第九話 ブレッパー

 礼子の不躾な問いに反応したのは、聞かれた本人の慧海ではなく両親と姉の椎だった。

 椎は「別に大したものなんて入ってないよ!そう財布とか携帯とか!」と言い張り、椎の父は礼子の関心が他へと向くように「キドニーパイは食べるかね?」と話に割り込んでいる。

 慧海と椎の母親は、夫や長女とは違った反応を見せた。慧海の顔を興味深げに見ている。次女の慧海は今春に高校入学する以前、中学時代の三年間は親元を離れ他県の学校に通っていたらしい。

 その臭みゆえ日本では敬遠されがちながら、海外の小説や映画、あるいは実際の欧州滞在を経験している人間には魅力的な牛の腎臓のパイに礼子の興味が移りかけた時、皆のやりとりを介さぬ様子で後ろに手を伸ばした慧海が、重いベストを手にしながら言った。

「生き伸びるために必要なものが入ってます」

 それまで無口だった慧海は、ベストの中身を次々と取り出しながら饒舌な説明を始めた。

「塩、メタルマッチ、方位磁石、マルチツール、アルミシート、パラシュートコード、ワイヤーソウ、固形燃料、コンロ、そして食料」

 小熊は以前ニュースで見たことのあるブレッパーズという人たちを思い出した。来たるべき核戦争に備えて食料を備蓄したり、日曜大工でシェルターを作る人たち。それが正気か否かは小熊にはわからないが、週末に保存食を皆で食べながら装備を見せ合う彼らはなんだか楽しそうに見えた。真似したいとは毛筋ほども思わなかったが。

 無表情ながら自慢げな慧海の横で椎は頭を抱えながら言った。

「慧海ちゃんは子供のころからこうなんです。ポケットにオヤツとか肥後守を詰めて山に冒険とか探検に行って。東京の中学に行ってまともになったと思ったんだけど」 椎の父は小熊と礼子に縋るような目を向けた。

「こんな娘だけど、そんなに大それたことはしない子なので、これからも仲良くしてやってほしい」


 礼子が小熊の横から手を伸ばし、マルチツールだという百円ライターくらいのステンレスの塊を摘み取った。開くと折りたたみのプライヤー・ペンチになっていて、柄の部分にドライバーや栓抜き、缶切り等の工具が収納されている。

「これ通販で二千円の奴でしょ?ダメよーこんなの買っちゃあ」

 慧海は顔を赤らめながら、マルチツールを取り上げる。

「これしか買えなかった」

 小熊が観察した感じ、彼女が装備と称する他の物々もそれほど値が張るようには見えなかった。ベストはアウトドアショップやミリタリーショップではなく釣具屋の特売で売っていそうな薄っぺらい代物で、中に詰められた装備の重さに負けて型崩れしかかっている。

 ベストの横に置かれたポウチ付きベルトは小熊が作業用品店で見かけた奴と同じ物、ジャングルブーツは革の部分が合成皮革、エアガンショップで買ったような安物だった。

 椎は口うるさく慧海の装備にケチをつけている。エスプレッソマシンやリトルカブなど、自分のよりよい将来に繋がる物に金を使っている椎にとっては、ただの無駄金。

「こんな役に立たないオモチャばかり買って、食糧ってこれただの駄菓子じゃない」

 慧海は姉のそういう言葉には慣れっこらしく、椎に指差されたチョコレート菓子のブラックサンダーを「これが一番いい」と言いながらベストのポケットに収めている。


 どちらかというと愉快そうな感じでやりとりを見ていた椎の母は、小熊を見ながら言った。

「どう思う?こういう子を」

 小熊はサーディンのサンドイッチを手に取った。このあいだ弁当のおかずに自分で作ったサーディンのトースター焼きよりも味付けや調理法に凝っているらしき油漬けイワシを味わいながら答える。

「いいんじゃないですか?そういう趣味も」

 慧海はベストをぬいぐるみかライナスの毛布のように抱えながら言う。

「趣味じゃありません。私はこれから起き得る災害や戦乱を生き延びるため、日々身体を鍛え装備を揃えています」

 姉の椎よりは女性的ながら、言葉の割りにあまり逞しいとはいえない胸を張って慧海は言った。

「生き様です」

 また椎が呆れたような顔をしている。

 小熊は窓の外を見た。ここまで乗ってきたカブが停めてある、カブに乗るようになって以来よく言われる、女子高生にしては変な趣味だね、とか、いい趣味をしているね、という言葉。

 カブに乗るということが他者から見てどういうものなのかより、趣味という言葉のほうが心に引っかかった

「私もそうかな」

 さすがに生き様とまでは思わなかったが、きっと趣味や道楽という言葉は、他人から見た客観的な表現で、小熊にとっては何かが違った。

 

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