道のように見える路面は、一つ一つの石の大きさがホームセンター等で売っている砂利とは違う。
舗装された街中でカブを走らせていて、車道から強引に段差を越えて歩道に上がるのを、延々繰り返しているような感じ。
確かにこれではキャタピラ車しか走行できないだろう。大型で大出力の四輪駆動車なら、エンジンパワーで走れないことも無さそうだが、馬力に相応の車重が車体に繰り返し負担を与える。
何でも話を盛る礼子の話を信じるなら、ボディのサスペンション取り付け部を中心にスポット溶接がポンポンと外れ、下山する頃には廃車になる。SUVを使い捨てにする気でも無ければ富士登山なんて出来ないだろうとの事。
それも小熊にはどうでもいい話。今はこの黄色いクロスカブを、まっすぐ走らせることで精一杯だった。
パイプフレームのライトガードや大型のキャリア等、ゴテゴテと装備のついたクロスカブは実際に跨って走らせてみると軽く、小熊のスーパーカブとの最大の違いである110ccの電子制御エンジンは、キャブ特有の低回転での不安定さを感じさせない。
キャブ式のスーパーカブはエンジンパワーを最大限に使うためには、適切なギアとスロットルの操作で、最も性能を発揮する回転帯までエンジンを回し、それを維持する必要があったが、電子制御のエンジンは二速に落とすべきところを三速で突っ込んでも何とかなることが多い。低速低回転からの加速でも、キャブ車は濃すぎるガソリンでプラグが不完全燃焼を起こさないように、掌で微調整しながらスロットルを回す必要のある場面で、ただ開けるだけで、スロットル開度に相応したパワーを発揮してくれる。
近年では競技用のレーシングカー車でも、馬力やコーナリング性能に並んで重視される、ドライバビリティと呼ばれる運転しやすさに優れたカブだと思った。
きっと長距離走行や仕事でカブを走らせる時は、この許容範囲の広さから来るドライバビリティが強い味方になってくれるのかと思った。
だからと言ってその性能に数十万円の金を払うかといえば、今の小熊にはその予定も財布の余裕も無い。
エンジンが110ccになったことによるパワーアップについては、期待したほどでは無かった。小熊が今乗っている52ccのカブの二倍以上とは思えない、体感できたのは、せいぜい気持ち程度の上乗せ。
赤いクロスカブが路面の凹凸に車体を揺らしながら、小熊の前を走っていた。
礼子は小熊を先導するようにゆっくり走っている。きっと背後への気遣いではなく、キャタピラ車で並走しながら撮影をしているカメラを意識している。
バイクとは速度差のあるキャタピラ車を追い抜くような走りで、少しでも長く自分が被写体になるように走る礼子は、極めて機嫌が良さそうだった。実際に乗るまでは嫌っていた新型車体のクロスカブは、走らせると面白かった様子。
このまま順調に進めば、いいアルバイトになると思っているうちに、撮影スタップが停止場所として指示した旗竿の場所に到着した。
小熊と礼子で二台のクロスカブを並べて停め、遅れてやってきたキャタピラ車を待つ。到着したスタップがカメラを向け、ヘルメットを被ったままの二人に感想を聞く。
礼子はクロスカブの車体を叩きながら言った。
「牛みたいに走りやすいカブね。わたしのハンターカブは馬だけど」
スタッフがこのコメントは使えないなといった感じの表情をするのがわかった。小熊もカメラを向けられたので、今の感想を率直に述べた。
「ここは涼しいです」
一年で一番暑い時期とまる七月最終週。富士山五合目の気温は下界の猛暑から十度以上割り引かれる。小熊がこのバイトを請けようと思った理由の一つは、連日の暑さに嫌気が差し始めてたから。
バイクに乗っていると夏の昼間は耐え難いほど辛い。防寒装備を整えれば何とかなる冬よりも過酷かもしれない。それだけに夏の夜はカブで走ると気持ちいいが。
撮影スタッフは、やっと使える素材が取れた安心感と、理解できない気持ちが入り混じった顔をしていた。小熊はたぶんこの人たちは夏に働くオフィスも移動する車や電車も、冷房がついているのが当たり前だと思っているんだろうと思った。
指示された場所まで小熊と礼子がクロスカブで走り、先に出発したキャタピラ車を追い抜く、それを繰り返しているうちに、富士山六合目に到着した。
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