4. 明晰夢
朝起きると、つい数秒前まで見ていた夢が、記憶障害のように消え失せてしまう。
そんな事は誰もが日常的に経験する事であって、いちいち気にする人もいないだろう。
夢の内容も、支離滅裂で碌でもないことが大半であるし、思い出せなくても何の支障もない。
そう考える人が、この世には大多数を占めているんじゃないだろうか、俺はそう思う。
だけど、その夢を自分好みの設定に作り替えて、願望や欲求を満たすことが出来れば、少なくとも寝ている間の人生は大きく変わる。
きっとそうだ。
──目が覚めきらぬ内に、勇作は枕元のノートを開くと、徐ろにボールペンを走らせ始めた。
勇作には、毎朝のルーティンとして行っている、ある儀式がある。
それが、この『夢日記』だ。
睡眠には二種類あると聞いたことがある。
レム睡眠と、ノンレム睡眠。
レム睡眠は浅い眠りのことで、脳は活発に活動しているが、身体は深く眠っている状態。
後者はその逆だったと記憶しているが、合ってるよな?
そのレム睡眠の最中は、脳が記憶の整理を行ったりしているため、夢を見るのだそうだ。
その『夢』を、忘れない内にノートに記録しておく、それが夢日記だ。
下らない趣味だって言うんだろ?
いや、いい、分かってる。
自分でも生産性のない無駄な作業だと思うよ。
でも、俺には『夢』があるんだ。
──明晰夢。
そう、明晰夢を使えるようになれば、きっと俺の煤け色の人生にも、少しくらい華を添えることが出来るってもんさ。
え?何て読むのかって?
簡単に説明すると、普段夢の中ではその夢の住人になっているだろ?
そして、現実世界のことはほとんど意識することもなく、記憶も曖昧。
出てくる人も知らない事が多い。
それが普通の夢だと思う。
だけどコイツは違う。
夢の中で、自分が夢を見ていると意識することで、夢の内容を自由に操れるのさ。
それが明晰夢、少し興味湧いただろ?
毎日毎日、生きる為とはいえ、安い給料で他人の幸せを横目に配膳して、時には上司だけでなく客からも『ご指導』を頂く人生。
そんなの、楽しいわけがないじゃないか。
──そう、勇作はいつだったかを境に、ネットで齧った知識で、明晰夢の練習に勤しむようになっていた。
最初は朝起きても、夢の内容すら思い出せない。
そんな日がずっと続いていたと思う。
芽が伸び悩む中で、少しずつ夢の内容を思い出せる瞬間が出てきた。
その頃からだったかな、夢日記を付け始めたのは。
それから何年経っただろうか。
結局未だに夢を操ることは出来ずにいる。
偉そうなことを周りに吹聴したくせに、なんてザマだ。
──学生時代は特に将来の夢とか、考えた事はなかった。
勉強そっちのけで、予備校に置いてある大学偏差値ランキングの本と自分の偏差値を睨めっこし、楽して入れる無難な大学選び。
家で勉強してないと親は小言を言ってくるし、仕方なくそればっかりに時間を潰していたんだったかな。
結局ほとんど知名度だけで大学受験先を選んだ事もあり、悉く不合格の通知が実家に届いて親を激怒させた。
泣きの一手で最後に受験した大学にギリギリセーフで滑り込めたが、勇作の人生は好転することはなかった。
偏差値は平均より上で、歴史も浅くない、知る人ぞ知る悪くない大学だったが、如何せん知名度が低すぎた。
何より、学部選びが失敗だった。
『人間科学部』とかいう、名前だけ聞くと、何を学んで何を研究するのか全く想像のつかないマイナー学部を選んだため、底辺大学だと勘違いされることも少なくなく、勇作は大学について人から尋ねられることが非常に億劫であった。
大学時代を無難に過ごし、人生逆転ホームランを狙うには公務員試験しかない。
大学三年の冬、就職活動が上手く行かない勇作は、そう考えるようになっていた。
当然のように公務員試験も全滅し、毎年手当り次第受験した。勉強もしないくせにな。
親からも半分見放され、就職浪人7年目に突入する寸前で拾ってくれたのが、今の会社だ。
その点で言えば、弊社は最高に良い仕事をしたと思う。その時はね。
だけど、実際は厳しい現実だった。
バイトなんてしたことも無かった俺に接客業など簡単に出来るはずもなく、入社当初は毎日のように上司に怒られた。
本気で辞めようと毎日思っていたし、通勤電車で降りずにどこか遠くの知らない所まで逃げてしまおうか、なんて思ったこともある。
そんな中で現場責任者の佐々木さんが、教育担当者を変更してくれた。
佐伯とかいうクソオヤジが担当だったから、正直やる気もなかったってのはある。
だけど、まさか自分より一回り近く年下の、それも女の子(しかも可愛い)をよこしてくるなんて、佐々木さん。いい性格してるぜホント。
自分自身が情けなくなる話なんだが、担当が逢沢さんになった日から、俺は仕事を真面目にこなすようになっていた。
大学の参考書より分厚いマニュアルは何度も読み漁ったし、『ロジカルシンキング』なんていう胡散臭いセミナーに足を運んだこともある。
仕事を少しずつ覚え始めて1年近く経ち、周りからも少しずつ信頼され始めてるんじゃないかな、そう思うようになってきた。
でも、未だに充実している気がしないのは、何故だろうか。
きっと、刺激が足りないんだろう。
夢を操ることが出来ていれば、今頃あっちの世界ではリア充だっただろうに。
──仕事の帰り道にコンビニに立ち寄る。
『ヘヴンレイヴン』とかいう全国チェーンで、厨二病臭い名前であるが、このコンビニの冷凍食品は安くて美味しい。
帰宅時間になると店のレジ前にはズラッと列をなす、それくらいに人気がある。
俺も例に漏れず、ここで晩飯を買って帰るのが日課だ。
「っっしゃー↓せーー↑っす」
レジのバイト店員は、こちらを一瞥することなく、最早何語かも分からないような歓迎の挨拶をのたもうた。
素晴らしい接客態度だ、涙が出るね。
いつものようにカップ麺を手に取り物色していると、下らない雑誌が軒を連ねるコーナーに差し掛かった。
雑誌など久しく買ったことなどないが、何か面白そうなものは無いだろうか。
勇作は、無意識に取った本の表紙を何気なく眺める。
『リフレイン 発売日決定』
──中身を見ることなく本を買い物カゴに入れると、勇作は帰路に着いた。
間もなく世に出回ることになる小さな機械が、世界に衝撃を与えることになるとは、この時誰も想像していなかった。
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