第十六話 人待ち
進路指導室に行く礼子を見送った小熊は、カブを停めてある駐輪場に向かった。
高三に進級してすぐに配布された進路希望用紙。まだ志望校を決めるには早い時期だけど、進学か就職かくらいは書いて提出しなくてはいけない。
呼び出されるのは、小熊のように進学に特殊な事情を抱えている生徒と、記述に不備があった生徒。
どっちにせよ礼子とは、自分と関係の無い用事がある時に帰りを待つような仲では無い。小熊も礼子も時間の浪費というものが嫌いだった。
途中で一年生の教室から慧海を拾ってきたらしき椎と合流する。
昇降口を出て、校舎の裏手にあるトタン屋根だけのバイク駐輪場に着いた小熊は、自分のカブに跨る。
椎がリトルカブの後部に着けられたプラスティック製ボックスに被せたトートバッグのジッパーを開け、中から取り出した礼子から借りっぱなしのヘルメットを被っている。
小熊は慧海がどうやって帰るのか興味あったが、原付も自転車も持っていない慧海は、アリスパックと呼ばれる軍用のディパックを背負い直し、小熊に軽く手を上げる挨拶をした後、合皮のジャングルブーツを履いた足で外へと駆け出した。
小熊や礼子のカブにはついていないセルモーターのボタンを押して、リトルカブのエンジンを始動させた椎は、小熊に慌しく別れの挨拶をした後、慧海の背を追うようにリトルカブで走り去った。
学校から椎と慧海の自宅までは一km強の緩い上り坂。慧海はそれくらいのランニングは何ともなさそうな様子だった。むしろ教室で座りっぱなしの体を浄化させている感じだったが、椎にしてみれば気が気ではないんだろう。椎は小熊がカブに跨ったまま、エンジンをキック始動していない事に気づいていなかった。
実際、小熊にも理由はわからない。
カブに乗った小熊は、自分の横にあるものを見た。椎のカブを駐めてあったスペースを隔てて、赤いハンターカブが置かれている。
周囲に駐められたスクータータイプの原付より簡素で、車体がプラスティックで被われたスクーターと違い、鉄というオートバイの素材としては時代遅れのマテリアルと、内部の機械が剥き出しになった実用的な原付。見る目の無い奴には周囲の原付よりも安物に見えるのかもしれない。このハンターカブがそれらの原付の新車二台分以上の値で売られているなんて、想像もつかないに違いない。
ハンターカブが原付はもちろん、世の大概のバイクが走れない場所に到達できるバイクだということを知っているのは、たぶんこの高校に一人しか居ない。
小熊は礼子がハンターカブを買ってすぐに行った林道ツーリングに付き合わされた時のことを思い出した。
あの時はオフロードバイクの多くが途中で降参すると言われた過酷な山道を二人乗りのハンターカブで登り、時に押して歩いたり、倒木に行く手を阻まれた時は二人でカブを持ち上げる、大型バイクには使えないテクニックを用いて乗り越えたりしたが、やっと頂上に着いた後が傑作だった。
ハンタ-カブにはたいた大金をお釣りつきで取り戻したかのような満足感に浸る礼子と、それに付き合わされ疲れ切った小熊が見たのは、ごく普通のスーパーカブで山菜採りに来ている地元のお爺ちゃんだった。
相当なダメージを受けたかと思ったら、やっぱりカブは凄い!と喜び出した、あの時の礼子の顔を思い出し、思わず小熊の頬が緩んだ。
たまにはこうしてカブの上で考え事をするのは悪くない。そう思っていた小熊の元に、礼子が現れた。
普段から喜怒哀楽が無駄にはっきりしている礼子の表情を見た小熊は言う。
「走りに行こう」
礼子の表情が変わった。高揚より安心を窺わせる顔。
帰りを待つ理由は無い。でも理由を作るくらいのことは出来る。
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