Episode_11+α.04 手紙
日中の練習終わりに、卵から孵ったばかりの鳥の雛を拾ってしまったリリアは、その後仮の住まいとしている草庵に戻ると早速、対応に追われていた。全く経験は無いが、大昔に住んでいたノーバラプールの家の近所に小鳥を飼っていた酒場があり、そこで少し聞いた世話の方法を必死に思い出しながらのことだった。
そんなリリアは、外の地面を少し掘ってミミズなどの地虫を獲って雛に差し出してみたが、雛は顔を背けるだけだった。困ったリリアは、試しに干し肉を自分で良く噛み柔らかくしたものを与えてみた。すると、これは大丈夫だったようで雛は差し出すリリアの指ごとその肉片に齧りついたのだ。
「貴方……鷹とか鷲の雛なのね」
「クェー」
リリアの呟きに返事をするように、雛は鳴声を一つあげた。良く見れば、生まれたばかりなのに、その足には頑丈で鋭い鉤爪が備わっており、
結局この日はそのまま雛と草庵で過ごしたリリア。連日の訓練の疲れと雛の世話による気疲れで、夜更け前には眠りに落ちていた。そして静かな夜の時間が訪れる。
****************************************
西の夜空に見事な満月が浮かんでいる。その明るい月明かりは、木々をすり抜けると、森の中にポツンと建てられた粗末な草庵の窓から、一間だけの室内に差し込み、全体を青っぽく浮き立たせる。その部屋には、質素なベッドが一つ。広いテーブルと質素な椅子が一脚。テーブルの上には、小枝を集めて編み込んだような鳥の巣が置かれ、ボロ布を集めたものが上から掛けられている。一方、窓と反対側の壁沿いにはビッシリとワイン樽が並べられていた。
この草庵はレオノールの持ち物である。一応レオノールの別荘ということになっているのだが、その正体は他のエルフ達に見つかると
月明かりに浮かび上がった彼女の髪は、本来明るい茶色であるが、全体が青っぽい光に照らされた室内では灰銀のような色合いになっている。そんな髪は、ドルドの森に来るまでは肩の下まで伸びていたが、カトレアから訓練を受けるようになった今は短く切られている。
月明かりだけが淡く照らす静かな草庵。そんな室内に微かに動く者があった。それは、巣の中でボロ布を被せられた猛禽類の雛であった。雛は布の間からニョキっと頭を出すと、室内を見渡す。そして、すぐ近くのベッドに横たわり寝息を立てている少女を見つけると、ジッと観察するように見るのだ。餌を催促するわけでもなければ、
そして、しばらく無音の時間が過ぎる。
パキ……
草庵の外で、獣が動いた。不意に枯れ枝を踏み折る音が響く。小さな音であった。しかし、眠りつつも精霊達に周囲の警戒をさせている少女は、その音に目を開けた。ハシバミ色の瞳はやはり青っぽい月の光を受けて灰色の光を湛えている。
(……キツネか……)
頭の中に流れ込むイメージは風と大地の精霊からのものだが、それは、キツネの親子が草庵の側を通っただけだということを伝えて来る。リリアは毛布に包まったまま、一度溜息を吐くと再び瞳を閉じる。こうやって休んでいる間も周囲の状況把握に精霊を使うことは、カトレアやレオノールに言わせると訓練なのだという。しかし、お蔭で常に眠りは浅いままだ。しかも、
(良い所だったのに……こういうのって絶対続きは見られないのよね)
と思う。当然夢の話だ。良い夢だったのは、多分ユーリーと一緒に何かをする場面だったのだろうが、目覚めてしまうとどんな内容だったのか急速に輪郭があやふやになってしまう。
「ハァ……」
少女はもう一度溜息を吐くと、目を開ける。窓に差し込む月明かりの角度から、あと一時間ほどで辺りは白み始めると思われた。もう眠れる気がしなくなっていた。そんな彼女は、テーブルの上の巣を見る。
「鳥の雛って、夜はちゃんと静かに寝るのね……」
と独り言を言う。以前一人でノーバラプールへ旅した時に身に着いてしまった独白癖は、しばらく鳴りを潜めていたが、ドルドに来てから再発していた。しかし、今はその独り言を聞いてくれる雛鳥の存在があった。今は寝ているのか動きは無いが、起きると餌をねだって来るだろう。そう思い、起こさない事にするリリアは、しかし相棒が出来たような少し愉しい気持ちになるのだった。
カトレアとの厳しい戦闘訓練、そしてレオノールとの魔力を極限まですり減らすような精霊術の修養は、どちらもリリア自身が望んだことだ。想いの人の側にいるため、必要とされるため、リリアは根を上げるつもりは無かった。たとえ行き詰まり壁に突き当たったとしても、自分から投げ出すことはしたくなかった。
そんな彼女は連日、体力と魔力を極限まですり減らした状態で一日を終える生活を送っていた。身体に負った傷はカトレアの一角獣スプレニの癒しの力で直ぐに治ってしまうが、体力や魔力の回復には別の方法が必要だった。
リリアが体力と魔力を回復させ毎日厳しい訓練に臨めるのは、レオノールから与えられる乾燥させた「古代樹の実」の
因みに「古代樹の実」は
昨晩のひと欠片は、口に運ぶ瞬間に雛鳥と目が合ってしまい、その目が
「それを食べたい」
と言っている風に思えたので、
「流石に一日休むと、実を食べなくても回復するのね」
雛鳥に古代樹の実を与えてしまったことを思い出したリリアは、それでも充分に体力と魔力が回復したことを感じるとそう呟く。そしてしばらく、ベッドに腰掛けたまま黙り込む。体力や魔力は回復出来ても、どうしようもない心の寂しさは慰められるものではなかった。そんな彼女は、ふと昨年の冬の出来事を思い出す。
(あの時……私はどうして欲しかったのだろう? 抱き締められただけで、いつもは満足していたのに……)
リリアの胸中にある、その場面。暖炉の炎に浮き立つ病み上がりで顔色の悪いユーリーに自分の気持ちをぶつけたリリアは、そのまま抱き締められていた。二週間の昏睡から目覚めたばかりの彼の体は、少し痩せた感じがしたが、一方で火のように熱かったとも記憶している。リリアには、その感触が今でも忘れられない。精一杯吸い込んだ体臭、背中から腰に回された優しい腕の感覚。寄せ合った頬の柔らかさ、そして唇の感触。身体の芯が疼くように震えた感覚も忘れることが出来ないものだった。
「……んあぁぁ! もうっ!」
「クェ?」
悶々とした考えに堪らず声を上げるリリア。それに反応したのか、雛鳥がボロ布の巣から頭を出して鳴声を上げた。
「あ……起こしちゃったのね……」
リリアは、雛鳥に謝るようにそう言うと、外からそのまま持って来た巣が乗せられたテーブルを見る。そこには巣の他に一枚の羊皮紙が広げられていた。
それは書き掛けの手紙。しっかりと別れを告げずに王都を後にしたことを、ユーリーの前から姿を消したことを、リリアは少しだけ後悔していた。その一方で、あの時は
「今のままでいいよ」
と言っただろう。しかし、それでユーリーが良くても、リリア自身はそれが許せないのだ。
その気持ちをハッキリ伝えるために、ユーリーに手紙を書こうとしていたのだが、その手紙は書き掛けで途切れている。伝えたい事、自分の想い、どれだけ愛しているか、どれだけ必要としているか、そしてどれだけ必要とされたいか。そんな、大きいばかりで纏まりの付かない思いが筆を鈍らせていたのだ。何度も書き掛けては諦めるという夜が続いていた。
「そうね……出さなければ良いのよ。書くけど、ユーリーに読んで貰うためじゃない。私自身のために書けばいいんだわ」
ふと思いついた考えに納得すると、リリアは椅子に腰かけた。巣の中の雛鳥は、彼女の手元を覗き込むように首を伸ばして羊皮紙の文面を見ている。
「あら、貴方読めるの? あんまり読まないでね、恥ずかしいから」
「クェ……」
しばらくすると、ペン先が羊皮紙を走る音が夜明け前の草庵に静かに響き出していた。月はもう西の彼方に沈んでいた。やがて、東から日が昇るだろう。そして新しい一日が始まるのだ。
Episode_11 悲裂の大国 (完)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます